橋
『源平盛衰記』巻10「中宮御産の事」 中宮徳子御産の折、二位殿が一条堀川戻り橋で橋占を問うと、14~15歳の童部が12人、手をたたいて「榻は何榻国王の榻、八重の潮路の波の寄せ榻」と歌い、橋上を走り過ぎた。これは、安徳天皇が8歳で壇の浦に沈むことを予示したのだった。
『ドイツ伝説集』(グリム)212「橋の上の宝の夢」 男が「レーゲンスブルクの橋へ行くと金持ちになれる」との夢告を得て、毎日橋へ出かける。そこで会った商人が、木を指して「あの下に宝があるとの夢を見たが、本気にはしない」と言う。男は木の下を掘って宝を見つける。
『味噌買橋』(昔話) 乗鞍岳麓の村に住む炭焼き長吉が、「高山の味噌買橋に行けば良い事がある」との夢告を得る。長吉が高山へ行って何日も味噌買橋のたもとに立っていると、豆腐屋が来て「乗鞍岳麓の長吉という人の家の側に杉があって、その根に宝物が埋まっているという夢を、私は見た。しかし夢なんかあてにならぬ」と言う。長吉はすぐ自分の家に帰り、杉の根から宝物を掘り出して、長者になった(岐阜県大野郡高山町)。
『今昔物語集』巻27-13 「近江国安義の橋に怪異あり」との噂の実否を確かめるため、1人の男が夕暮れ時、馬に乗って出かける。橋上にたたずむ女が声をかけるのを無視して通り過ぎると、女は丈9尺の一眼の鬼となって、追って来る→〔変身〕8c。
『今昔物語集』巻27-21 瀬田の橋を渡る紀遠助に、怪しい女が箱を託して、「美濃国の某所の橋で待っている女に届けて下さい」と依頼する。女は「箱を開けてはなりません」と禁ずるが、遠助の妻が箱を開けてしまう(*→〔箱〕3b)。遠助はあわてて箱に蓋をして、美濃国の某所の橋まで持って行く。待っていた女が不機嫌な顔で、「箱を開けましたね」と言って受け取る。遠助はその後、死んでしまった。
『俵藤太物語』(御伽草子) 近江国瀬田の橋に大蛇が横たわり、人々は行き悩んでいた。俵藤太秀郷が行って見ると、20丈ほどの大蛇が12の角をとがらせて臥している。秀郷は少しも恐れず、大蛇の背をむずむずと踏んで通り過ぎる〔*大蛇は勇者を探すために橋上にいたのであり、秀郷を勇者と見込んで大百足退治を依頼する〕。
『橋弁慶』(能) 夜更けの五条の橋に、小太刀で斬り廻る少年が現れると聞いた弁慶は、「その化生の者を退治しよう」と出かける。橋上で弁慶は少年と激しく闘うが、どうしても勝つことができない。少年が「吾は源義朝の子・牛若」と名乗るのを聞いて弁慶は降参し、その場で牛若と弁慶は主従の契約を結ぶ。
*一条堀川の橋で百鬼夜行に出会う→〔唾〕1cの『今昔物語集』巻16-32。
『三国伝記』巻6-9 吉野・熊野で修行した浄蔵が6年ぶりに帰京する。彼は一条通りを東進し、堀川の橋に到った時、父・三善清行の葬列に出会った。浄蔵は諸仏に祈り、死後4日の父を蘇生させた。一条堀川の橋を「戻り橋」というのは、三善清行が冥府からこの世へ戻ったゆえ名づけられたのである〔*『撰集抄』巻7-5に簡略な類話〕。
『哀愁』(ルロイ) 第1次大戦時、空襲警報下のウォータールー橋で、若い大尉クローニンとバレリーナのマイラとが出会う。2人は恋に落ち結婚を約束するが、出動命令が下って、クローニンは戦線へ行かねばならない。後、不運が重なり(*→〔死の知らせ〕3)、マイラは、思い出のウォータールー橋を走るトラックに身を投げて死ぬ。それから20年後。第2次大戦開戦の日、大佐となったクローニンは、ウォータールー橋に1人たたずみ、マイラを思う。
『君の名は』(菊田一夫) 昭和20年(1945)5月24日の大空襲の夜、数寄屋橋で、後宮春樹は若い娘(氏家真知子)の命を救う。「半年たって生きていたら、もう1度ここで会おう」と春樹は言い、「君の名は?」と問う。真知子は「お互いに名前を知らぬまま再会する方がロマンチックだ」と思い、「必ず来るわ」と答える。2人は互いの名を知ることなく、手を握り合って別れる→〔すれ違い〕1。
★3b.男どうしが出会うこともある。
『絵本太閤記』 三河岡崎の矢作(やはぎ)橋の上で日吉丸が眠っていると、蜂須賀小六の一行が通りかかり、日吉丸の頭を蹴った。日吉丸は起き上がり、「気をつけて歩け! 通るなら、目を開けて、お辞儀をして行け」と、啖呵をきった。蜂須賀小六が日吉丸を見ると、まだ12~13歳の子供だったが、胆力があり、頭も良さそうだった。小六は日吉丸に無礼を詫び、「行く所がないなら、おれの手下にならぬか」と誘った。
*この物語の変形が、『明(みん)史』巻322「外国」3「日本」の、平秀吉と関白信長の出会いの物語であろう→〔木〕13c。
『黄金伝説』49「聖パトリキウス」 貴族ニコラウスが、悪行を償うため煉獄へ下る。火と硫黄の川の上の狭い橋を、主の御名を唱えつつ渡り、花々の香る草原に到る。2人の少年が彼を黄金と宝石に輝く都に案内し、「ここは楽園だ」と告げる。
『古事記』上巻 高天の原に生まれ出たイザナキ・イザナミの2神は、くらげのごとく漂っている下界の土地を修め固めるために、天の浮橋の上に立った。2神は天の浮橋から天の沼矛を指し下ろして、オノゴロ島を作り成した。
『石橋(しゃっきょう)』(能) 唐の清涼山の石橋は、人間が造ったのではなく、自然に出現したものである。幅1尺足らず、長さ3丈余で、深さ千丈の谷にかかっており、向かいは文殊菩薩の浄土である。渡唐した寂照法師が石橋を渡ろうとすると、童子が「危険である。人間には渡れない」と言って止める。やがて石橋の上に、文殊菩薩の乗り物である獅子が現れ、千秋万歳を祝って舞う。
*→〔梯子〕1aの『丹後国風土記』逸文「速石の里」(天の橋立)。
『黄金伝説』156「奉教諸死者の記念」 死者のうち心正しい者は、橋を渡って美しい草原へ行く。そこには純白の衣を身にまとった一群の人々がいる。心正しくない者は橋を渡れず、下の悪臭を放つどぶ川にころげ落ちる。
『奇談異聞辞典』(柴田宵曲)「鬼橋」 備後国帝釈山の谷川に、石をもって切り立てた長さ20間・幅3間の反橋があり、これを「鬼橋」と名づけている。神代の昔、梵天・帝釈が天下り、数万の眷属の鬼が来て、一夜のうちに橋が完成した。この橋を渡り得れば浄土に至り、渡り得ざる者は地獄へ堕ちるという。しかし今では渡る人がなく、草木が茂っている(『諸国里人談』巻1)。
★5.橋を架ける。
『俊頼髄脳』 役行者(えんのぎょうじゃ)が、葛城山に住む一言主神に「この山から吉野山まで、岩橋を渡して下さい」と請う。一言主神は願いを聞き入れ、「私は容姿が醜く、人々が恐れるといけないから、夜だけ現れて橋を架けよう」と言う。しかし一言主神は、橋を少し造りかけながら、途中でやめてしまった。役行者は怒り、一言主神を葛(かずら)で山に縛りつけた。
『ラーマーヤナ』第6巻「戦争の巻」 ラーマと猿軍は、工神ヴィシュヴァカルマンの息子ナラの援助を得て、5日間でインドからランカー島への橋を作る。ラーマは猿軍を率いて、ランカー島のラーヴァナの城へ攻めこむ。
*→〔最初の人〕2cの『ドイツ伝説集』(グリム)186「フランクフルトのザクセンホイザー橋」・〔名当て〕2の『大工と鬼六』(昔話)。
★6.橋が落ちる。
『八幡祭小望月賑(はちまんまつりよみやのにぎわい)』(河竹黙阿弥) 深川八幡祭の夜、大勢の人出の中で喧嘩騒ぎが起こる。花水橋の欄干が壊れ、多くの人が川に落ちて死ぬ。芸者美代吉は、橋の下を通りかかった縮屋新助の小舟に落ち、命拾いをする。かねて美代吉に思いを寄せていた新助は、彼女を口説くが断られる〔*新助は妖刀村正をふるい、美代吉をはじめ20数人を殺す。その直後に新助は、美代吉が5歳の時生き別れた妹だったことを知る〕。
*祭りの群集の重みで、永代橋が落ちる→〔財布〕1の『永代橋』(落語)。
★7.橋を破壊する。
『戦場にかける橋』(ブール) 第2次大戦下、日本軍はイギリス兵捕虜たちを使役して、タイ・ビルマ(ミャンマー)国境のクワイ河に、橋を架ける。捕虜長ニコルスン大佐は綿密な工事計画をたて、日本兵も作業に協力し、橋は完成する。その時、連合軍特殊部隊が橋を破壊すべく爆弾をしかける。ニコルスン大佐は橋を守ろうとし、特殊部隊は、日本兵のみならずニコルスン大佐をも砲撃する。しかし橋に大きな損傷を与えることはできなかった。
『誰がために鐘は鳴る』(ヘミングウェイ) 内戦下のスペインで、アメリカ人青年ロバート・ジョーダンは民主主義防衛のため、ゲリラ活動に身を投じて政府軍を支援する。ゲリラたちは、敵ファシスト部隊を孤立させるべく、その背後の鉄橋を爆破するが、ロバートは馬の下敷きになり、大腿骨を骨折して動けなくなる。彼は恋人マリアを仲間たちに託して去らせ、1人残って敵兵に銃を向ける。
魚橋の伝説 行基菩薩が川向こうの寺を訪れようとするが、大洪水で橋が流される。鯉の大群が背を連ねて行基の前に集まり、行基は鯉の背に乗り川を渡る。人々はこれを「魚橋」と呼び、以後、鯉の殺生を絶った(大阪府豊中市)。
『淮南子』逸文 7月7日の夜、天の川に多くの鵲が羽を連ねて橋を作り、織女を渡す。
猿橋の伝説 推古天皇の代。百済の志羅乎(しらこ)が桂川の架橋工事を依頼され、その設計に苦慮していた。ある日、多くの猿たちが体をつなげ合って橋を作り対岸へ渡るのを見て、木を少しずつ重ね合わせ支柱なしで橋を作る方法を、志羅乎は思いついた(山梨県大月市猿橋町猿橋)。
『捜神記』巻14-3(通巻342話) 稾離(高麗)国王は、息子東明に国を奪われるのではないかと恐れ、東明の命をねらった。東明は逃げ、南方の施掩水まで来て弓で水を叩くと、魚やすっぽんが橋を作って東明を渡した〔*『論衡』「吉験篇」に類話〕。
『平家物語』巻5「咸陽宮」 秦国に捕らわれていた燕の太子丹が、故国へ帰ろうとするが、秦軍が橋に仕掛けをしたため、丹は川中へ落ちる。しかし数多くの亀が水上に浮かんで甲羅を並べ、丹はその上を歩いて対岸に着く。
*1頭の大鹿が橋となって、多くの獣たちを渡す→〔犠牲〕4cの『大智度論』巻26。
*兎が鰐をだまして、一列に並ばせる→〔わに〕3の『古事記』上巻。
★8b.わらが横たわって橋になる。
『藁と炭と豆の旅』(昔話) 藁と炭と豆が、京参りの旅をする。川に橋がなかったので、藁が横たわって橋になる。炭が橋を渡る時、川風で炭の火がおこり、藁が燃えて、炭と藁は川に落ちる。豆がそれを見て笑い、腹の筋が切れたので、富山の薬売りが黒糸で縫ってくれる。今でも豆の腹には、黒糸の縫い目が残っている(新潟県長岡市栖吉町)〔*『わらと炭とそらまめ』(グリム)KHM18と同型〕。
『橋』(カフカ) 「私」は橋だった。深い谷のこちら側に両足のつま先を、向こう側に両手を突き立てて、誰か来るのを待っていた。旅人が来て、杖で「私」をつつき、ヒョイと「私」の真ん中に跳び乗った。「私」は「誰だろう?」と思い、子供か、幻影か、追い剥ぎか、自殺者か、誘惑者か、破壊者か、知りたくて寝返りを打った。とたんに「私」は落下し、バラバラになった。
★9.橋から落として殺す。
『唄をうたう骨』(グリム)KHM28 2人兄弟が猪退治に出かけ、弟が猪をしとめる。しかし兄が、弟を橋の上から川へ突き落として殺し、死体を橋の下に埋める。兄は猪退治の手柄を横取りし、褒賞として王女を得る→〔笛〕6。
『踊る骸骨』(昔話) 七べえと六べえが出稼ぎに行くが、その帰り、七べえは六べえを一本橋から谷底へ突き落として殺し、金品を奪う。翌年、七べえが一本橋を通る時、骸骨が現れ、「おれは六べえだ。骸骨姿で踊るから、それを人に見せて金を取れ」と言う。七べえは、方々の村で骸骨踊りを見せ、金をもうける(新潟県長岡市前島町)→〔霊〕6c。
橋と同じ種類の言葉
- >> 「橋」を含む用語の索引
- 橋のページへのリンク