マルクス経済学批判
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「マルクス主義批判」の記事における「マルクス経済学批判」の解説
「マルクス経済学」、「労働価値説」、および「資本論」を参照 労働価値説は、マルクス主義のなかで最も一般的に批判されている教義の1つである。 オーストリア学派のカール・メンガーは 『国民経済学原理』(1871年)などで、労働価値説およびアダム・スミスからマルクスにいたる古典派経済学を客観主義として批判し、人間は創造的で主体的な行為者であり、主観的価値が重要であるとする主観主義経済理論を論じた。古典派経済学は、階級・集計量・物理的生産要素などが客観的実在として存在することに固執したが、人間の欲求を直截的に満たす「第一次元の財」は消費財であり、それは行為者が求める窮極的な目的であり、人々はそれぞれの主観的価値を持つ目的をかなえるために、またそれに動機づけられて経済行為をおこなっていくとメンガーは主張し、経済行為者の主観的視点と経済行為のプロセスを経済学の研究対象とした。メンガーは、価値とは、目的に対する行為者の主観評価であり、効用とは、手段に対する行為者の主観評価であるとする。 経済学での価値理論において、価値の源泉を労働から、個人の主観的な価値評価へ移行したことは、マルクスの経済理論の結論を覆すことになるとミーゼスはいう。 マルクスは、資本家階級を革命により没落させようと主張しているが、資本家はリスク管理や市場調査などの重要な社会的分業を担っているのであり、その役割を不当に過小評価している。経済学者オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルクは『資本利子理論の歴史と批判』(1884年)でマルクスの搾取論を批判し、1896年には『マルクス体系の終結』を発表し、批判した。1884年にはルロワ・ボーリューが『集産主義-新しい社会主義の批判的検討』を発表した。 貧困の解決を課題としたイギリスの経済学者アルフレッド・マーシャルも『経済学原理』(1890年)などで労働価値説とマルクスの価値理論を批判し、「工場での糸の紡績が労働者による労働の産物であるというのは正確ではない。それは労働者の産物であるだけでなく、雇用主、管理者、など資本家の産物でもある」として、資本家はビジネスへの投資を通じて工場の仕事を生み出すとともに生産性に貢献すると指摘し、また、価格や価値は供給だけでなく、消費者の需要によっても決定されるとして需要と供給を分析した。 経済学者レオン・ワルラスも1896年に『社会経済学研究』第5章「所有の理論」でマルクス経済学の労働価値説を希少性価値説から批判し、マルクス主義的な集産主義は、「その基礎の欠陥のためにつまずく実践的な不可能性」を持っていると指摘された。ワルラスによれば、マルクスは労働にのみ価値を認め、土地用役の価値を認めないため、土地用役を必要とする生産物が需給不一致する場合は生産を停止するしか方法がなく、効用面で大きな犠牲を払う。また、ワルラスによれば、マルクスは国家を唯一の企業者とみなすが、その生産計画において消費者の需要を知る必要があるのに、消費者の必要性は絶えず変化するため、消費者から国家に伝えることができない。他方市場では価格変動に任せられる。マルクスは正義の実現のために経済的有利性を犠牲にしていると、ワルラスは批判した。ワルラスは、資本家と企業者、両者の受け取る利子と利潤も区別するべきだが、「資本家兼企業者による搾取を排除するために、マルクス主義はすべての企業を国家の手にゆだねる」と批判した。ただし、ワルラスも企業者が異常な利潤を手中におさめないように、国家が役割を担うべきだと考えていた。 エンゲルスとも親交のあったドイツの社会民主主義者ベルンシュタインは、独占資本の形成が資本と労働の敵対関係を変化させたとして、剰余価値論、資本蓄積論、貧困化論などを批判し、またプロレタリア独裁の観点を排撃し、民主主義的改良による社会主義を唱えた。マルクス主義陣営はベルンシュタインを修正主義として排斥した。 V.K.ドミトリエフは1898年の著作で、ミハイル・トゥガン=バラノフスキーは1905年の『マルクス主義の理論的基礎』で、ラディスラウス・フォン・ボルトキエヴィチは1906-07年の著作でマルクスの労働価値説や利潤率低下の法則は矛盾していると批判した。マルクスの理論的前提が過誤であれば、剰余価値や、労働者の搾取が利潤の唯一の源泉であるという主張は疑問視されることになる。 ジョン・メイナード・ケインズは『説得論集』(1931)で「資本論」を「科学的に誤りがあるだけでなく、現代世界への関心や応用もない時代遅れの教科書」とコメントした。 シュンペーターは「資本主義・社会主義・民主主義」(1949)で、ジョーン・ロビンソンは「マルクス経済学についての一試論」(1942)や「マルクス主義経済学の検討」(1955)で、サミュエルソンは「経済学6版」(1964)、マレー・ウルフソンは「マルクス経済学の再評価」(1964)でそれぞれマルクス経済学の批判的検討を行なった。 経済学者高田保馬は『マルクス価値論の価値論』(1930年)や『マルクス経済学論評』(改造社,1934年)、「マルクス批判」昭和30(1955)などで、たびたびマルクス経済学を批判した。 経済学者小泉信三は『マルクス死後五十年』(昭和8、1933年)などでマルクス主義批判を行ない、マルクスは『資本論』の中で、商品過剰と労働者過剰による資本主義の没落を説いたが、これはただの景気循環の問題に過ぎず、資本主義の本質的な没落を招く欠陥ではないとし、ケインズが主張したように財政出動による公共事業の失業対策で対処可能で、あくまでも商品価格は需給関係によって成立するのであり、労働価値説は誤りだと批判した。ほかに経済学者難波田春夫、経済学者堀江忠男や、竹内靖雄もマルクス経済学を批判した。 マルクス主義は「資本主義」をあらゆる人間を奴隷にしてしまう「最も恐ろしく逃れられない帰結を有する経済メカニズム」と解釈し、マルクスが「一人の資本家は、他の多くの資本家を殺す」と書いたように、資本は少数の手に集中し、多くの無産階級が悲惨な飢えに苦しむことになるとされる。しかし、哲学者のカール・ポパーはこのような「資本主義」は存在しない、単なる妄想であると批判する。マルクス主義を掲げた政党は、この妄想された社会システムを抹殺することを主要課題とし、実際にソ連は西側諸国との核兵器軍備拡張競争に熱中し、敗北したが、こうしたことは「資本主義の地獄という存在しないものを一掃するということがマルクス主義の課題でだったから生じたこと」で、「マルクス主義は知的なブラックホールへと、虚構の絶対零度へと落ち込んでしまった」とポパーはいう。 マルクスの搾取理論は、労働価値説と剰余価値理論、つまり、商品の価値は社会的に必要とされた労働量に比例するという理論に基づいている。しかし、搾取という基本的なアイデアは価値理論にそれほど依存すべきなのか、その場合、労働価値説に誤りがあるならば搾取理論も崩壊することになると政治哲学者ロバート・ノージックは『アナーキー・国家・ユートピア――国家の正当性とその限界』(1974年)で異議を提起した。 1985年に経済学者トーマス・ソウェルは、「資本論」は巨大な知的偉業であるが、経済学への貢献は事実上ゼロであり、マルクス経済学者でさえ、マルクスの経済分析ではなく、イデオロギー的、政治的、または歴史観のためにのみマルクスを用いている。「資本論」は、歴史的には世界的な政治運動の中核とみなしうるが、経済学の専門家の間では袋小路への入り口にすぎない。しかし、「資本論」を読んだことがない人々によって「資本論」は語られたあげく、天才が資本主義の間違いを「証明」したという保証(権威に訴える論証)の源泉となり、魔術的な力を持つとみなされたと指摘する。 ジョージ・スティグラーは、マルクス経済学は、主要なエコノミストの専門的な仕事に実質的な影響を与えていないと1988年に指摘している。ロバート・ソローは、マルクスは重要な思想家であり、マルクス主義も知的な影響力をもっていたが、まじめな経済学者はマルクス経済学を行き止まりの袋小路とみなしているという。 ゲーリー・モンジオヴィも、マルクスの価値と利潤率についての説には矛盾があると批判した。 経済学者・政治哲学者マレー・ロスバードは、マルクスの理論の中核にある「物質的生産力」や「生産関係」は曖昧な定義しかなされていないと指摘する。マルクスは「哲学の貧困」のなかで、技術の進歩によて新しい生産力を獲得し、それが生産様式と社会的関係も変化させていくと述べるが、この技術はどこから来たのか、誰が作り改善していくのか、マルクスはこの始まりの問題について言及していない。フォン・ミーゼスが指摘したように、生産の技術的設備・道具・機械といった、「物質的な生産力」の起源について問いかけることはマルクス主義では許されないため、これらの技術や技術革新は天国から与えられたと仮定するほかないのである。しかし、技術発明は「物質的」というよりも、新しいアイデアを考案する精神的なプロセスの産物であり、道具や機械は物質的ではあるが、それを生み出した心理的な働きは精神的なものである。機械はアイデアが具体化したものであり、そこには発明だけでなく、設備投資も必要であるし、社会において分業が十分に発達していることも必要である。技術決定論者でもあったマルクスはロンドンの電気機関車の展示会を見学し、「電気は必然的な共産主義革命を引き起こす」と喜んでいたが、そうした技術のイノベーション・発明には資本家の投資やそこにたいる合理的な判断などの介入があった。生産関係には明らかに法的な財産関係が先立って存在しているが、マルクスはこれを無視して、生産関係を適切に定義しなかったが、これは深い混乱を招いた。また、マルクスは階級闘争とプロレタリア革命によって、生産力と生産関係の矛盾は解決し、技術システムとの関係も調和にいたると主張する。しかし、「封建的な資本家」が技術革新に投資しないと前提することはできないし、事実、歴史的にも資本家たちは新しい技術開発に投資してきたのである。また、イデオロギーは経済的土台に決定され、意識は社会関係(階級を生じる生産関係)によって決定されるとマルクスは主張するが、マルクスはブルジョア階級に所属していたが、マルクス以外の経済学者はブルジョア階級の利益に束縛されるのに対して、なぜマルクスだけはブルジョア階級の利益によって決定されないのかは説明されていないし、マルクスの決定論には自己矛盾がある。 さらにロスバードによれば、マルクスは「資本家階級」に共通する「階級利益」があると主張するが、資本家・企業は、原材料、労働力の獲得、商品の販売において、つねに価格と品質のたえまない競争にあり、競合相手に先んじるための新製品を模索している。国家が介入すれば、ある産業界での支配層やカルテルなど「特権」を生み出すだろうが、そのような介入以前に、共通の利益を持つ「階級」は市場に存在していない。特権階級を作ることができるのは国家(一党独裁制による国家も含めて)であり、自由市場には「支配階級」としての「資本家」は存在しないし、同様に、共通の階級利益を持つ「労働者階級」も存在しない。なお、国家によって形成される特権階級は、「労働者」「共産党員」やビジネスマンといった集団によっても形成されるのであり、「資本家」だけではない、とロスバードは批判する。 発展途上国は、先進国に搾取されているから経済的に貧しいのであり、この国家間の格差はますます広がっていくと言う従属理論も展開されたが、フランシス・フクヤマは、日本・大韓民国・中華民国・シンガポールは、積極的に先進国と交流し、奇跡とも言われる高度経済成長を達成した。発展途上国が発展途上国のままでいるのは、先進国に搾取されているからではなく、むしろ積極的に先進国と貿易や技術交流、相互投資を行わないからであるとの見解を出した。 池田信夫は、経済理論学会(マルクス経済学の学会)に所属する金子勝『反グローバリズム』(1999年)の書評で、マル経(マルクス経済学)は、よりどころとする理論が崩壊してしまったので、「国際」「情報」のような「きわもの」的なテーマを探すしかないが、「グローバリズム」の定義も書かれてないまま、「グローバル・スタンダード」への非難が繰り返され、改革批判の根拠は「リストラしたら景気が悪くなる」というだけで、「市場の失敗」を非難する一方で「政府の失敗」をいわない介入主義も、マルクス経済学の弊害だと述べている。 S.ビヒラーとJ.ニッツァンは、労働価値説の実証を目的とした研究は、労働価値の総計を複数の経済部門の価格総計と比較して強い相関関係があると主張するが、しかし各経済部門の価格と労働価値の相関関係は実際には小さく、したがって、こうした研究は統計学的な誇張であり、方法論的な誤りを犯していると指摘する。また、ビヒラーとニッツァンは、抽象的な労働を測定する定量的研究は困難であるために、研究者は仮説の構築に専念するが、命題の証明においてその命題を仮定した議論を用いたり、証明すべき結論を前提としたりするなどの循環論法が含まれることが多いと批判する。 労働力の価値が実際の賃金率に比例するという仮定、また、可変資本と剰余価値の比率が賃金と利潤の価格比率によって与えられるという仮定、さらに、減価償却された不変資本の価値が資本の貨幣価値の一部に等しくなるといった仮定がなされているが、ここで研究者は労働価値説が「証明」されることを事前に想定してしまっている。 — S.ビヒラー、J.ニッツァン、『Capital as power: A study of order and creorder』(2009) 経済的不平等の専門的な経済学者トマ・ピケティによれば、マルクスは、民間資本が完全に廃止された社会がどのように政治的経済的に組織化されるかという問題ほとんど考えていなかった。 政治学者ウィリアム・クレア・ロバーツは、基本的に『資本論』は、経済学というよりも政治理論の著作であると2017年の著書で指摘する。
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