三省堂 大辞林 |
ディージェー 3 [ DJ ]
DJ 1 [disk jockey]
DJ 2 [Republic of Djibouti]
職業図鑑 |
DJ
概要解説 DJの活躍する場所は、ラジオなどのディスクジョッキーからクラブやディスコのDJまでさまざまです。いろいろなアーティストの作品を使い、選曲やミックス、MCなどのセンスを生かして、独自の音空間を作り出します。音の情報収集力や感性が必須条件となります。 必要な能力・資格など 関連する職業
ウィキペディア |
.dj
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/06/12 10:35 UTC 版)
| .dj | |
|---|---|
| 施行 | 1996年 |
| TLDの種類 | 国別コードトップレベルドメイン |
| 現在の状態 | 利用可 |
| 管理団体 | dotDJ |
| 後援組織 | STID (ジブチテレコム) |
| 利用地域 | ジブチに関連する団体・個人 |
| 使用状況 | 音楽関連にも使われている(ジブチ関連と同等程度)。 |
| 登録の制限 | 登録者に制限はない。いくつかの名前は予約されており、また商標権保有者には優先獲得権がある。 |
| 階層構造 | 登録は第二レベルに直接行える。 |
| 関連文書 | Terms and conditions |
| 方針 | Disputes can be negotiated via Association.DJ |
| ウェブサイト | www.dj |
.djは、国別コードトップレベルドメイン (ccTLD) でジブチに割り当てられている。このドメインは、"DJ"繋がりで、音楽関連のサイトも登録している。
関連項目
外部リンク
ダグ・ジェニングス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/11/15 23:53 UTC 版)
(DJ から転送)
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | |
| 出身地 | ジョージア州アトランタ |
| 生年月日 | 1964年9月30日(47歳) |
| 身長 体重 |
5' 10" =約177.8cm 195 lb =約88.5kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 外野手、一塁手 |
| プロ入り | 1984年 MLBドラフト2巡目 |
| 初出場 | MLB / 1988年4月8日 NPB / 1995年4月1日 |
| 最終出場 | MLB / 1993年9月26日 NPB / 1997年 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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ダグ・ジェニングス(James Douglas Jennings , 1964年9月30日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州出身の元プロ野球選手(外野手)。オリックス・ブルーウェーブでの登録名は「D・J」。
目次 |
来歴・人物
ブリバード大から1984年にドラフト2位でカリフォルニア・エンゼルスに入団。1988年、オークランド・アスレチックスでメジャーデビュー。1993年、シカゴ・カブスでメジャー再昇格。
1995年、オリックス・ブルーウェーブに入団。開幕当初は不調だったが、7月に成績を伸ばし、打率.393、3本塁打で月間MVPを獲得。8月も打率.337、8本塁打で2ヶ月連続で月間MVPを獲得した。8月8日から9日にはプロ野球タイ記録となる4打席連続本塁打を放つ。この年、打率.266、16本塁打、60打点でチームの優勝に貢献。日本シリーズでも、チーム唯一が勝利した第4戦で、延長12回表に伊東昭光から決勝ソロ本塁打を放った。
1996年は成績が下がったが、本拠地・グリーンスタジアム神戸での優勝を決めた9月23日の日本ハムファイターズ戦では9回裏、2死無走者から代打で登場し、島崎毅からライトスタンドへ起死回生の同点本塁打を放ち、その次の回のイチローのサヨナラ二塁打での優勝を演出した。オフに解雇が検討されたが、大幅な年俸ダウンで残留が決まった。
翌1997年はさらに成績が落ち、シーズンの大半を二軍で過ごし、この年限りで解雇された。
帰国後は、マイナーリーグ、独立リーグ、メキシカンリーグなどで、2005年までプレーをした。
外野手登録であるが、日本では大半は一塁手として起用された。
エピソード
日本プロ野球史上初めて、姓名のイニシャルを登録名とした選手で、仰木彬監督(当時)の発案による。D・Jに対抗して1996年、近鉄バファローズに入団したクリス・ドネルスをC・Dという登録名にした。後にドネルスは1997年オリックスに移籍し、本名でプレーののちD・Jが退団した翌年の1998年にはC・Dと両方の名前で出場していた。以降、イニシャルを登録名とした選手にはジェレミー・パウエル(JP)、ジェレミー・ゴンザレス(GG)がいる。
当時、NHKのラジオ中継で解説者であった川上哲治からは「デイジー」と呼ばれていた。
新入団の年の春キャンプにて、「新しい外人のD・Jです」と紹介されたイチローはしばらくの間、スタジアムDJのDJ KIMURAの後任のDJが来たのだと思っていた。
2003年まで日外アソシエーツから発行されていた「プロ野球人名事典」(著・森岡浩)では、「ジェニングス」と表記されていた。
なで肩が特徴だった。
詳細情報
年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1988 | OAK | 71 | 128 | 101 | 9 | 21 | 6 | 0 | 1 | 30 | 15 | 0 | 1 | 1 | 3 | 21 | 1 | 2 | 28 | 1 | .208 | .346 | .297 | .643 |
| 1989 | 4 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
| 1990 | 64 | 180 | 156 | 19 | 30 | 7 | 2 | 2 | 47 | 14 | 0 | 3 | 2 | 3 | 17 | 0 | 2 | 48 | 1 | .192 | .275 | .301 | .577 | |
| 1991 | 8 | 11 | 9 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 1 | .111 | .273 | .111 | .384 | |
| 1993 | CHC | 42 | 57 | 52 | 8 | 13 | 3 | 1 | 2 | 24 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | 10 | 0 | .250 | .316 | .462 | .777 |
| 1995 | オリックス | 107 | 372 | 335 | 44 | 89 | 22 | 1 | 16 | 161 | 60 | 2 | 1 | 0 | 6 | 27 | 2 | 4 | 104 | 7 | .266 | .323 | .481 | .803 |
| 1996 | 91 | 278 | 241 | 29 | 53 | 7 | 1 | 15 | 107 | 47 | 1 | 1 | 0 | 1 | 32 | 0 | 4 | 74 | 5 | .220 | .320 | .444 | .764 | |
| 1997 | 9 | 31 | 25 | 2 | 6 | 1 | 0 | 1 | 10 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 1 | 6 | 0 | .240 | .387 | .400 | .787 | |
| MLB:5年 | 189 | 380 | 322 | 36 | 65 | 16 | 3 | 5 | 102 | 37 | 0 | 5 | 3 | 6 | 43 | 1 | 6 | 90 | 3 | .202 | .302 | .317 | .619 | |
| NPB:3年 | 207 | 681 | 601 | 75 | 148 | 30 | 2 | 32 | 278 | 110 | 4 | 2 | 0 | 7 | 64 | 2 | 9 | 184 | 12 | .246 | .325 | .463 | .787 | |
表彰
- 月間MVP:2回(1995年7月、1995年8月)
記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:1995年4月1日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(グリーンスタジアム神戸)、3番・左翼手として先発出場
- 初安打:同上、8回裏に伊良部秀輝から
- 初打点:1995年4月4日、対日本ハムファイターズ1回戦(東京ドーム)、7回表に長冨浩志から
- 初本塁打:1995年5月17日、対福岡ダイエーホークス7回戦(鹿児島県立鴨池野球場)、9回裏に小川博文の代打で出場、ボビー・シグペンからソロ
背番号
- 48(1988年)
- 21(1988年 - 1989年)
- 2(1990年)
- 13(1991年)
- 53(1993年)
- 24(1995年 - 1997年)
関連項目
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
ディスクジョッキー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/10/20 08:45 UTC 版)
(DJ から転送)
ディスクジョッキー(disc jockey)または単にDJ(ディージェイ)とはラジオ番組の司会者、あるいはディスコやクラブ、パーティー、ライブ、野外レイブなどでレコードなどの録音媒体を使い音楽を掛ける人である。
目次 |
司会者・パーソナリティ
「ラジオパーソナリティ」も参照
ラジオ番組などで、音楽を掛けながらその間をトークで繋ぐ司会者。ラジオ番組では音楽よりトークを重視する番組の司会者の場合、パーソナリティと呼ばれる事が多い。狭義には自分自身で選曲しレコード盤に針を落とし、トークは簡単な曲紹介のみというスタイルを取っているものをディスクジョッキーという。海外の著名なデイスクジョッキーとしては、ウルフマン・ジャック、ジョン・ピール、チャーリー・ギレット、ジム・ピューター、ウォルト・ラブ、ドン・トレイシーらがいた。また、日本でのラジオの音楽番組全盛期における代表的なディスクジョッキーとしては、糸居五郎、小林克也、八木誠、石田豊、湯川れい子、ピーター・バラカンなどがあげられる。大橋巨泉も「巨泉のポップスNO1」などの番組を担当していたことがある。
またMTVでは番組内の司会進行役をVJと呼んだり、東海ラジオなど7局で番組を担当していた小森まなみはトーク重視のスタイルをトークジョッキーと呼んでいる。また東京都のFM局・J-WAVE(一部のぞく)、福岡県のFM局・CROSS FM、新潟県のFM局・FM-PORTが「ナビゲーター(navigator)」、愛知県のFM局・ZIP-FMが「ミュージック・ナビゲーター(music navigator)」、兵庫県のFM局・Kiss FM KOBEが「サウンドクルー(sound crew)」など独自呼称を使っている局もある。これは各人によって選曲する者もあれば司会と曲紹介だけの者など、番組内の行動も多様であることから単に「ディスクジョッキー」として表せないことを背景にしている。
毒舌を売りにするディスクジョッキーを特にショックジョック(Shock jock)という[1]。
選曲者
主にダンスホール、ディスコ、クラブ、野外ライブなどでレコードやCD、近年ではPC内に保存された音楽データを使用し、場の雰囲気から楽曲を選曲し切れ目無くかける者である。一般にDJと略称される。選曲担当の他にミックス、スクラッチ、イコライザーの操作などの機器操作を行うことが一般化している。ミックスは現在再生している曲と次に再生する曲をスムーズにつなぎ、音の切れ目をなくすことで聴衆のテンションを維持する。ミックスの技法はDJごとに個性があらわれる。
まれにすでに選曲した楽曲をMDやDATなどの記録媒体に入れて使用しDJを自称する者もいるがこれは単に選曲者であり、ピッチを変速できるターンテーブル(レコードプレーヤー)やCDJ(CDターンテーブル)、PCとミキシング・コンソールを使用したライブ演奏が基本である。
Beatportを始めとするデジタル音楽ダウンロードサイトやCD-Rの普及により、CDJを用いるDJも増えてきている。またPCとソフトウェア、音楽データを利用する者はPCDJと呼ばれている。アナログ時代には考えられなかったプレイを省力的かつスピーディーにローコストで行う事が可能になった。またCDJ、PCDJは移動の荷物を減らしたり特に海外での公演の際に大量のレコード所持によって販売を疑われ税関で止められたり没収されると言うトラブルを防ぐことにも一役買っている。
日本でのクラブDJとディスコDJ
日本ではクラブDJとディスコDJを分ける人もいるがこの言葉自体が日本法たる風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律に依存していることから厳密な境界はなく特定ジャンルに精通している者をクラブDJ、オールジャンルでキャッチーな選曲を行うDJをディスコDJと呼び分けたりする(ディスコや大箱クラブではプレイリストが店舗から渡されることがある)。
日本国内においてはハイエナジーやユーロビートがディスコで大流行したことから、昨今の日本でのディスコのイメージが定着し区別されるようになった。
以前のダンスホールではディスコミキサーやイコライザ、ピッチコントローラなどは存在せず一台のレコードプレイヤーを使いフロアの音楽を提供していた時代があった。現在でも、伝説のパーティー・The LOFTの主催者・David Mancusoやその信奉者らなどミックスやイコライジングを施さないDJも存在する。
レゲエにおけるディージェイとセレクター
「レゲエ#ディージェイ・スタイルの確立」および「サウンド・システム」も参照
レゲエにおけるDJの元祖はサー・ロード・コミック、カウント・マチューキ、リトル・スティットらである[2]。元は他のジャンルと同じように選曲しイントロ部でその曲の紹介などを担当していたが、1960年代後半のU・ロイの登場以降はレコーディングに参加しトースティングやラップを披露するようになっていった。現在はレゲエにおける「DJ」と言えば、一般的にはサウンド・システムなどでバージョンやダブに合わせてトースティングする者を指す。他ジャンルにおけるDJと区別する為、「ディージェイ(dee jay)」と表記する場合もある。ディスクジョッキーと呼ばれる事は無い。他のジャンルにおけるDJにあたる者は、レゲエではセレクター(selector)と呼ばれる。セレクターには独自のスタイルがあり、曲のフック(盛り上がり)部分でレコードを逆回転して止めてしまったり(「Pull up」、「Rewind」、「Come again」と呼ばれる)セレクター自身が発言したりする。
ヒップホップDJ
1973年にニューヨークブロンクス区でサウンドシステム活動を開始したジャマイカ移民であるクール・ハークがヒップホップDJの普及者として知られる。クール・ハークが発見したブレイクビーツやスクラッチなどの技法が開発され、ヒップホップDJの独自性が高まっていった。
スクラッチ
レコードを手でこするように前後させ同じ部分を反復再生、リズムを刻むなどのパフォーマンスのこと。1977年にグランドウィザード・セオドアが偶然発見し、親戚のグランドマスター・フラッシュが流行させた。一般認知されているが音楽ジャンルによってスクラッチはたまに行われるか、もしくはまったく行われない。稀にジャズやハウスミュージックにもスクラッチを得意とするDJがいるが、やはり発祥であるヒップホップDJが主にスクラッチ技術を使用する。
ターンテーブリスト
レコードを使った特殊な奏法(スクラッチ、トリックミックス、ジャグリング、トーンプレイ、ボディトリック)を専門的に行うDJをターンテーブリスト(turntablist)あるいはバトルDJと呼ぶ場合がある。クラブフロア等の選曲主体のDJとは異なり、ターンテーブルを楽器のように扱うことに長けたDJ。また、これらの奏法は主に最小限の構成(アナログターンテーブル2台・ミキサー1台)で行えることが前提である。
ターンテーブリストの技術が高度化するに従い、それを競う大会が開催されるようになった。国際的ターンテーブリスト大会であるDMC WORLD DJ CHAMPIONSHIPではdj KENTARO(2002年、シングル部門)、DJ AKAKABE(2004年、バトル部門)、DJ CO-MA(2006年、バトル部門)などの日本人が優勝している。
脚注
- ^ 大人気の毒舌家を没落させた一言[リンク切れ] - 日経トップリーダーonline
- ^ Dennis Alcapone『Forever Version』ライナーノーツ 2007年、Heartbeat
関連項目
- DJデジモノステーション編集者ブログ
- DAISHI DANCE 「DAISHI DANCE remix. for DJ use... Put Your Hands Up!」 > 音楽特集 :meVIEWsa radiomeVIEWsa radio
- ハーマン、AKGよりヘッドホン「K519DJ」とカナル型イヤホン「K331」を発売Phile-web
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