料理の鉄人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/07 08:10 UTC 版)
概要
内容
料理・グルメ漫画などのフィクション作品で描かれる「料理人同士の対決」を現実に行うというコンセプトで始まった。架空の団体「美食アカデミー」の主宰が美食への追求とそれを生み出すに相応しい料理人を求め、美食アカデミー所属の"料理人=鉄人"と挑戦者を対決させると言う設定で番組は構成されている。
対戦シナリオ
「鉄人」と呼ばれるレギュラー出演者のシェフ達と「挑戦者」として登場する毎回異なるゲストシェフが、特別キッチン・スタジオ内の器具や食材を使い調理した料理を、ゲストおよびレギュラーの審査員に試食して審査判定してもらい競う。撮影中、調理実況中継があり様々なコメントが流れる。なお、レギュラー・コメンテーターは、判定には加わらない。
- 「挑戦者」は「鉄人」の中から一人を対戦相手に選んで挑戦する。
- テーマ食材は、主宰がテーブルに掛けられた布を取り、食材が迫で上げられて(食材によっては天井から吊下げられた状態)登場、発表する。
- その食材を使い、最もその魅力を引き出した料理を制限時間(通常は60分間)内に調理する[注 1]。挑戦者は左側、鉄人は右側のキッチンで調理を行う。
- 主宰が「アレ・キュイジーヌ!」(フランス語の Allez cuisine!=「行け!料理!」→「料理始め!」の意)」と、高らかに試合開始を宣言する。残り時間がアナウンスされ、すべての調理が、盛付けを含めて制限時間内に終わらせなければならない[注 2]。
- 助手が2人付く(助手は美食アカデミーから選ばれる)。
- 食材は出汁またはスープ1点のみ持ち込める。調理器具(包丁・まな板等)や皿などは(番組初期を除き)原則として自由に持ち込み可。
- 実際には自ら持ち込むのでなければ、テーマ食材の候補を見た上で「こういった材料を用意して欲しい」などといった食材に関するリクエストを事前に出すことが可能であり、番組側のフードコーディネーターはそのリクエストの食材の手配に追われたことが「料理の鉄人大全」に記載されている。
- 対戦は原則1対1の個人戦だが、時折チーム戦が組まれることもある。
テーマ食材
審査基準となるテーマ食材は調理開始の基本的に直前まで秘密になっている。ただし例外として1999年5月14日放送の挑戦者・ミッシェル・ユセールVS鉄人・坂井宏行戦のみ事前にテーマ食材子羊と伝えていた。
- 番組後期には事前にテーマ食材候補として5つの食材のリストが鉄人・挑戦者の双方に渡されるようになった。
- テーマ食材は旬なものだけでなく、挑戦者に有利なもの(例:挑戦者が「和食」でテーマが「松茸」や「カツオ」)も多かった。坂井宏行に対してタコ、ハモ、餅、うどん、中村孝明に対しダチョウ、子羊といったテーマのときもあった。
- 「食の禁忌」のある挑戦者に対しては、禁忌食材がテーマとなる事はない(例:精進料理を専門とする僧侶の挑戦者に対しては、とろろ芋やナスといった野菜類がテーマ食材となる)。
審査
調理が終わると審査員(当初3人、1995年10月より4人)による採点が行われる。また、主宰の鹿賀は試食には参加するが、採点は行わない。
- 試食の順番は、挑戦者が先、鉄人が後となる。このため「うどん」や「そば」など、時間が経つと麺がのびる等の理由で鉄人が不利になるテーマ食材の場合は、鉄人は50分経過時点で一度調理を中断し、挑戦者の試食終了後に調理を再開するという手順が執られる。
- 4人制になってからは20点満点の採点で、どちらかに1点差以上をつけなければならず、点数の高い方に1票を投じるシステムとなる。審査は票数優先で同票だった場合は合計点が高かった方が勝者となる。
- 審査例1
出場者 | 審査員1 | 審査員2 | 審査員3 | 審査員4 | 合計 | 得票 |
---|---|---|---|---|---|---|
挑戦者 | 19 | 19 | 19 | 20 | 77 | 1 |
鉄人 | 20 | 20 | 20 | 15 | 75 | 3 |
- 審査例1の場合合計点では挑戦者77点、鉄人75点で挑戦者の方が多く点を獲得しているが、得票では挑戦者1票、鉄人3票となり票数優先のため鉄人の勝ちになる。
- 審査例2
出場者 | 審査員1 | 審査員2 | 審査員3 | 審査員4 | 合計 | 得票 |
---|---|---|---|---|---|---|
挑戦者 | 18 | 19 | 19 | 20 | 76 | 2 |
鉄人 | 20 | 16 | 20 | 15 | 71 | 2 |
- 審査例2の場合票数では挑戦者、鉄人共に2票だが合計点は挑戦者76点、鉄人71点で挑戦者の勝ちとなる。
- 同点かつ同票だった場合は延長戦を行う(延長戦は審査員4人制開始に伴い導入。レギュラー放送のみ適用され、特番での引き分けは両者勝利となる)。引き分け、再試合による延長戦は過去6回あり、延長戦での鉄人の成績は3勝2敗1分となっている。
- 延長戦は新しいテーマ食材で行われる。最初の食材に関連があるものが選ばれることが多い(ジャガイモ→サツマイモ)。制限時間は30分。出演者には延長戦は嫌われており、鉄人の一人である陳建一は「もちろん勝つことが最高。その次は負けること。最悪は延長戦になること」と言った事がある。道場は延長戦中に恨み節を連発し、坂井に至っては「明日辞める」と延長戦中に言った事がある。
- 延長戦でも決着がつかない場合、その試合は完全に引き分け、両者勝利となる。両者勝利は過去に2度(レギュラー放送と特番で各1回ずつ)あった。
- なお、一度だけ鉄人(中村孝明)、挑戦者双方の料理の出来が悪く「評価に値せず。再試合」とされたことがあった[注 3]。再試合(制限時間60分)では中村の勝利。
注釈
- ^ なお、1993年10月10日放送の第1回(鮭対決)の制限時間は90分間だった。翌週10月17日放送の第2回(フォアグラ対決)より60分間に変わった。
- ^ ただし、1993年10月31日放送のフグ対決では、主宰の試合開始宣言の後、ふぐ調理師の有資格者がその場で、毒を含む部分と食用が許可された部分を分離する処理を行い、その後改めて、福井アナの合図により60分間の試合が開始された。
- ^ この時は両者に調理中アクシデントが発生し納得がいく料理を作れなかったためこのような措置が取られた。
- ^ 正確な所在地は千代田区平河町。
- ^ 加賀田京子、小林カツ代、崔玉芬の3名に敗退、ただし加賀田とはその後再対戦で勝利している。陳の対女性挑戦者との対戦記録は8勝3敗となっている。
- ^ ただし、特番で1敗している。
- ^ 5連勝以上だと4回達成している。
- ^ 坂井ととろろ芋対決で対戦した藤井宗哲の妹。藤井も登場。
- ^ 小林カツ代の息子。
- ^ 1回目の8連勝の時は道場とのタッグマッチでの勝利を挟む。
- ^ a b 三兄弟の長男サルヴァトーレ・クオモと次男ラッファエレ・クオモのタッグ。
- ^ 1995年末に山陰中央テレビ制作、中国・四国ブロックネット5局にて放映されたオマージュ番組『決定!鉄人の鍋』の優勝者。「鉄人甲子園」岡山県代表として出場。
- ^ 放送4ヶ月後の1997年5月15日、不慮の転落事故(店舗内の階段で転倒し、頭部を負傷)により37歳の若さで急逝。鉄人への挑戦者の中では最初の物故者となり、後述の1999年9月に放送された世界最強シェフ決定戦の際には会場の挑戦者席に遺影が飾られた。
- ^ 当時の夫は元プロ野球選手で、当時大阪近鉄バファローズの二軍投手コーチを務めていた小林繁。シーズン中の放送だったが、小林本人も実況席ゲストとして出演していた。
- ^ 個人戦での記録。ただし間にタッグマッチでの1敗を挟む。
- ^ 2012年12月31日放送分「アイアンシェフ」の成績を加えると、40戦34勝5敗1分 通算勝率85.0%となる。
- ^ 神田川も中村と同じく「なだ万」の出身であり、奇しくも「なだ万」出身者同士の対戦となった。
- ^ この対決のテーマ食材選定と発表も、主宰ではなく道場が行っている。
- ^ ただし、復活版アイアンシェフで、和のアイアンシェフ黒木純も初戦黒星となっている。またこの日の対戦相手の萩原はリターンマッチで2回目の出演だった。
- ^ 後身の『アイアンシェフ』でも「鹿賀主宰は亡くなった」という設定になっており、2012年10月26日放送の初回2時間SPでは、冒頭で主宰の玉木宏が、初代主宰の鹿賀の墓を訪れていたシーンが存在した。当然、鹿賀は2022年7月現在も存命である。
- ^ 特番も含む。レギュラー放送での通算成績は2勝1敗。陳と中村に勝利、坂井に敗れている。
- ^ 陳に対しては団体戦での勝利。ただしこの団体戦は同票かつ同点の結果となったが鹿賀の独断で最終判定がなされた。
- ^ タコが食材の対戦では番組初期に陳も程に敗れている。
- ^ 坂井に敗れた2敗のうち1回は団体戦での敗北。またこの団体戦では陳と宮本荘三とチームを組んでの出演だった。
- ^ 山野辺自身も福島県の出身である。
- ^ 基本的にLUNA MATTINOの衣装が使われていた。
- ^ うち1勝は引き分け再試合での勝利。
- ^ このシーンはもう使用されていない
- ^ なお、政見放送という性質上、これはこの番組のネット局であったテレビ静岡以外の在静民放3局と静岡県内のNHK総合テレビでも放送された。
- ^ 日曜日時代は、当該時間帯で日本テレビ系列の『オシャレ30・30』を1週遅れで放送していた関係で、30分遅れの23:00 - 23:30に放送していた。その後1994年4月の金曜23時に移行と共にフジテレビ系列シングルネット化され、同時ネットとなった。
- ^ 『ニュースJAPAN』初回放送の拡大部分でも提供。
- ^ その前はJT(1996年12月6日のみ時間帯の都合でセコム)のCMを放送していた
出典
- ^ 日本放送協会 (2016年11月4日). “『きょうの料理』一挙93本、若き日の“鉄人”たちも!”. NHK番組発掘プロジェクト通信. 2023年3月14日閲覧。
- ^ “「中華の鉄人」で活躍、四川飯店グループ会長陳建一さんが死去”. 朝日新聞 (2023年3月14日). 2023年3月14日閲覧。
- ^ a b 日本テレビ (2023年3月14日). “料理人の陳建一さん、間質性肺炎のため死去 67歳 “中華の鉄人”としてテレビで活躍”. 日テレNEWS 2023年3月14日閲覧。
- ^ フジテレビ「料理の鉄人」 編『料理の鉄人』(初版第1刷)フジテレビ出版、1994年8月10日、58、64ページ頁。ISBN 4-594-01495-X。加賀田にはその後逆リターンマッチを挑み勝利した。
- ^ フジテレビ「料理の鉄人」 編『料理の鉄人』(初版第1刷)フジテレビ出版、1994年8月10日、116、121ページ頁。ISBN 4-594-01495-X。
- ^ 「料理の鉄人大全」p.87、p.165によれば、この時に坂井は陳に「陳さんが辞めるなら俺も辞める」「やるんだったら二人で一生懸命やろう」と語ったという。
- ^ “「料理の鉄人」司会の鹿賀丈史が陳建一さんに追悼コメント「いつも笑顔を絶やさないお人柄でした」”. スポーツ報知 (2023年3月14日). 2023年3月14日閲覧。
- ^ “《追悼》フレンチの鉄人・坂井宏行シェフが盟友・中華の鉄人へ「大好きでした」”. テレビ朝日 (2023年3月14日). 2023年3月14日閲覧。
- ^ “和の鉄人・道場六三郎さん、陳建一さんを追悼「僕も92歳で年寄りだから、待っててよ」”. ENCOUNT (2023年3月14日). 2023年3月14日閲覧。
- ^ 「料理の鉄人大全」 p161
- ^ 「料理の鉄人大全」 p163
- ^ 「料理の鉄人大全」 p.103
- ^ 「料理の鉄人大全」 pp.102 - 107の本人へのインタビューでは、「いかにも「なだ万」らしい料理を作っても『料理の鉄人』では勝てない」「あの番組では伝統的な和食は喜ばれない」として、それに気づくまでは苦労したことを吐露している。
- ^ “有馬温泉 四季の彩 旅篭|館主・大田忠道”. 2019年5月16日閲覧。
- ^ 「料理の鉄人大全」 pp.120 - 125
- ^ 「料理の鉄人 大全」 p.123
- ^ 「料理の鉄人」神戸勝彦さん死去 鎧塚俊彦氏ら追悼 - 日刊スポーツ 2019年3月19日
- ^ a b c 「料理の鉄人大全」 pp.76 - 79
- ^ “料理の鉄人 : 13年ぶり“復活” 10月からレギュラー放送”. 毎日新聞 (2012年9月7日). 2012年9月7日閲覧。
- ^ 「料理の鉄人大全」 p.50
- ^ 「料理の鉄人大全」 p.151
- ^ 「料理の鉄人大全」 pp.55 - 58
- ^ インドネシア出張料理
- ^ “アーカイブされたコピー”. 2007年12月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年12月3日閲覧。
- ^ “フジ『料理の鉄人』がNetflixで復活 アメリカ版は6月に全世界独占配信、ブラジル版・メキシコ版も制作へ Netflixコンペティションショー『アイアン・シェフ~伝説の鉄人を探求~』”. 株式会社フジテレビジョン (2022年5月3日). 2022年5月3日閲覧。
- ^ “「料理の鉄人」アメリカ版、Netflixで6月15日から世界190の国と地域で配信”. 日刊スポーツ (2022年5月3日). 2022年5月3日閲覧。
- ^ 料理の鉄人 キッチンスタジアムツアー まとめ (セガサターン)/ファミ通.com
- ^ a b c セガサターンマガジン 1996年2月23日号 217ページ
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