富安風生とは? わかりやすく解説

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とみやす‐ふうせい【富安風生】

読み方:とみやすふうせい

[1885〜1979俳人愛知生まれ本名謙次高浜虚子師事し、「ホトトギス同人となった句集草の花」「松籟(しょうらい)」「古稀春風」など。


富安風生

富安風生の俳句

きびきびと万物寒に入りにけり
こときれてなほ邯鄲のうすみどり
この壺を最も好む紫苑さす
これを見に来しぞ雪嶺大いなる
しみじみと年の港といひなせる
まさをなる空よりしだれざくらかな
みちのくの伊達の郡の春田かな
むつかしき辭表の辭の字冬夕焼
よろこべばしきりに落つる木の実かな
わからぬ句好きなわかる句ももすもも
わが机妻が占めをり土筆むく
わが生きる心音トトと夜半の冬
一もとの姥子の宿の遅ざくら
一生の楽しきころのソーダ水
一生の疲れのどつと籐椅子に
万歳の三河の国へ帰省かな
三月の声のかかりし明るさよ
何もかも知つてをるなり竈猫
初富士の大きかりける汀かな
勝負せずして七十九年老の春
古稀といふ春風にをる齢かな
夕顔の一つの花に夫婦かな
大いなる幹のうしろの霧の海
大寒と敵のごとく対ひたり
大風の中の鴬聞こえをり
家康公逃げ廻りたる冬田打つ
寵愛のおかめいんこも羽抜鶏
小鳥来て午後の紅茶のほしきころ
提げ来るは柿にはあらず烏瓜
昔男ありけりわれ等都鳥
春惜しむ心と別に命愛し
春昼といふ大いなる空虚の中
本読めば本の中より虫の声
枯蓮の折れたる影は折れてをる
柔かく女豹がふみて岩灼くる
柿若葉重なりもして透くみどり
棗はや痣をおきそめ秋の雨
殺されるために出を待つ団扇かな
母の忌やその日のごとく春時雨
水虫がほのかに痒しレヴユ見る
漂へるごとくに露の捨箒
狐火を信じ男を信ぜざる
生くることやうやく楽し老の春
皹といふいたさうな言葉かな
真下なる天龍川や蕨狩
着ぶくれて浮世の義理に出かけけり
秋晴の運動会をしてゐるよ
秋晴や宇治の大橋横たはり
美しく芒の枯るる仔細かな
群鳶の舞なめらかに初御空
 

富安風生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/18 14:08 UTC 版)

富安風生句碑『湖浮び 芒に沈む 荘の屋根』
(山中湖村・文学の森)

富安 風生(とみやす ふうせい、1885年(明治18年)4月16日 - 1979年(昭和54年)2月22日)は、日本の俳人。本名は謙次。高浜虚子に師事。逓信省に勤めながら俳誌「若葉」を主宰。温和な作風で知られた。愛知県出身。

経歴

愛知県八名郡金沢村(現在の豊川市金沢町辺り)生まれ。豊橋町立豊橋尋常中学時習館第一高等学校東京帝国大学法科大学卒業。卒業後は逓信省に入り、のち逓信次官。1912年に平塚の杏雲堂で療養。

俳句をはじめたのは遅く、1918年、34歳のとき福岡貯金支局に支局長として赴任した時期に吉岡禅寺洞の手引きを受けたことに始まる。翌年に福岡に来た高浜虚子に接し、「ホトトギス」に投句。同年に本省に転勤。1922年に東大俳句会の結成に関わる。

1928年(昭和3年)、逓信省内の俳句雑誌「若葉」の選者となり、のちに主宰誌とする。岸風三楼菖蒲あや清崎敏郎加倉井秋を岡本眸らを育てた。また「ホトトギス」の僚誌「破魔弓」が同年7月号から改題により「馬酔木」となった際には、水原秋桜子らとともに同人のひとりであった[1]

1929年(昭和4年)、「ホトトギス」同人。1936年(昭和11年)、逓信次官の職を辞して官界を引退、「句作三昧の生活」に入る。 1941年(昭和16年)12月24日大政翼賛会の肝いりで開催された文学者愛国大会に参加し、俳句の朗読を行うなど時流に沿った活動も行った[2]

戦後は電波監理委員会委員長を務めた。1971年(昭和46年)、日本芸術院賞受賞[3]日本芸術院会員となる。1979年(昭和54年)、動脈硬化症肺炎により死去、94歳[4]。「若葉」主宰は清崎敏郎が継いだ。墓所は小平霊園(41-1-9)。

句作

句風は中道的で、東大俳句会では水原秋桜子高野素十らの持つ熱気に対しやや老成していた[5]高浜虚子は風生の第一句集『草の花』の序に寄せて、風生の句を「中正・温雅」とし「穏健・妥当な叙法」と評している[6]

山本健吉は著書『現代俳句』において、秋桜子や山口誓子中村草田男らが仕事の傍ら行っていた俳句への打ち込みが余技の域を脱していたのに対し、富安のそれは「どこまで行っても、余技としてたしなむ遊俳の感じがつきまとう」と評した[7]。大輪靖弘は風生の特徴を、厳選された言葉で的確に対象を描き出すところにあり、「わからせるための表現」を避けることでかえって意味の広がりを作っているとしている[4]

代表的な句に「みちのくの伊達の郡の春田かな」「まさをなる空よりしだれざくらかな」など。「よろこべばしきりに落つる木の実かな」といった軽妙な句もあり、「ホトトギス」を除名された杉田久女はこの句を皮肉って「喜べど木の実も落ちず鐘涼し」というパロディ句を作った[8]。また風生は1934年に「何もかも知つてをるなり竈猫」という句を作っている。「竈猫」は風生の造語であったが、この句が虚子に認められたことで「竈猫」が新季語として登録されることとなった[9]

富安はまた植物に詳しかったため、「植木屋の富安」の意で「植富」のあだ名で呼ばれた[5]。師である虚子との信頼関係も厚く、虚子は1938年にともに避暑に出かけた際の出来事をもとに「風生と死の話して涼しさよ」という句を作っている[5]。なお小澤實にこの句を本歌取りした「虚子もなし風生もなし涼しさよ」という句がある。

俳句の館風生庵

風生庵と桜
風生庵からの富士山の眺め

俳句の館風生庵(はいくのやかたふうせいあん)は、山中湖村平の地区に残る旧家旧天野傳長宅を古民家の保存と活用のために「文学の森公園」内に移築したものである。風生は昭和28年8月より旭日丘の湖畔の山荘を落葉松荘と命名し、昭和53年まで避暑地として毎夏山中湖で過ごし、山中湖村青年俳人のグループ「月の江会」の句会で選句、指導するとともに句を読んでいた[10]。山中湖とのこうしたゆかりのある富安風生の部屋の一部を改築して、東京都豊島区池袋にあった旧風生氏宅の書斎の再現を試み「風生庵」と命名された。室内の家具類は風生の使用していたものであるが、建物自体は風生と関連性はない。建物内には風生に関連する収蔵品、褒章品、愛用品が展示されている。[11]

栄典

著書

句集

  • 草の花 竜星閣, 1933
  • 十三夜 竜星閣, 1937
  • 俳句文学全集 第2 富安風生篇 第一書房, 1938
  • 春嶺 自句自解 河出書房, 1939
  • 添刪本位俳句の作り方 三省堂, 1939
  • 松籟 三省堂, 1940
  • 草木愛 竜星閣, 1941
  • 淡水魚 竜星閣, 1941
  • 四季俳体 育英書院, 1942
  • わが俳句鑑賞 ふたら書房, 1943
  • 愛吟短評一人一句 文政社, 1944
  • 霜晴 竜星閣, 1944
  • 紫陽花 目黒書店, 1946
  • 風生句話 六興出版社, 1947
  • 俳句の作り方味はひ方 高山書院, 1947
  • 星まつり 北信書房, 1947
  • 俳句雑記 高山書院, 1947
  • 春時雨 改造社, 1947
  • 互選句集 水原秋桜子 文藝春秋新社, 1947
  • 野菊晴 六興出版部, 1948
  • 句評四季 風樹社, 1948
  • 俳句の作り方 三省堂出版, 1950
  • 朴若葉 新甲鳥, 1950
  • 富安風生句集 角川文庫, 1952
  • 晩涼 近藤書店, 1955
  • 俳句 この愉しきもののために 近藤書店, 1956
  • 古稀春風 竜星閣, 1957
  • 郵政の俳句 批評と鑑賞 通信教育振興会, 1958
  • 興津帖 田中明, 1964
  • 傘寿以後 東京美術, 1968
  • 富安風生句集 白凰社, 1969
  • 富士百句 春秋会, 1969
  • 米寿前 東京美術, 1971
  • 風生編歳時記 東京美術, 1971
  • 冬うらら 東京美術, 1972
  • 年の花 竜星閣, 1973
  • 俳句読本 東京美術, 1973
  • 鑑賞五十年 東京美術, 1975
  • 富安風生集 老の春 求竜堂, 1977
  • 富安風生全句集 角川書店, 1977
  • 富安風生集 俳人協会, 1978 (自註現代俳句シリーズ)
  • 俳句鑑賞東海風物 エフエム愛知, 1979
  • 走馬燈 竜星閣, 1982
  • 富安風生全集 講談社, 1992

脚注

  1. ^ 秋尾敏水原秋桜子と『馬酔木』」『俳壇』第11号、2000年、2012年2月6日閲覧 
  2. ^ 文壇・詩壇・歌壇の三百五十人が参加『東京朝日新聞』(昭和12年1月19日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p705 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  3. ^ 『朝日新聞』1971年4月10日(東京本社発行)朝刊、23頁
  4. ^ a b 『現代俳句大事典』 371頁
  5. ^ a b c 『現代俳句ハンドブック』 60頁
  6. ^ 『現代俳句大事典』 372頁
  7. ^ 『定本 現代俳句』 219頁
  8. ^ 前掲『定本 現代俳句』 213頁
  9. ^ 『富安風生』 25頁
  10. ^ 『山梨の文学』 128-129頁
  11. ^ 風生庵に掲示してある案内板。2014.05.11現地で閲覧
  12. ^ 『官報』第3127号「叙任及辞令」1937年6月8日。

参考文献

  • 齋藤慎爾、坪内稔典、夏石番矢、榎本一郎編 『現代俳句ハンドブック』 雄山閣、1995年
  • 山崎ひさを編著 『富安風生』 蝸牛社、1997年
  • 山本健吉 『定本 現代俳句』 角川書店、1998年
  • 稲畑汀子、大岡信、鷹羽狩行編 『現代俳句大事典』 三省堂、2005年
  • 『山梨の文学』 山梨日日新聞社、2001年

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