映画情報 |
暴動
| 原題: | Riot |
| 製作国: | アメリカ |
| 製作年: | 1968 |
| 配給: | パラマウント配給 |
| キャスト(役名) |
| Jim Brown ジム・ブラウン (Cully) |
| Gene Hackman ジーン・ハックマン (Red) |
| Ben Carruthers ベン・カラザース (Surefoot) |
| Mike Kellin マイク・ケリン (Bugsy) |
| Gerald O'Loughlin ジェラルド・オローリン (Grossman) |
| Bill Walker ビル・ウォーカー (Jake) |
| Clifford David クリフォード・デイヴィッド (Mary) |
| Frank Eyman フランク・アイマン (Head of Jail) |
| 解説 |
| 州立刑務所内に起った暴動を描くアクション編。監督はテレビ界出身のバズ・クリーク。フランク・エッリの原作を「野のユリ」のジェームズ・ポーが脚色。撮影は、ロバート・ハウザー、音楽は「ローズマリーの赤ちゃん」のクリストファー・コメダ、美術はポール・シルバート、編集をエドウィン・H・ブライアントが担当。製作は「ローズマリーの赤ちゃん」のウィリアム・キャッスル、ドナ・ホロウェイ。出演は「」のジム・ブラウン、「俺たちに明日はない」のジーン・ハックマン。その他、マイク・ケリン、ベン・カラザース、ジェラルド・オローリン、ビル・ウォーカー、それに実際の刑務所長のフランク・アイマンなど。テクニカラー、ビスタサイズ。1968年作品。 |
| ストーリー※ストーリーの結末まで記載されていますので、ご注意ください |
| ある州立刑務所で、突然、暴動が起きた。レッド(ジーン・ハックマン)を首謀者とする囚人たちは看守グロスマン(ジェラルド・オローリン)らを人質に、所外の人々に脅しをかけた。比較的刑期は軽かったカリー(ジム・ブラウン)も、グロスマンを殺そうとした精神病のシュアーフット(ベン・カラザース)を殴ったため、この暴動に巻き込まれてしまった。そこでカリーは、時間かせぎのための交渉工作をしたり、捕虜の見張りのバグジー(マイク・ケリン)の危機を救ったりした。彼と同房のジェイク(ビル・ウォーカー)も仲間に入ろうとしたが、カリーは、刑期が軽いジェイクのためそれを断った。暴徒たちは、刑務所側と交渉する一方、地下道を掘り始めていた。再びグロスマンを襲ったシュアーフットを、カリーは牢に閉じ込める。裏切者に対する凄惨なリンチが、囚人たちによって加えられるなど、所内では次々と事件が起きた。そんな時、所長(フランク・アイマン)の恐ろしい声が拡声機から流れた。すぐに必要な処置をとるという、それは強硬な言葉であった。レッドとカリーは、時間かせぎの交渉をした。そして、ついに地下道が完成。道案内のシュアーフットは縄をとかれたが、同行を求めたメリー(クリフォード・デビット)を殺してしまった。穴を掘った4人を先頭に、レッド、カリー、シュアーフットらが続いた。しかし、出口で待ち伏せしていた所長たちに、彼らは次々と殺された。必死の思いで所内に戻ったレッド、カリー、シュアーフットの3人。所内はすでに看守たちの銃声が響き、惨状を呈していた。3人は監視塔に忍び込み、そこから逃れようとした。だが、ここで、シュアーフットがカリーを襲った。その争いでレッドとシュアーフットが死んでしまった。1人残ったカリーは脱出に成功。折よく嵐に助けられ追手をくらますことができた。その後の彼の行方は、誰1人として判らなかった。(パラマウント配給*1時間36分) |
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ライオット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/09 00:43 UTC 版)
(RIOT から転送)
| ライオット | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出身地 | |
| ジャンル | ハードロック ヘヴィメタル スピードメタル パワーメタル |
| 活動期間 | 1975年 - |
| メンバー | |
| トニー・ムーア(ヴォーカル) マーク・リアリ(ギター) マイク・フリンツ(ギター) ドン・ヴァン・スタヴァン(ベース) ボビー・ジャーゾンベク(ドラム) |
|
ライオット(RIOT)は1970年代後半から活動するアメリカ合衆国のハードロック/ヘヴィメタルバンドである。
目次 |
来歴
- 活動期間が非常に長く、極めてメンバー・チェンジの激しいバンドであること、またメンバー構成(特にヴォーカリスト)によって音楽性も少しずつ異なるため、ヴォーカリストの在籍期間ごとに区切って記載する。各パートごとのおおよその在籍期間は#メンバーを参照。
結成~ガイ・スペランザ時代(1975~1981)
- 1975年頃ニューヨーク・ブルックリンでギタリストのマーク・リアリを中心に結成され、1977年にプロデューサー、スティーヴ・ローブ(後にこのバンドのマネージメントも手掛けることになる人物)が主宰していた「Fire Sign」なる個人レーベルから1stアルバム「ROCK CITY」をリリース。このアルバムは翌78年に日本でも「怒りの廃墟」という邦題でリリースされ、特に現在に至るまで彼らの代名詞的と目される楽曲「Warrior」は「幻の叫び」という邦題でシングル・カットされ、更にアイドル歌手の五十嵐夕紀によって「バイ・バイ・ボーイ」なるタイトルでカヴァーもされた[1]。リアリにとっても「当時日本で人気を博したことは予想外だった」との事で、その後も日本とは何かと関係が深く、現在に至るまで日本は彼らの主要なマーケットの1つでもある(この1stアルバムには「Tokyo Rose」なる楽曲もある)。
1979年にキャピトル・レコードからリリースされた2ndアルバム及びそのアルバムに収録されているインストゥルメンタル・チューンのタイトル「NARITA」は日本の成田国際空港にまつわる、いわゆる「成田闘争」に由来している。この曲も、「Warrior」と並び彼らの代表曲の1つであり、また数あるHM/HRのインスト・チューンの中でも特に知名度が高い楽曲の1つでもある。
この頃の楽曲は、コード・ワークによるギター・リフ中心のアメリカン・ハードロックがメインではあるが、前述の「Warrior」「Narita」をはじめ、後にファンから「ライオット節」と呼ばれることになる、ツイン・リードギターによって奏でられる、独特の哀愁を帯びた叙情的なメロディが既に見られる。また、後々まで良くも悪くもこのバンドのトレードマークとなる、頭部のみアザラシでそれ以外が人間という謎のキャラクター、「ジョニー」が1stアルバムからずっとアルバム・ジャケットに登場している(数枚の例外あり)。「NARITA」のアートワークはヴォーカリスト、ガイ・スペランザが足を広げてかがみ、口をとがらせている写真に酷似しているが、ジョニーのモデルはバンドのローディであったMike"Mighty" Tiorであり、彼は『ROCK CITY』というファンサイトを運営していたこともある。Tiorとジョニーについては、伊藤政則氏が「ROCK CITY」再発CDのライナー・ノーツに「笑いがこぼれるほどそっくりだった」と記述している。
1980年、エレクトラ・レコードに移籍して3rdアルバム「FIRE DOWN UNDER」をリリース後、第1回モンスターズ・オブ・ロックへの出演を果たすが、スペランザが「ツアーに疲れた」との理由で脱退。後任には、地声を活かした個性的なハイ・トーン・ヴォーカルを得意とするスペランザとはタイプが異なり、中音域のブルージーな歌唱を得意とするレット・フォリスターが加入した。この時点で、既にリアリ以外のオリジナル・メンバーは1人もいなくなってしまった。
レット・フォリスター時代(1981~1984)
- フォリスターを迎えて製作された4thアルバム「RESTLESS BREED」ではフォリスターの歌唱スタイルに合わせたのか、ブルーズ色の強い楽曲が大半を占め、叙情的なメロディは後退した。この音楽性の急変故か、このアルバムは前作ほどの商業的成功を収めることはできず[2]、契約消化のためにミニ・ライヴアルバム「RIOT LIVE」をリリースした後、「Elektra」との契約は打ち切られ、次作「BORN IN AMERICA」のリリースはカナダのインディーズ・レーベル「Quality Records」からとなった。本作はフォリスター時代の作品であるが故か、前作同様評価も注目度も低い[3]が、特にリアリ作の楽曲は本来の叙情的なメロディを取り戻しており、フォリスターの声質が上手く「ライオット節」に合致し、一部ファンはこの時代が最高とまでいう人もいる。しかしながら、これ以降活動は停滞し、遂にバンドは解散してしまった。
解散~復活前夜(1984~1988)
- この解散時期は、後にマーク・リアリがBurrn!のインタビューで語ったところによると、RIOTの名前で活動を続ける限り、マネージメントとの理不尽な契約に縛られてしまうため、それを回避するための偽装解散であったという。この時期、リアリはテキサスに渡り、地元のバンド・S.A.SLAYER(スレイヤーとは無関係)のメンバーである、スティーヴ・クーパー(ボーカル)、ドン・ヴァン・スタヴァン(ベース)、デイヴ・マックライン(ドラム)と共にNARITAなるバンドを結成。当時の音源として「The Feeling Is Gone」「Liar」「Thundersteel」の3曲が収録されたラジオ局向けのデモ・テープが存在する。
こうした活動を続けていたリアリの元に、1986年、「FIRE DOWN UNDER」以降のドラマー、サンディ・スレイヴィンから再結成の話が持ち掛けられ、リアリはS.A.SLAYER~NARITAのベーシスト、ドン・ヴァン・スタヴァンを伴って、スレイヴィンのいるLAに向かう。こうして、リアリ、スレイヴィン、スタヴァンに、ボーカルにハリー・コンクリンを加えて「RIOT」名義での再結成が実現し、ツアーを行った。この再結成ツアーには後にレット・フォリスターが合流した。このツアーでは、新曲として「Sign Of The Crimson Storm」が演奏されている。
トニー・ムーア時代(1988~1993)
- こうして再結成を果たしたものの、リアリとの音楽的方向性の違いからスレイヴィンが脱退、フォリスターら他のメンバーもバンドを去り、リアリ、スタヴァンの2人だけとなってしまったが、線は細いがメタリックなハイ・トーン・ヴォーカルが特徴のトニー・ムーアが加入、ライオン等の活動で知られるドラマー、マーク・エドワーズを迎えて再結成アルバムのレコーディングが開始された。ドラマーには結局、エドワーズに代わりJUGGERNAUTなるプログレ/スラッシュメタルバンドでプレイしており、後にハルフォードやセバスチャン・バック等の活動でも知られることになるボビー・ジャーゾンベクが加入し、リアリ、スタヴァン、ムーア、ジャーゾンベクというメンバーで1988年、再結成第一弾アルバム「THUNDERSTEEL」がリリースされた。
本作リリース当時はスラッシュメタルやパワーメタルなどの攻撃性と疾走感を前面に押し出したヘヴィメタルが人気を博しており、その影響からか、本作はこれ以前と比べて哀愁のメロディは保ちつつ、スピード感、攻撃性は全く異なるサウンドとなった。その衝撃的な内容に、それまでのファンは変化に驚きつつ、そのクオリティにも驚いた。新たにスピードメタルを求めていたファンも獲得し、『Burrn!』誌やFM番組『POWER ROCK TODAY』などの人気投票で軒並み上位を獲得するなど、日本のメタルファンの中で大きな地位を築く事になる。
ムーア、リアリ、スタヴァン、ジャーゾンベクの4人編成で全米ツアーなどを行ったが、1989年の「THE PRIVILEGE OF POWER」レコーディング終了後、日本ツアーに際し2人目のギタリストとしてマイク・フリンツが加入した。このことに関しリアリは「昔の曲を演奏するにはもう一人ギターが必要だった」と来日時のインタビューで語っている。この5人編成で初来日公演が実現し、来日後の1990年「THE PRIVILEGE~」がリリースされた。このアルバムは、ジョー・リン・ターナーやタワー・オブ・パワーなど多彩なゲストが参加していたが、大胆なホーン・セクションの導入や、曲間に挿入された、長いものだと1~2分以上にも渡るSE等実験的な要素が多く、当時物議を醸した。
同年、早くも2度目の来日公演が実現するが、この来日を前にスタヴァンが脱退、後任にはジャーゾンベクと共にプログレメタル・バンドSPASTIC INKのメンバーでもある、ピート・ペレスが加入。
マイク・ディメオ時代(1993~2008)
- 1991年、キーボード・プレイヤー兼バック・ヴォーカルとしてマイク・ディメオが加入、バンドは一時的に6人編成となるが、今度はムーアが脱退してしまい、急遽ディメオをリード・ヴォーカルに転向させて、1993年再結成後3枚目となる「NIGHTBREAKER」をリリース。スタジオ・アルバムではバンド史上初めて、アザラシがジャケットに登場しておらず(リンク先のジャケット写真はドイツ盤)、それまでに類を見ないほどアートワークのやる気のないジャケットとなってしまった[4]。
これ以降の音楽性は、基本的には「THUNDERSTEEL」の延長線上のメロディック・パワーメタルであるが、ムーアとは全くスタイルが違い、中音域寄りでややハスキー、かつ湿った声質のディメオのヴォーカルのため、またリアリの作曲パートナーがパワーメタルを得意としていたスタヴァンではなくなった事もあり、攻撃性は薄れた。しかも、デビュー当時からずっとバンドに関わってきたプロデューサー兼マネージャー、スティーヴ・ローブとの確執が「THE BRETHREN OF THE LONG HOUSE」の酷いサウンド・プロダクションを巡って1996年頃から表面化するなど、音楽面以外でも様々なトラブルに見舞われてしまい、中心人物であるリアリが音楽活動に集中できる環境であるとは言い難い状況、更に90年代前半頃から始まったグランジ/オルタナティヴの隆盛など、正統派ヘヴィメタルに対する逆風の吹き荒れる時代の趨勢も相俟って、アルバム自体の話題、セールス等でもムーア時代を超えることはできていない。
ディメオ加入後は、2005年までディメオ、リアリ、フリンツ、ペレスは不動、ドラマーはジャーゾンベクが脱退と再加入を繰り返す、というラインナップで「NIGHTBREAKER(1993年)」「THE BRETHREN OF THE LONG HOUSE(1995年)(Ds:ジョン・マカルーソ)」「INISHMORE(1998年)」「SONS OF SOCIETY(1999年)」「THROUGH THE STORM(2002年)(Ds:ボビー・ロンディネリ)」「ARMY OF ONE(2006年)(Ds:フランク・ギルクライスト)」の各アルバムをリリース。ドラマーは、特に断っていない限りジャーゾンベク。- 2005年9月の来日時には、ヴォーカルをTHE LIZARDS(「THROUGH THE STORM」に参加した元レインボー、ブラック・サバス等のドラマー、ボビー・ロンディネリのバンド)[5]の活動の為参加できなかったディメオに代わりマイク・ティレリが、ドラムスをVIRGIN STEELEのメンバーであり、ティレリと共にHOLY MOTHERのメンバーでもあるフランク・ギルクライストが務めた。
2009年10月現在の最新アルバム「ARMY OF ONE」ではディメオがヴォーカリストを務めたが(Dsはギルクライスト)、結局ディメオは掛け持ち加入していたマスタープランに専念する為に正式に脱退(後にマスタープランも脱退)。2007年の来日公演では再びティレリがヴォーカリストを務め、ディメオ時代には再現できなかった「Dance Of Death」等のトニー・ムーア時代の楽曲を披露し往年のファンを狂喜させた。
8808 THE THUNDERSTEEL REUNION(2008~2009)
- 2008年、「THUNDERSTEEL」20周年を記念して同アルバムリリース当時のメンバーが再集結してアルバムをリリースする、と発表。ムーア、リアリ、スタヴァン、ジャーゾンベクという「THUNDERSTEEL」「PRIVILEGE~」のレコーディング・メンバーにフリンツを加えた5人(初来日時のメンバー)でアルバムの制作を開始。2009年6月にはこのメンバーでテキサス・サンアントニオでライヴを行い、新曲「Wings Are For Angels」や「Swords And Tequila」「Outlaw」「Fight Or Fall」「Johnny's Back」等の曲を披露し、その後「Sweden Rock Festival」などのイベントに参加した。しかし、旧公式サイトの管理人"6th Member"による「Reunionには関われない」とのホームページへの書き込みなど、以前の関係者とリユニオン側の関係者との間に何らかの確執があった様子も窺える。
2009年10月、来日公演が実現、それに先駆けて同年同月「THUNDERSTEEL」「PRIVILEGE~」がデジタル・リマスタリングを施されて再リリースされた。この2枚のアルバムには当初ボーナス・トラック追加の予定があったようだが[6]、実現しなかった。
この日本公演中に、ムーア自身による「アタラシイ・レコード・ハルニデマス」との日本語のアナウンスがありファンは期待を寄せたが、今後の活動方針をめぐって意見が対立し、ムーアは再脱退しFAITH AND FIRE[7]に専念すると発表された。[8]
現在(2009~)
- ムーア脱退を受けてバンドは後任のヴォーカリスト探しを始めたものの結局決まらず、2010年6月にムーアが復帰した。2011年にImmortal Soulを発表。また、「Thundersteel Reunion」のDVDもリリースの予定である。
2012年1月26日、リーダーのマーク・リアリがクローン病に伴うくも膜下出血で死亡。
ディスコグラフィー
オリジナルアルバム
- 1977年 ROCK CITY
- 1979年 NARITA
- 1981年 FIRE DOWN UNDER
- 1982年 RESTLESS BREED
- 1984年 BORN IN AMERICA
- 1988年 THUNDERSTEEL
- 1990年 THE PRIVILEGE OF POWER
- 1993年 NIGHTBREAKER
- 1995年 THE BRETHREN OF THE LONG HOUSE
- 1998年 INISHMORE
- 1999年 SONS OF SOCIETY
- 2002年 THROUGH THE STORM
- 2006年 ARMY OF ONE
- 2011年 IMMORTAL SOUL
ライヴアルバム
ミニアルバム/マキシ・シングル
ベストアルバム
メンバー
現在のメンバー(2010年6月時点)
- ヴォーカル: Tony Moore : トニー・ムーア(1988-1992,2008-2009,2010-)
- ギター: Mark Reale : マーク・リアリ(1975-)
- ギター: Mike Flyntz : マイク・フリンツ(1989-)
- ベース: Don Van Stavern : ドン・ヴァン・スタヴァン(1984-1990,2008-)
- ドラム: Bobby Jarzombek : ボビー・ジャーゾンベク(1988-1994,1998-1999,2008-)
過去に在籍したメンバー
- Guy Speranza : ガイ・スペランザ (1975-1981)
- Rhett Forrester : レット・フォリスター(1981-1984,1986)
- Harry "THE TYRANT" Conklin : ハリー・コンクリン(1986)[11]
- Mike DiMeo : マイク・ディメオ(1991-2007)
- Mike Tirelli : マイク・ティレリ(2005-2008)[12]
- L.A. Kouvaris : L.A.クヴァリス(1975-1981)
- Rick Ventura : リック・ヴェンチュラ(1981-1984)
- Jimmy Iommi : ジミー・アイオミ(1975-1981)
- Kip Leming : キップ・レミング(1981-1984)
- Pete Perez : ピート・ペレス (1990-2008)
- Peter Bitelli ピーター・ビテリ(1975-1981)
- Sandy Slavin : サンディ・スレイヴィン(1981-1984,1986)
- Mark Edwards : マーク・エドワーズ (1988)[13]
- John Macaluso : ジョン・マカルーソ(1994-1998)
- Bobby Rondinelli : ボビー・ロンディネリ(2002-2006)
- Frank Gilchriest : フランク・ギルクライスト(2006-2008)
来日公演
- 12/11 毎日ホール(大阪)・12/12 川崎クラブチッタ(川崎)・12/14,15,16 MZA有明(東京)
- 6/12 川崎市立教育文化会館(川崎)・6/13 簡易保険ホール(東京)・6/14 神戸国際会館(神戸)・6/17,19 渋谷公会堂(東京)
- 加筆求む
- 4/2 クロッシングホール(福岡)・4/3 バッドランド(広島)・4/5 ボトムライン(名古屋)・4/6,7 AMホール(大阪)・4/9 ビーブベースメントシアター(仙台)・4/10 ペニーレーン24(札幌)・4/12,13,14 川崎クラブチッタ(川崎)
- 1/28 梅田ヒートビート(大阪)・1/29 ボトムライン(名古屋)・1/31,2/1 川崎クラブチッタ(川崎)・2/2 ビーブベースメントシアター(仙台)
- 9/1,2,3 池袋LIVE INN ROSA(東京)
- 4/18,19 渋谷クラブクアトロ(東京)
- 10/23 Shangri-La(大阪)・10/24,25 川崎クラブチッタ(川崎)
関連バンド
- Westworld / Mark Reale
- Spastic Ink / Pete Perez、Bobby Jarzombek
- Halford / Bobby Jarzombek
- The Lizards / Mike Dimeo
- MasterPlan / Mike Dimeo
- TNT / John Macaluso
- Virgin Steele / Frank Gilchriest
- Pitbull Daycare / Don Van Stavern
- Leatherwolf / Pete Perez
- Holy Mother / Frank Gilchriest, Mike Tirelli
- Faith and Fire / Tony Moore, Mike Flyntz
脚注
- ^ 同楽曲は、後に本城未沙子、アクセル・ルディ・ペル、屍忌蛇らにもカヴァーされている。
- ^ リアリの後の回想によると、「FIRE DOWN UNDER」の頃がアメリカでは人気のピークだったとの事。再結成後は、アメリカン・ロックとは大きくかけ離れた音楽性もあり、日本やヨーロッパと較べると、本国アメリカではセールス面で苦戦を強いられ続けている。
- ^ ベストアルバム「GREATEST HITS(リリース当初は「STAR BOX」)」の選曲は、当時の所属レコード会社・ソニー・ミュージックエンタテインメント(当時CBSソニー)が版権を所有しているアルバムからの選曲となったが、ソニーは「BORN IN~」の版権も所有していたにも拘らず、同アルバムからは1曲も収録されていない。
- ^ 「THUNDERSTEEL」の裏ジャケットには、アザラシがスーパーマンのような格好で登場しており"Johnny"と名づけられている(但し海外盤のみで日本盤CDにはいない)。「NIGHTBREAKER」日本盤のジャケットは、ペイントツールで矩形を並べた程度のCG。バンド・ロゴはデビュー当時に戻っている。ドイツ盤(リンク先参照)やアメリカ盤はジャケットや曲目が若干異なる。アメリカ盤にはアザラシがいる。
- ^ 「THROUGH THE STORM」に参加したロンディネリが、自分のバンドであるTHE LIZARDSにディメオを誘い、RIOTとの掛け持ちの形で加入させた。ディメオは、かつてサッカー仲間として親しかったリッチー・ブラックモアから、ジョー・リン・ターナーの後任としてディープ・パープルにも誘われ、実際に何曲かレコーディングも行っている。ブラックモアは、RIOTの「青い影(「NIGHTBREAKER」日本盤、米盤に収録)」のデモを聴いてそのヴォーカルに惚れ込んだが、「他メンバーの猛反対に遭い」ディメオ加入は実現しなかったとの事(「Burrn!」のインタビューより)。
- ^ HMVによるアルバム・レビューより。ソニー・ミュージックによるリリース・インフォにも同様の記述がある。
- ^ ムーア、フリンツ、John Miceli(Ds)、Danny Miranda(B)によるバンド。現在唯一のアルバム「ACCELERATOR」のアートワークはムーアが手掛けている。
- ^ BLABBERMOUTH.NETの記事より。
- ^ トニー・ムーア脱退時、その後任として加入寸前までいったヴォーカリスト、Harry "THE TYRANT" Conklinが「Medicine Man」「Magic Maker」(いずれも「NIGHTBREAKER」収録曲)を歌っている。とてもオフィシャル盤とは言い難いが、「Warrior」のマキシシングルも、「ZYX Record」なる不審なレーベルからリアリの全く知らない間にリリースされていたり、RIOTにはこの種の出処不明な怪しい音源が多数存在する。「RIOT LIVE(1989年版)」や「FIRE DOWN UNDER(再発CD)」のボーナス・トラック等もこの種の音源である。
- ^ ソニー・ミュージック独自企画のベストアルバム「STAR BOX」をバンド公認のベストアルバムとして再リリースしたもの。
- ^ 1986年の再結成ツアーで、レット・フォリスターがツアー途中に復帰するまでの短期間在籍した。
- ^ 2005年からマイク・ディメオの代わりにライヴで歌っていた。2007年に正式加入のアナウンスがあったが、直後に「Thundersteel Reunion」が立ち上がったためそのまま脱退した。
- ^ 「THUNDERSTEEL」収録曲「Fight Or Fall」「Sign Of The Crimson Storm」「On Wings Of Eagles」「Bloodstreets」でプレイしている。
公式サイト
- 公式サイト(英語)※現在アクセス不可
- Mark Reale The Official Web Site
暴動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/08/26 21:50 UTC 版)
(RIOT から転送)
暴動(ぼうどう riot)とは、多数の市民・民衆が集合的に暴行・脅迫・破壊などの暴力的な活動を行うことをいう。
目次 |
分類
基本的に、国家の制度組織を違法な手段を以って破壊して変革する目的を持った大規模かつ組織的な暴動を「内乱」と呼び、群衆が単に何らかの対象に対して集団的な暴力・脅迫活動を行う暴動を「騒擾」と呼ぶ。
内乱が戦闘の形態となったら内戦となり、国家を代表する統治機関の政治権力を奪取することを目的とし且つ成功した場合はクーデター・革命と呼ばれる。
特徴
多くは、議会や首長の投票や候補者の身の安全にかかわる問題、暗殺未遂などが派生して、なんらかの政治的要求ないしは経済的要求を標榜するが、指導者が不在であることが多いため体制側が警察・軍隊を出動させ鎮圧を図ることによって、急速に沈静化していくことが多い。
また、イベントなどでのトラブルなどにより、小規模ながら「暴動」が発生する場合もあるが、それが翌日にまで引き継がれる事は少ない。明確な指導者が不在であること(成り行きで起き、扇動者は不明に等しい)、参加者が多数であることなどのため、暴動を起こした(参加した)側の責任が厳しく追及されることはほとんどない。
日本は諸外国に比べ、歴史的事情と法規制(公安条例、集団行進集団示威運動に関する条例)により比較的暴動は起きにくいとされている。しかし、それは外見的な話であり地下鉄サリン事件をオウム真理教が引き起こした事に代表されるように暴動や革命を起こせるだけの組織は潜在的に存在し公安警察の監視対象となっている。日本の場合は「消極的なテロ」という形で表面化する。
なお日本国内では暴動を起こした場合、場合にもよるが、暴行罪・傷害罪・脅迫罪・器物損壊罪・現住建造物等放火罪・建造物侵入罪・騒乱罪・公務執行妨害罪などの罪に問われることになる(内乱を起こした場合、内乱罪となる)。
スポーツにおける暴動
スポーツ競技の試合においては、審判の判定や試合内容に対する不満などが原因となって観客が暴徒と化し、暴動に至るケースがみうけられる。
このようなケースは、海外においてはサッカーの試合において多く見られ、暴徒達はフーリガンと呼ばれる。日本においては、かつてはプロ野球(木戸美摸投手負傷事件など)や競馬(園田事件など)において暴動が発生するケースがあったが、近年はあまり見られない(番狂わせを参照のこと)。
著名な暴動
世界の暴動
- ヘイマーケット事件(アメリカ合衆国)
- ワッツ暴動(アメリカ合衆国)
- ロス暴動(アメリカ合衆国)
- 2005年パリ郊外暴動事件(フランス)
- クロナラ暴動(オーストラリア)
- 天安門事件(中華人民共和国)
- ニューヨーク徴兵暴動(アメリカ合衆国)
- ムハンマド風刺漫画掲載問題(中東)
- モルドバ暴動(モルドバ)
- 1997年アルバニア暴動(アルバニア)
- 2011年英国暴動事件(イギリス)
日本の暴動
「Category:日本の暴動事件」も参照
- 一揆
- 血税一揆
- 長崎事件
- 日比谷焼き打ち事件
- 足尾暴動事件
- 電車焼き討ち事件
- 米騒動
- 花岡事件
- 首相官邸デモ事件
- 血のメーデー事件
- 阪神教育事件
- 平和台事件
- 安保闘争
- 西成暴動
- 東大闘争
- 新宿騒乱
- コザ暴動
- 東峰十字路事件
- 上尾事件
- 首都圏国電暴動
- 園田事件
- 10.20成田現地闘争
- 生卵事件