『戦場にかける橋』
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「ヴィッカース重機関銃」の記事における「『戦場にかける橋』」の解説
日本陸軍が使用。作中の日本兵は、本機関銃やリー・エンフィールド小銃を装備している。
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『戦場にかける橋』
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1956年、雪洲は帝国ホテルに滞在していたイギリスの映画プロデューサーのサム・スピーゲルから、ハリウッドの大作映画『戦場にかける橋』の出演依頼を受けた。雪洲が演じるのは日本軍捕虜収容所所長の斉藤大佐という重要な役であり、監督のデヴィッド・リーンは『悲劇の将軍 山下奉文』を観て雪洲の演技を気に入り、斉藤大佐役は雪洲以外に考えられないと思ったという。スピーゲルから渡された脚本を読んだ雪洲は、ジャングルが舞台で、女優が登場せず、日本人とイギリス人の軍人の男2人が鉄道橋建設をめぐり対立する物語に魅力を感じず、いったんは出演を断ろうとしたが、鶴子に「きっといい映画になる」と言われ、それから何度も脚本を読んで見ると雪洲もだんだんそんな気がしてきて、出演を決心したという。ギャラは最初の10週間で2万ドルだった。 雪洲はスリランカの山奥での長期ロケに参加したが、それは困難を極め、娯楽もなく、女もいない男だけの殺伐とした環境と、夜も気温が下がらないほどの蒸し暑さには辟易した。完成した作品は1957年に公開されると好評を博し、興行的にも高い成功を収め、雪洲の演技も「武士道を貫く日本軍人をよく演じた」と批評家に高く評価された。作品は第30回アカデミー賞で作品賞など7部門を受賞し、雪洲も助演男優賞にノミネートされたものの、受賞には至らなかった。また、雪洲は第15回ゴールデングローブ賞の助演男優賞にもノミネートされ、ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞では助演男優賞を受賞した。雪洲にとって『戦場にかける橋』は人生最大の評価を受けた作品となり、鳥海が「日本の中高年世代なら、雪洲といえば『戦場にかける橋』を思い出す人が少なくないだろう」と述べているように、多くの人が雪洲のイメージとしてまず頭に思い浮かべるような代表作となった。
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