経済学原理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/12 21:20 UTC 版)
1848年に発行されたジョン・スチュアート・ミルの『経済学原理』は、賃金基金説の決定的な治療法を提供した。賃金率を最低生活水準より上に引き上げるためのミルの解決策は、人口の成長を制御することだった。もしも人口が資本金の成長よりも速く成長するならば、賃金は下落するだろう。もしも賃金が最低生活水準よりも下に下落するならば、人口は病気と飢餓により減少するだろう。 1869年に、「貯蓄に向けられるか、さもなくば消費に費やされるであろう雇い主の収入」を通じて補うことができるものに、資本金が固定される必要はない、という認識のため、ミルは彼の賃金基金説への支持を撤回した。ウォーカーも『賃金問題』の中で、資本金の限界と人口の増加が、学説の構成に「不可欠ではなく、偶然だった。」と述べている。資本金の限界よりも、生産能力の成長の限界が、受け入れられる労働者数の限界を設定した。その上、イギリスの農業は「収穫逓減の状態に達した。」そのため、各々の追加的労働者は自分自身の生存のために彼が必要とするものより多くの生産を提供してはいなかった。1848年まで続いた技術と生産性における改良を考慮しても、学説の隆盛をもたらした本来の理由は例外的で、普遍的法則の基礎であるとは思われなかった。
※この「経済学原理」の解説は、「賃金基金説」の解説の一部です。
「経済学原理」を含む「賃金基金説」の記事については、「賃金基金説」の概要を参照ください。
- 経済学原理のページへのリンク