マルクス経済学者としての活動
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「向坂逸郎」の記事における「マルクス経済学者としての活動」の解説
日本の敗戦とともにマルクス主義研究と社会主義運動は再び可能になった。向坂は1946年「歴史的法則について」を発表し、日本の革命形態は平和革命であることをいちはやく主張した。また1946年には社会主義運動を続けるという条件のもとに、九州大学経済学部教授に復帰した。前期(4月-9月)は東京で過ごし後期(10月-3月)のみ福岡に滞在して授業をおこなうという勤務形態であったが、当時はそれが許された。マルクス経済学者としての主要な著書には『経済学方法論』(河出書房 1949年)、『マルクス経済学の方法』(岩波書店 1959年)、『マルクス経済学の基本問題』(岩波書店 1962年)、『マルクス伝』(新潮社 1962年)などがある。また、『資本論』(1947年)、『共産党宣言』(大内兵衛と共訳 1951年)などの翻訳を岩波文庫から刊行した。福岡(九州大学)と東京の双方で各種の研究会を主宰し、多くのマルクス主義研究者を養成した。これらの弟子や知人研究者の協力を得て『マルクス・エンゲルス選集』(新潮社 全12巻、別巻4巻 1956-1962年)を編集した。
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