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キプロス [Kypros]
アイビー図鑑 |
キプロス(Cyprus)
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サイプリア種(cypria) ブルーに近い色合いで長三角形の葉型を変えることがない、極めて安定した品種です。 成長は遅く挿し木での発根も時間がかかるので発根促進剤を使うのがよい。 キプロス島の山岳地帯で発見されたという。サイプリア種はこの1点のみ。 葉脈が唐草模様を描くところはアルセナに似ているが色と形が違う。 アルセナは茶色味がかったグリーンで正常な葉型は卵形で伸びが非常に速い。 ブルーを感じさせるアイビーにはアメリカで最近発見されたブルー・ムーンがあるがこれの色は灰色がかったグリーンというべきで、地中海の海の色を映したような深い青を連想させるのはこのキプロスのみ。 その点でかけがえのないアイビーである。 (アルセナ、ブルー・ムーン参照) |
ウィキペディア |
キプロス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/12/27 10:23 UTC 版)
キプロス共和国(キプロスきょうわこく)、通称キプロスは、トルコの南の東地中海上に位置するキプロス島の大部分を占める共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。首都はニコシア。ヨーロッパ連合加盟国。
キプロス島の一部は、イギリス海外領土のアクロティリおよびデケリアであり、往来は容易であるものの共和国領ではない。さらに1974年以来、南北に分断されており、島の北部約37%を、国際的にはトルコ共和国のみが承認する「独立国家」であるトルコ系住民による北キプロス・トルコ共和国が占めている。一方のキプロス共和国は国際連合加盟国193ヶ国のうち、192ヶ国(トルコを除く)が国家承認をしている
キプロスは元来はギリシャ系住民とトルコ系住民の混住する複合民族国家だったが、分断後は事実上、ギリシャ系によるほぼ単一民族国家となっている。
目次 |
国名
正式名称は、現代ギリシャ語で Κυπριακή Δημοκρατία (ラテン文字転写: Kypriakí Demokratía; キプリアキ・ディモクラティア)、トルコ語で Kıbrıs Cumhuriyeti (クブルス・ジュムフリエティ)。通称は、現代ギリシャ語では Κύπρος (キプロス)、トルコ語では Kıbrıs (クブルス)。なお、古典ギリシャ語では「キュプロス」と発音された。
公式の英語表記は、Republic of Cyprus(リパブリク・オヴ・サイプラス)。通称は、Cyprus。
日本語の表記は、キプロス共和国。通称は、キプロス。漢字による当て字は塞浦路斯。日本の外務省は、かつて英語読みに倣い「サイプラス」とする表記を取っていた。
キプロスの語源は、古代ギリシャ語のイトスギ(kyparissos)由来説と、同じく古代ギリシャ語の銅(Chalkos)由来説とがある。いずれもこの地に多かったもので、銅については、さらにこの地名(キプロス)が、ラテン語や英語で「銅」を意味する単語の語源となった。
1983年以来、北部のトルコ系住民支配地域は、「北キプロス・トルコ共和国」(Kuzey Kıbrıs Türk Cumhuriyeti; クゼイ・クブルス・テュルク・ジュムフリエティ。より厳密に訳せば「北キプロス・トルコ系住民共和国」)として分離独立を宣言している。キプロス共和国はギリシャ系住民の支配地域のみを統治しており、キプロス共和国支配地域は北キプロスとの対比から、南キプロスとも呼ばれることもある。
なお、北キプロスおよびその後援国であるトルコ共和国は、ギリシャ系・トルコ系両住民の連合国家であるキプロス共和国は既に1974年の南北分裂時に解体したのであり、南部のギリシャ系住民のみが不法にキプロス共和国を名乗り続けていると見なす立場から、キプロス共和国を承認せず、キプロス共和国支配地域のことを「南キプロス・ギリシャ系住民管理地域」(Güney Kıbrıs Rum Yönetimi; ギュネイ・クブルス・ルム・ヨネティミ)と称する。
歴史
オリエント諸国支配時代
キプロスは東地中海を往来する諸民族、諸文明の中継地となったため、その歴史は古い。有史から当初はヒッタイト、アッシリアといったオリエント諸国の支配を受けた。
アッシリアの滅亡後暫くは独立状態にあったものの、エジプト第26王朝のクネムイブラー・イアフメス2世によって征服され、エジプトがアケメネス朝(ペルシア)に併合されたのとほぼ同時期にキプロスもペルシアの支配下に入った。住民の多くがギリシア系であった為、再三に渡って反ペルシア暴動が生じたものの、ペルシアによって全て鎮圧された。
ローマ属州時代
アレクサンドロス大王によるペルシア滅亡と大王死後のディアドコイ戦争での結果、キプロスはプトレマイオス朝の保護下に置かれ、プトレマイオス朝から総督が派遣された。この時期のキプロスは当時の2大商業都市であったアテネとアレキサンドリアの間の中間貿易港として発展した。
紀元前58年、共和政ローマから派遣された小カトによってキプロスはローマ属州(キプロス属州、provincia Cyprus)となった。クレオパトラ7世はマルクス・アントニウスと結んでキプロスの支配権を再び手に収めたが、アクティウムの海戦に敗北し、プトレマイオス朝の滅亡と共に再度ローマ属州へ復帰した。
紀元前22年以降は、元老院属州として位置づけられ、イタリア本国と東方属州を結ぶ交通の要衝として機能し、ハドリアヌスやルキウス・ウェルス等のローマ皇帝もキプロスを訪れた。115年からのユダヤ人の一斉蜂起によりキプロスは損害を被った。4世紀以降にローマ帝国がキリスト教化する中でキプロスもキリスト教が徐々に普及、ローマ帝国が分裂した後も東ローマ帝国の支配下に留まった。
その後、現代まで
キプロスは1191年に十字軍の途上にこの島に立ち寄ったイングランド王リチャード1世によって征服され、フランク人(西ヨーロッパ人カトリック教徒)の支配するキプロス王国が建国される。キプロス王国は1470年に相続者を欠いたことから断絶し、ヴェネツィア共和国がキプロスを植民地として手に入れた。1571年にはオスマン帝国がヴェネツィアからキプロスを奪い、キプロス州を置いた。
エジプトの植民地化を進めていたイギリスはこの島の戦略的価値に目をつけ、1878年、露土戦争後のベルリン会議でオスマン側に便宜を図った代償にキプロス島の統治権を獲得。さらに1914年、同年勃発した第一次世界大戦でオスマン帝国が敵対したのを理由に正式に併合した。
第二次世界大戦後、ギリシャ併合派、トルコ併合派による反イギリス運動が高まったため、1960年にイギリスから独立。翌1961年、イギリス連邦加盟。しかし1974年にギリシャ併合強硬派によるクーデターをきっかけにトルコ軍が軍事介入して北キプロスを占領し、さらにトルコ占領地域にトルコ系住民の大半、非占領地域にギリシャ系住民の大半が流入して民族的にも南北に分断された。
南北キプロスの間では国際連合の仲介により和平交渉が何度も行われ再統合が模索されているが、解決を見ていない(詳しくは、キプロス問題を参照)。
2004年、EUに加盟。
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- ^ アジアへの分類の例として:キプロス | AsiaLinks -アジア関係リンク集- | アジア情報室 | 国立国会図書館-National Diet Library
- ^ ヨーロッパへの分類の例として:外務省: キプロス共和国
- ^ a b c d 『キプロス:低税率が魅了、EUのロシア投資拠点に』2007年12月13日付配信 日経ビジネスオンライン 日経BP社
- ^ 共同通信 2008年7月25日「9月にキプロス再統合交渉 南北が合意、住民投票も」
- ^ a b 外務省:キプロス共和国
- ^ 日経ネット 2009年4月22日閲覧
- ^ 北キプロス大統領選 統合消極派の首相が当選 - MSN産経ニュース 2010年4月19日閲覧
- ^ 再統合交渉「年内合意を」北キプロス大統領が意欲-MSN産経ニュース
- ^ アブハジアと北キプロスの相互独立承認を否定―ロシア
固有名詞の分類
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