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三省堂 大辞林

三省堂三省堂

ジャズ 1 [jazz]

二〇世紀初頭アメリカのニューオーリーンズに発祥したポピュラー音楽アメリカ黒人民俗音楽ヨーロッパ音楽融合によって成立四拍子第二、四拍にアクセントをおく躍動的なオフ-ビートリズム即興的演奏などを基本的特徴とするが、演奏形態手法スタイル今日では伝統的なものから前衛的なものまで非常に多様化している。
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Jaz

読み方:ジャズ
別名:Jaz drive

Jazとは、米Iomega社によって開発された外付け記憶装置シリーズ名である。

Jazの持つ記憶容量は1GB、あるいは2GBの2種類があるが、それまでIomega社の主力製品だったZip driveに比ると大幅な大容量化が実現されていた。Zip driveもJazもともに磁気記録方式採用していたが、Zip driveフロッピーディスク技術使用しており、Jazはハードディスク技術使用していた。Jazは日常的データバックアップを取るためには十分な転送速度記憶容量だったとされる

Jazのパソコンとの接続にはSCSI使用する。他の機器との互換性は持たない。なお、2003年12月をもってJazの出荷終了している。


参照リンク
Iomega Support & Downloads - (英文


音楽用語辞典

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ジャズ[jazz]

主に南北戦争後、解放された黒人によってアメリカ南部ニューオーリンズで生み出された音楽ジャンル黒人ブルースゴスペル白人教会音楽などがミックスされてできた。音楽的にはダンサブルリズムインプロビゼーションアドリブ即興演奏)が特徴だがもともと自由に演奏することから生まれ音楽だけに、厳密な定義づけは難しい。スタイルはさらにスウィングバップディキシーフリー・ジャズなどに分けられるほか、メインになる楽器演奏する人数によってさまざまなスタイルがある。


ウィキペディア

ウィキペディアウィキペディア

ジャズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/01 12:29 UTC 版)

ジャズ: jazz)は、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ南部の都市を中心に発展した音楽形式。アフリカ系アメリカ人の音楽形式と西洋音楽の技術と理論が融合して生まれた。演奏の中にブルー・ノートシンコペーションスウィングバラードコール・アンド・レスポンス(掛け合い演奏)、インプロヴィゼーションポリリズムなどの要素を組み込むことが特徴的とされている。 その自由な表現形式は黒人音楽家のみならず白人音楽家にも注目され、技法や理論など急速に発展した。20世紀半ばには人種の枠を越えた音楽のジャンルとして認識され、現代音楽理論をも内包する高度な体系をつくりあげた。その結果、人種、国籍や狭義のジャンルを越えた音楽芸術の現代的様式の一つとなり、様々な方向性に発展を見せる現代の音楽の源流を形作った存在である[要出典]

目次

歴史

起源 - 1930年代

Duke Ellington, 1943年
Buddy Bolden, 1905年頃
Art Blakey, 1985年

ジャズは西洋音楽とアフリカ音楽の組み合わせにより発展した音楽である。スピリチュアルブルースラグタイムの要素を含み、根底的には西アフリカ、西サヘルサハラ砂漠南縁に東西に延びる帯状の地域)、ニューイングランドの宗教的な賛美歌やヨーロッパの軍隊音楽にある。アフリカ音楽を起源とするものについては、アフリカからアメリカ南部に連れてこられたアフリカからの移民(多くは奴隷として扱われた)とその子孫の民族音楽としてもたらされたとされており、都市部に移住した黒人ミュージシャンによってジャズとしての進化を遂げたといわれている。

ニューオーリンズが発祥の地[1]とされており、この地区での当時のスラングで、女性性器性行為をjass、売春宿をJass Houseと呼んでいて、売春宿の待合室や酒場を主な活動場所にしていた演奏家たちのことをJASS BANDと呼んだことが、JAZZの語源となった[1]という説もあるが、「JAZZはシカゴで成立した語」「フランス語のjaser(「くだらない話」の意味とも、アフリカ系アメリカ人に対する軽蔑を意味したとも言われる)から」[2]などと、現在でもその語源ははっきりしない。20世紀に入ると、コルネット奏者のバディ・ボールデンがニューオーリンズで人気を博し、今日では「初代ジャズ王」と呼ばれているが、バディは1907年に活動停止し、本人による録音は残されていない[3]

1917年、ニューオーリンズ出身の白人バンドであるオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドが、ジャズでは初の商業用レコードとなる、“Dixie Jass Band One Step”と“Livery Stable Blues”の2曲入りシングルをビクタートーキングマシンから発表。

初期のジャズは、マーチングバンドと20世紀初頭に流行したダンス音楽に影響を受けており、ブラス(金管楽器)・リード(木管楽器)・ドラムスによる組み合わせの形態はこれらの影響に基づくものといえよう。当初は独学でジャズを創作していった者も少なくなかったが、ジャズと音楽理論が融合するようになっていったのは、ジャズが黒人社会に広く普及し、古典的なヨーロッパの音楽理論を取得したアフリカ系黒人ミュージシャンがジャズに反映させていく時点からである。アメリカの禁酒法時代に地下化した酒場に集うミュージシャンによって、あるいはレコードラジオの普及によって、ダンスミュージックなどのポピュラー音楽のスタイルがまだまだ渾然一体となっていた1920年代初頭にはアメリカを代表する音楽スタイルの一つとして、アメリカ国内の大都市に急速に広まった[1]第一次世界大戦から大恐慌までのアメリカの隆盛期が「ジャズ・エイジ」と呼ばれるのはこのためである。1920年代にはイギリスでもジャズが流行り、後のエドワード8世も少年時代にレコードを収集するなど、幅広い層に受け入れられた[1]

1930年代には、ソロ演奏がそれまで以上に重要視されるようになり、ソロを際だたせる手法の一つとして小編成バンドが規模拡大してビッグ・バンドスタイルによるスウィング・ジャズが確立されるようになり、人気を博す。この背景には、人種的障壁で隔てられていた黒人ミュージシャンと白人ミュージシャンの媒介としての役割を果たしたクレオールの存在があった[1]。スウィング・ジャズはアレンジャーとバンドリーダーの立場がより重要視されるようになり、特に代表的なバンドリーダーの一人であるルイ・アームストロングの存在は、ジャズとヴォーカルとの融合という側面(アームストロングはトランペット奏者でありながら自ら歌も歌った)において重要な役割を果たした。

1940年代以降

その一方で、ソロを際だたせる別の手法として、アレンジを追求したスウィング・ジャズとは異なる方向性を求める(あるいはスウィング・ジャズに反発する)ミュージシャンにより、即興演奏を主体としたビバップ等の新たなスタイルが模索されるようになる。1940年代初頭には、ビバップに傾倒するミュージシャンも増えていくが、1942年8月から1943年秋にかけて、アメリカで大規模なレコーディング・ストライキがあったため、初期ビバップの録音はわずかしか残されていない[3]。1940年代後半には、チャーリー・パーカーディジー・ガレスピー等が多くの録音を残し、1950年代には、クール・ジャズウエストコースト・ジャズハード・バップ等の新たなスタイルが登場し、モダン・ジャズの流れを作り出すことになる。

1957年、フランス映画『大運河』(監督:ロジェ・ヴァディム)でジョン・ルイスが音楽を担当し、サウンドトラックはジョンが在籍するモダン・ジャズ・カルテット名義の『たそがれのヴェニス』として発表。サウンドトラックを丸ごとジャズにゆだねたのは、伝記映画を除けば初のことであった。以後、フランスで「シネ・ジャズ」と呼ばれる動きが起こり、マイルス・デイヴィスが『死刑台のエレベーター』(監督:ルイ・マル)に、セロニアス・モンクが『危険な関係』(監督:ロジェ・ヴァディム)に、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズが『殺られる』(監督:エドゥアール・モリナロ)に、ケニー・ドーハムが『彼奴を殺せ』(監督:エドゥアール・モリナロ)に参加。1958年には、アメリカ映画私は死にたくない』(監督:ロバート・ワイズ)にジェリー・マリガンアート・ファーマー等が参加し、以後アメリカでも、ジャズが本格的に映画音楽として使用されるようになった[4]

1950年代末期には、マイルス・デイヴィスの『マイルストーンズ』『カインド・オブ・ブルー』といった作品で、モード・ジャズという手法が試みられ、即興演奏の自由度が増す。一方、オーネット・コールマンやセシル・テイラー等は、より前衛的で自由度の高いジャズを演奏し、1960年代になると、オーネットのアルバム名からフリー・ジャズという言葉が広まっていった[5]

1960年代前半には、ブラジル音楽ボサノヴァに注目するジャズ・ミュージシャンも多くなる。スタン・ゲッツは『ジャズ・サンバ』(1962年)をビルボード誌のポップ・チャート1位に送り込み[6]、翌年にはボサノヴァの重要人物(ジョアン・ジルベルトアントニオ・カルロス・ジョビン等)との共演盤『ゲッツ/ジルベルト』を制作、グラミー賞アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。1965年には、『リカード・ボサノヴァ』が、ジャズの曲として大ヒットし、スタンダード・ナンバーとして認知されるまでになる。

1960年代までのジャズは、一部の楽器(エレクトリックギターハモンドオルガン等)を除けば、アコースティック楽器が主体だった。しかし、1960年代末期、マイルス・デイヴィスはより多くのエレクトリック楽器を導入し、『ビッチェズ・ブリュー』を大ヒットさせる。同作に参加した多くのミュージシャンも、独立してエレクトリック楽器を導入したバンドを次々と結成し、後にフュージョンと呼ばれるスタイルに発展していく。

日本における歴史

日本に初めてジャズが伝わったのは1900年頃とされている。上陸地はさだかではなく神戸港横浜港大阪港など諸説存在する。

1923年(大正12年)4月に日本で初めてのプロのジャズバンドが神戸で旗揚げした。宝塚少女歌劇団オーケストラ出身の井田一郎をリーダーとするラッフィング・スター・ジャズバンド(ラッフィング・スターズ)である。その後1925年(大正14年)に井田は大阪でチェリーランド・ダンス・オーケストラを結成し活動するが、大正天皇崩御を理由に大阪市がダンスホールの営業を1年間停止したため、大阪を拠点としていた井田や南里文雄ら多くのプロのジャズマンは東京に拠点を移していった。戦前に発売された国産ジャズレコードの中には著しくレベルの低いものも多数見受けられるが、それでも着実にファンを増やしていった。歌手としては二村定一淡谷のり子バートン・クレーンディック・ミネ川畑文子中野忠晴、ベティ・稲田らが、ボーカルグループではコロムビア・ナカノ・リズムボーイズやアメリカのボードヴィルの影響を受けたあきれたボーイズがそれぞれ人気を集め、作曲家としては服部良一がジャズの要素を用いた数多くの曲を生んだ。(従って、一部で言われている`ジャズは明るい戦後文化の象徴`というのは間違いである)

太平洋戦争中は禁令 [7]や自主規制などでジャズは鳴りを潜めたが、学生や軍人の中でも密かにレコードを聴いて楽しむ者も多かった。特攻隊員の川柳に「アメリカと戦ふ奴がジャズを聞き」「ジャズ恋し早く平和が来ればよい」などと遺されていることからも分かる。戦後多くの元陸海軍軍楽隊員がジャズ畑へ転向した。戦後の日本には米軍基地が置かれ、ジャズを筆頭とするアメリカ音楽は大々的に日本へと入ってきた。(戦後の人々は戦前と文化的に断絶されたためか、ジャズは戦後世代の象徴としているが、戦前にもジャズはあった)

戦後は、服部良一が作曲したブギウギを笠置シヅ子に歌わせたことから始まる。つづいて、江利チエミジョージ川口ティーブ釜萢ムッシュかまやつの父)、ナンシー・梅木世良譲などのすぐれた歌手、演奏家などが出、ジャズが大衆化した。一時期は、外国のポピュラー音楽をすべて「ジャズ」と呼ぶ風潮が広がったほどである[8]。また、神戸や阪神間の学生を中心にデキシーランドジャズ・バンドが数多く生まれている。

1956年穐吉敏子が、1962年渡辺貞夫がバークリー音楽院(現バークリー音楽大学)に留学[9]1963年には松本英彦モントレー・ジャズ・フェスティバルに出演する等、国際的に活動するミュージシャンも増えていった。

1960年頃、アート・ブレイキーのモーニン1958年発表)のヒットにより、ファンキー・ブームが起こった[10]

1961年に発足、翌年改名したミュージシャンたちの勉強会 新世紀音楽研究所(改名前はジャズ・アカデミー)に集った高柳昌行、金井英人、富樫雅彦日野皓正菊地雅章山下洋輔らが、毎週金曜日に銀巴里ジャムセッションを行った。日野皓正は、そこが自身のフリー志向の原点だと述べる[11]

1970年代初め頃からフリー・ジャズが盛んになってくる。1970年代後半になると、国鉄(現JR中央線沿線(西荻窪吉祥寺八王子など)を拠点とするミュージシャンも多く登場し、1980年代後半、新星堂プロデューサーが「中央線ジャズ」という言葉を提唱[6]

1977年からライブ・アンダー・ザ・スカイ1980年からオーレックス・ジャズ・フェスティバル、1981年から神戸ジャズストリートなど、ジャズ・フェスティバルが催されるようになった。

主なスタイル/ジャンル

いずれも活発に演奏され、かつ発展している生きたスタイルである。

何がニューオーリンズ・ジャズであり、何がディキシーランド・ジャズであるかという明確な合意はないが、初期の様に黒人によって演奏されるのがニューオーリンズジャズ、白人によって演奏されるのをディキシーランドジャズと区別するのが一般的である。



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  1. ^ a b c d e 斎藤真 他(監修)『アメリカを知る事典』(平凡社、1986年)pp. 210-217
  2. ^ 内藤遊人『はじめてのジャズ』(講談社、1987年)pp.57-58
  3. ^ a b 岩浪洋三『これがジャズ史だ〜その嘘と真実〜』(朔北社、2008年)pp.65-68、291-292
  4. ^ 相倉久人『新書で入門 ジャズの歴史』(新潮社、2007年)pp.116-127
  5. ^ 『フリー・ジャズ』レビュー(All Music Guide)
  6. ^ a b 『音楽CD検定公式ガイドブック上巻』(音楽出版社、2007年)p.131, 220
  7. ^ 以下の3つの基準で禁止された。1).旋律の美しさを失った騒擾的なるリズム音楽。2).余りに扇情的淫蕩的感情を抱かしめる音楽。3).怠惰感を抱かしめる様な退廃的或は亡国的なる音楽(情報局・内務省共編「出版警察報」138号、1941年7月p64)。
  8. ^ みつとみ俊郎 『音楽ジャンルって何だろう』 新潮社〈新潮選書〉、1999年12月25日、p.40
  9. ^ 『jazzLife』(2010年7月号)p.57
  10. ^ 『jazzLife』(2010年7月号)p.55 ファンキー・ブームは世界のいくつかの国で起こり、フランスでのブームが最初。
  11. ^ 『jazzLife』(2010年7月号)p.56, 57 日本のミントンズ・プレイハウスといえるのだという。






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