インド・ヨーロッパ語族 語派

インド・ヨーロッパ語族

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/15 08:14 UTC 版)

語派

バルト語派とスラヴ語派のように分ける場合と、バルト・スラヴ語派とまとめる場合がある。また、詳細が分かっていないフリュギア語を数える場合とそうでない場合があり、少ない数え方で10、多い数え方で12が一般的なものである[47]

アナトリア語派

アナトリア語派は印欧祖語か、その原型にあたる言語から派生した最初の言語グループだと考えられている。ヒッタイト帝国の公用語であったヒッタイト語が最もよく知られていている。この語派に属する言語はすべて死語となっていて歴史的な資料にのみ残されている。

アナトリア祖語からヒッタイト語、ルウィ語パラー語に分化し、その3つが大きな幹をなすと考えられている[48]。多くはアッカド語から継承した楔形文字で記録されているが、象形文字ルウィ語とギリシア文字を基にしたアルファベットを用いるリュキア語が知られている。大城・吉田は、ルウィ語を楔形文字ルウィ語と象形文字ルウィ語に分類し、リュキア語ミリア語英語版リュディア語を加え7つを確定的なアナトリア語派として数えている[49]。これによれば、リュキア語とミリア語はルウィ語に近く、派生した関係にあると考えられる。ヒッタイト語とパラー語の話し手は、コーカサス諸語と類縁関係にあるハッティ語話者の住んでいたアナトリア中部に侵入し、前1650~1600年ごろにヒッタイト帝国がハッティ族の独立王国を征服した[48]。ヒッタイト語とパラー語にはにはハッティ語、ヒッタイト語にはさらにフルリ語アッカド語に由来する借用がみられる[50]一方、ルウィ語にはハッティ語からの借用は見られず「正体不明の非印欧の言語」からの借用がみられ、ハッティ語の中心地域から離れた地域で話されたことが示唆されている[48]

時制が現在と過去しかない、有性と中性の区別しかない、喉頭音の存在など他の古い印欧語と共通しない特徴を持つことで古い時代の印欧語の研究に繋がった[注 6]。ヒッタイト語は再建されてきた印欧祖語と大きく異なっていて、印欧祖語のさらに前段階から分化したため狭義の印欧語にあたらないとするインド・ヒッタイト語仮説も提示されている[48]。松本は、ヒッタイト語を特別扱いして既存の理解を保とうとするよりも、その示す事実を受け入れて比較文法の方法論じたいを再編しなおす動きのほうが優勢であるとしている[25]

トカラ語派

クチャ語の文書(ブラーフミー文字

トカー語、トハラ語とも呼ばれる。中央アジアのタリム盆地北縁地域で8世紀まで話された。

古代バルカン諸語

ヘレニック語派

ヘレン語派とも呼ばれる。単独で1語派として扱われる。

アルバニア語派

アルバニア語の方言分布

アルバニア語のみで1語派として扱われる。

印欧語に含まれることが判明してから、イリュリア語、トラキア語、ダキア語、ヴェネト語、エトルリア語など古代のバルカン諸語との関係が研究された。直野によればイリュリア語から発展したと考える研究者が多いという[52]

シュクンビン川を境界線として北部で話されているゲグ方言と、南部で話されているトスク方言に大きく分類される。アルバニア系のコミュニティはアルバニア共和国に隣接した地域にも存在していて、コソボ、マケドニア北西部、モンテネグロ南東部でゲグ方言が用いられている[52]。また、アルバニア語から派生したものとして、イタリアのアルバニア系離散民に用いられるアルバレシュ語、ギリシアのアルバニア系離散民に用いられるアルヴァニティカ語がある。

文字として最古の記録が15世紀と遅く、1462年にラテン文字で洗礼儀式に関する文書が記された。16世紀なかばのゲグ方言の文献が残っており、これに続いてトスク方言やアルバレシュで記された文献が残っている。これらの文献からは、方言差が大きくなかったことが伺われる[53]。15世紀後半のオスマン・トルコ支配によって国土と宗教が分断された状態となり、差異が大きくなった[53]。対応して、アラビア文字かギリシア文字が用いられるようになった。1908年に開かれた会議でアルバニア語ラテン文字が制定され、現在まで使われている[52]。 19世紀以降、ゲグ方言に近いエルバサンのトスク方言を基礎として標準語を整備しようという提案がなされ、1952年と1972年の会議でこれに近い形の案が採択された。アルバニア国外でも文語としてはこれに従っているという[52][53]

名詞は男性名詞か女性名詞に分類され、限られた範囲で中性名詞が認められている。単数と複数のそれぞれで、主格, 属格, 与格, 対格, 奪格の5つの格を持つ。定冠詞を取らない名詞では主格と対格が一致し、属格, 与格, 奪格も一致する。形容詞は格変化せず、性と数に対応して変化するタイプとしないタイプがある。変化するタイプでも性と数のどちらかのみに対応するものも多く、4種類の変化をするのは不規則な形容詞がほとんどである。能動形を基本として多くの動詞が中動・受動態をもつ。法に直接法、接続法、条件法、願望法、感嘆法、命令法があり時称、態との関係は複雑である[52]

アルバニア語はバルカン言語連合に属するとされている。系統的な関係とは別に接触による収束が起こるもので、幅広い文法上の共通性が見られる。直野によれば特にルーマニア語と平行する点が多いという。数詞にはスラヴ語の影響が見られ、また15~16世紀にトルコ語とギリシア語から受けた影響が研究対象になっている[52]

ケルト語派

ケントゥム語群。イタリック語派と類似点が多い。前1000年代には中部ヨーロッパに広く分布していたが、現在はブリターニュ地方、アイルランド島やブリテン島ウェールズ地方、スコットランド地方などのみである。近年、マン島語、コーンウォール語が復活している他、スコットランドゲール語もスコットランドの公文書で使用されるようになっている。

イタリック語派

21世紀のイタリック語派の分布。スペイン語:緑、ポルトガル語:橙、フランス語:青、イタリア語、黄、ルーマニア語:赤、カタルーニャ語:紫

ヨーロッパ大陸の中央部でゲルマン語やケルト語と隣接していたが、紀元前2千年紀の終りに近いころ北からイタリア半島に侵入し、前1000年ごろ南下してラティウムに定住した[54]。紀元前10世紀のイタリア半島ではオスク語ウンブリア語、ギリシア語のほかエトルリア語ヴェネト語が地域伊藤によって分布していた[54][55][56]

古代のイタリック語派にはオスク語、ウンブリア語、ラテン語ファリスク語があり、オスク・ウンブリア語群とラテン・ファリスク語群に分類される[57]。ラテン語は、ローマ建国のころには既にラティウムに定着していた。ラテン語は、こういったラテン人の諸言語の一つでしか無かったが、ローマの拡大に伴い勢力を増し、オスク・ウンブリア語やファリスク語だけでなくケルト諸語やイベリア語を置き換えて広範な分布に至った[54]。ラテン語の最古文献は前6世紀末ごろ[57]であり、とくにローマのラテン語は前5世紀に記録されている[54]

文学作品が生まれる前、すなわち前3世紀後半に至るまでのラテン語は古ラテン語と呼ばれ、碑文と古典期の作家による引用で知られる[54]古典ラテン語は、広義には前3世紀末から後2世紀まで、狭義には特に前1世紀のラテン語の文語を指す[注 7]。狭義の古典ラテン語はラテン文学の黄金時代に対応している。散文はキケロの雄弁論にはじまり、カエサル『ガリア戦記』やティトゥス・リウィウスローマ建国史』など、韻文ではルクレティウスウェルギリウスオウィディウスらが多様な作品を残した。古典ラテン語は後の時代においても模範とされている[54][59]。 ラテン文学が陰りを見せてから西ローマ帝国が崩壊するまでのラテン語を後期ラテン語という[60]。3世紀以降、ローマ帝国でキリスト教が公認され、ラテン語はカトリック教会と結びついた。そのため後期ラテン語の時期は、ヒエロニムスによるラテン語訳聖書がなされるなど教会ラテン語が盛んになった時代でもあった。

文学の興隆と同じくして文語と口語が乖離していき、およそBC200年からAD600年ごろまでの口語を俗ラテン語[注 8][61]という。西ローマ帝国は5世紀に瓦解し、俗ラテン語のグループは分断された。俗ラテン語の文献資料は限られるが、プロブスによる用例集[62]ペトロニウスサテュリコン』の「トリマルキオの饗宴」に見られる会話、400年頃の修道女の文章、無数の碑文[54]などが残っている。また、後期ラテン語に特徴の混入が見られる[63]

各地に広がった俗ラテン語は、それぞれの地域の基層言語によって影響を受け変化した(イタリアにおけるオスク語とエトルリア語、スペイン語に対するイベリア語、フランス語に対するケルト諸語、ルーマニア語に対するダキア語など)[64]ルーマニア語に対するスラヴ諸語、スペイン語ポルトガル語カタルーニャ語に対するアラビア語のような支配を通じた影響が生じたほか、フランク人との接触は西のグループ、特にフランス語に大きな影響をもたらした[65]。他言語からの影響と並行して、それぞれの地域でも独自化が進み、ロマンス諸語の文献が現れる9世紀には既に統一性が失われていた[66]

カール大帝(シャルルマーニュ)は俗ラテン語的な文語を憂慮し、カロリング・ルネサンスによって古典的なラテン語の復活を図ったが徹底されず、中世ラテン語が成立した。中世ラテン語は古典的な知識階級の共通語として機能した[54][67]

ラテン語には5つの曲用の型があって第2, 3, 4曲用名詞に中性があったが、ロマンス諸語では曲用が2つになり男性/女性と対応している[68]。いずれのロマンス諸語も単数と複数の区別を持ち、西ロマンス諸語の複数の標識は -s であるが、中期フランス語で発音されなくなったため、フランス語では冠詞などによって表現される[69]。現代ロマンス語ではルーマニア語を除いて格体系は消滅した。ルーマニア語は主格、対格、属格、与格、呼格の5格体系をなす[70]。ラテン語は4種の活用形に分けられたが、ロマンス諸語ではEが融合し活用形を減らした。生産性に偏りが生じ、A, I, Eの順に例が多い。いくつかの言語ではEは用例が少なく、不規則動詞としたほうが適当だという[71]。ラテン語の直説法、接続法、命令法からなる3つの法はロマンス諸語で保たれている。使用法が各言語によって異なるが、いくつかのロマンス諸語に共通して見られる時称として、未完了過去(半過去)、単純過去、複合過去、未来および条件法がある[72]。現代ロマンス諸語では主語 - 動詞が頻繁に現れる基本的な語順で、外れるものは倒置と見なされる[73]

ギリシアアルファベットを参考にしてラテンアルファベットが成立したが、ギリシアアルファベットには無いQFがあることからエトルリア文字が仲介していると考えられる。成立して以降に、ギリシア語の転写のためにYZが加えられた。エトルリア語の音体系にはkとgの区別がないために文字も統合されていて、ラテン語でもCを双方の音に当てていたが、Cを元にGが作られた[74]。ロマンス諸語は、全てラテンアルファベットを用いる。

ゲルマン語派

ヨーロッパのゲルマン語派の分布

ケントゥム語群。ヨーロッパ中北部が原郷。ゲルマン民族の大移動を経てロマンス諸語にも大きな影響を与えた。

ゲルマン人の原郷は、スカンジナビア半島南部や北ドイツのエルベ川下流域にかけての一帯だと考えられている[77][78]。 民族移動によって紀元前1000年ごろには他地域へ拡張していて、4~5世紀のゲルマン民族の大移動をピークとして1500年以上続いた。 ゲルマン語族には、詳細のわからない先印欧語の語彙が流入していて、ゲルマン祖語の基礎語彙の3分の1が非印欧語由来だと考えられている[79]。紀元前500年ごろのゲルマン人は、西は現在のオランダ語圏、東はヴィスワ川までの低地平原地帯、北はスウェーデン中部とノルウェー南部まで及んでいた。南と西でケルト語、東でバルト語、北でバルト・フィン諸語と接していて、相互に借用が行われた[80]。南部域のケルト人やイリュリア人を放逐したゲルマン人は、紀元前後にローマ帝国の国境・黒海沿岸に達していた。紀元前後にゲルマン語の明確な分岐が始まったと考えられていて、当時のゲルマン人およびゲルマン語は、北、東、エルベ川、ヴェーザー・ライン川、北海の5つのグループに分かれていた[81][78]

東ゲルマン語はゴート語につながり、4世紀になされたギリシア語聖書のゴート語訳はゲルマン語の最古のまとまった文献として写本が残っている。アンシャル体大文字を中心に、ラテン文字とゴート文字が用いられた。ゴート人は東ゴート人と西ゴート人に分裂し、イベリア半島とイタリアに王国を築いたほか、東ゴート人がクリミアに到達するなど大きく広がった[82][83]

北ゲルマン語は北欧に位置し、ノルド語が成立した。ゲルマン語の断片的な最古の資料として、ルーン文字で刻まれたルーン碑文が残っている。音価と文字が正確に対応しており、実用的な文字だったと考えられている[84]。ルーン文字は古ゲルマン語圏すべてに広がったが、10世紀末以降のキリスト教受容にともなってラテン文字に置き換えられていった[85]。8世紀までスカンディナヴィアに留まっていた北ゲルマン人は、9世紀から11世紀のヴァイキング時代に遠征を繰り返した。デーン人は二度に渡ってイングランドを征服し、英語史に大きな影響を与えた。東方では、スウェーデン人ヴァイキングを中心にフィンランド・エストニアに進出した上にさらに南東に進み、ノヴゴロド公国キエフ公国を築いた。ヴァイキング時代末期には、西ノルド語と東ノルド語の分岐が顕著になっていた[86]

北海ゲルマン語は、アングロ・サクソン人を中心にするグループがブリテン島に移住し始めた5世紀半ば以降に、大陸部北海沿岸の諸部族による接触で成立したと考えられている。アングロ・サクソン人は600年ごろにキリスト教に改宗し、ラテン文字を使用した宗教関連の古英語の文献は700年ごろに現れる。フリジア語は16世紀以降使われれなくなった。ザクセン語は高地ドイツ語圏に引き寄せられていき、低地ドイツ語の低ザクセン語として扱われている。古英語は典型的な北海ゲルマン語であったが、デーン人やノルウェー人ヴァイキングによるノルド語との接触と、ノルマン・コンクエストによるフランス語との接触によって形態の簡素化が起こり、屈折の少ない分析的な言語となった[1][87]

エルベ川とヴェーザー・ライン川のグループは内陸ゲルマン語として括られ、主要な古語として古高ドイツ語と古オランダ語がある。とくにヴェーザー・ライン川ゲルマン語の古フランケン方言を話すフランケン人は西ローマ帝国滅亡後に勢力を拡大し、6世紀のテューリンゲン族英語版征服を皮切りにアレマン人バイエルン人ザクセン人を征服し隷従させた。8世紀にフランク王国のドイツ語話者にキリスト教が広まり、9世紀には『タツィアーン』やヴィッセンブルグのオトフリート英語版による『福音書』などキリスト教文学が興隆した。古オランダ語のまとまった文献は10世紀初めのヴァハテンドク詩篇に現れる。現代標準ドイツ語はエルベ川ゲルマン語に由来する上部ドイツ語、ヴェーザー・ライン川ゲルマン語に由来する中部ドイツ語、上記の北海ゲルマン語に由来する低地ドイツ語を統合して成立した。標準オランダ語はヴェーザー・ライン川ゲルマン語に由来する低地フランケン方言を母体とし、北海ゲルマン語に由来するオランダ語低地ザクセン方言を統合して成立した[88]

ゲルマン祖語は与格が奪格と所格の役割を担い、6格組織であった。その後、主格が呼格を、与格が具格を吸収し4格組織に近づいていった[89]。文法性を失ったのは英語とアフリカーンス語、デンマーク語ユトランド方言に限られていて、他のゲルマン諸語には見られる。双数はゲルマン祖語で衰退しつつあり、ゴート語が限定的に残しているが、他の古語では複数に取り込まれた。現代語では北フリジア語の方言に見られるが、話し言葉ではほとんど用いないという[90]。北ゲルマン語とオランダ語では、男性と女性が「通性(共性)」に合流し、中性とあわせ二性体制になっている[91][92][93][94]。ゲルマン祖語の時点でアオリスト語幹が破棄されていて、語形変化は強変化と弱変化に収束した[95][96]。アスペクトに対応する語形変化はなく、助動詞による迂言形で表現する。西ゲルマン語では現在完了形が過去の表現として多用され、過去形が使われない言語もある。接続法が直接法に吸収されているため、現在形が未来の出来事も表す[95]。ドイツ語やオランダ語で副次的にSOV順の語形が用いられるが、SVO順が一般的になっている[97]

バルト・スラヴ語派

東ヨーロッパに分布する。ゲルマン語派・ロマンス諸語に比べ言語的改新が見られず、保守的であるとされる。

ヨーロッパにおけるスラヴ語の分布

スラヴ語派

スラヴ語は、西スラヴ語群、南スラヴ語群、東スラヴ語群の3つに分類されている。 9世紀半ばまでにはスラヴ人の居住地域は西、東、南の3つに分かれていた[98]。 印欧祖語から分離し、古代教会スラヴ語が成立するまでのスラヴ語を共通スラヴ語と呼ぶ[99]。 共通スラヴ語時代のスラヴの知識人は文語としてギリシア語やラテン語、古フランク語を使っていたと考えられている[100]。9世紀後半に西スラヴのモラヴィア王国では、東フランク王国の影響力から脱するためビザンツ帝国に要請してメトディオスキュリロスの兄弟が教主として派遣された。キュリロスがスラヴ語典礼に使う文字体系としてグラゴル文字を考案し、スラヴ語の文語である古代教会スラヴ語が成立した[100][101]。モラヴィア国内での兄弟の事業は難航したが、弟子たちが第一次ブルガリア帝国で活動することでスラヴ語典礼の伝統は保たれ、グラゴル文字の体型にギリシア文字を導入することでキリル文字が成立した[102][103]。古代教会スラヴ語はポーランドとクロアチアを除く[注 9]スラヴ語圏全体に拡散した後、それぞれの隣接した地域の言語から影響を受けるなどして多様性を増し、研究者たちは1100年ごろを古代教会スラヴ語が共通性を失った時期の目安としている[注 10]

10世紀末から11世紀には東西南の差異がルーシ人、スラヴ人、ブルガリア人の言葉の違いとして認識されていた[106]。東西南の内部でも支配体制による分断があり、12世紀ごろからそれぞれの地域内でも別個の言語として独立して認識されるようになった[107]

共通して男性、女性、中性の区別と[108]、7つか6つの格がある[注 11]。男性単数に生物と無生物の区別があり、西語群では人を表す男性名詞複数形「男性人間形」が17世紀頃に成立した[110]。スロヴェニア語とソルブ語が双数を残し、他の言語では複数に合流したが、2を表す数詞に名残がある[111]。動詞には直説法、命令法、仮定法があり[注 12]、直接法の中に現在、過去、未来の3つの時制と完了体と不完了体の2つのアスペクトの組み合わせがある[注 13]。 先に述べたように西方教会とラテン語典礼が、東方教会とスラヴ典礼が結びついた歴史がある。この結果として西語群ではラテンアルファベットが、東語群ではキリル文字が、南語群ではキリル文字とラテンアルファベットが用いられている。ラテンアルファベットを用いる南語群では、ガイ式ラテン・アルファベットやその変種が用いられる[115]

バルト語派

インド・イラン語派

サテム語群。西アジア~南アジアにかけて分布。インド語派とイラン語派は発見されているもっとも古い言語同士で意思疎通が可能なほど似通っており、まとめて扱われる。印欧語族の分類は一般に12語派程度で表現されるが、その場合ダルド語派とカーフィル語派を数えていない。

アルメニア文字の「アルメニア語」

アルメニア語派

アルメニア共和国周辺におけるアルメニア語の分布

アルメニア語のみで一語派として扱われる。かつてイラン系の言語であると考えられたほどイラン語群からの語彙の借用が多く[116]、イラン系のみならずチュルク語族やコーカサス諸語から語彙の借用をはじめとして様々な影響を受けたと考えられている。現代口語は、東アルメニア語と、西アルメニア語に分類される。東アルメニア語はアルメニア共和国を含む旧ソ連圏に、西アルメニア語が世界に散在するアルメニア人におよそ対応している[117]

5世紀初頭に当時のアルメニア語が持つ音素に対応するアルメニア文字が考案された。ギリシアやシリアの影響から脱してアルメニア語で聖書を記す目的が背景にあり、ギリシア文字を主要なモデルとしているが、字形は大きく異なっている[注 15]。11世紀ごろから文語と口語の音声の差異が目立つようになり、音と文字が対応していない状態となっていた。ソビエト連邦時代の1922年と1940年に正書法の改革が実施され、東アルメニア語では文字と音の対応関係が単純になった[119]

希求法が接続法に合流していて、直説法、命令法、接続法の3つの法がある[120]。3つの時制があり、未完了過去と未完了未来が特異な発達をしている。古典アルメニア語でアオリストと完了形が融合して現代アルメニア語の完了(単純過去と未完了過去)が生じた結果、両者の時制の機能と語幹が含まれるようになった[121]。名詞・形容詞は主格、体格、属格、与格、奪格、具格に格変化する[122]。文法上の性はなく、人称代名詞も性の区別がない[123][注 16]。ふつう動詞が語頭にくることはなく、定動詞後置を原則とするが、強調したい語を前におく一定の自由度がある[125]。 形態や統辞法では印欧祖語に由来する要素が優勢である。一方で記録以前の時代に、アクセントが終わりから2番目の音節に固定したことが、母音の弱化と最終音節の消失をもたらしていて、音韻・語構造は独特である[126]

伝統的には屈折語に分類される[127]。古い印欧語と比較すると、母音の長短の区別、文法性、双数がなくなっている。さらに屈折の型が一定化に進んでいる、格の融合現象が見られる、動詞の叙法・時制組織が大きく単純化されているなど多様な単純化が起こっている[128]。岸田は現代アルメニア語の形態について膠着的な面が強まってとしている[119]

アルメニア語の研究を行った言語学者のアントワーヌ・メイエによる『史的言語学における比較の方法』によってアルメニア語の基数詞が大きく変化しながらも印欧祖語に由来するものだと立証されている[129]


注釈

  1. ^ この語族に属しないヨーロッパの言語に、スペイン・バスク地方のバスク語フィンランド語ハンガリー語などウラル語族フィン・ウゴル語派に属する言語、ジョージア語などのコーカサス諸語などがある[4]
  2. ^ イギリスでは、ジェームズ・ミルによる『英領インド史』によってインドや広くアジアの文化を文化と認めない、改良の対象である野蛮とする見方が方向づけられた。功利主義と結びついた見方は植民地経営に都合が良く、ジョーンズのような知印派は評価されなかったという背景が指摘されている[12]
  3. ^ ヤングは新造語との断りを記していないという[3]。また、これがイギリス以外に広まるのに20年ほどかかり、1836年にフランス語訳indo-européenが現れる[17]
  4. ^ 後者については、タマズ・ガムクレリッゼ英語版ヴャチェスラフ・イヴァノフ英語版が1973年の著作で印欧祖語にライオンやヒョウの語彙が含まれると主張している[29]
  5. ^ 比較言語学において、語の前のアステリスク*はそれが再建または推定された語形であることを意味する。アンソニー上, p.29、宇賀治2000, p.4. ポズナー1982, p.50など
  6. ^ A.Lehmanは、前アナトリア語が分岐したのちに印欧祖語に起こった変化を2001年の論文において10種類提示している[51]
  7. ^ 伊藤は紀元前240年から紀元前81年までの文語ラテン語を「古代ラテン語」としている[58]
  8. ^ 論者によって俗ラテン語の定義が異なるが、いずれにせよ一定の輪郭を持つことがポズナー二章で論じられている。
  9. ^ ポーランドは10世紀後半のピャスト朝で西方教会キリスト教を受容していて影響が及ばなかった。クロアチアはハンガリーの支配下におかれたため西方教会キリスト教に従い影響が及ばなかった[104]
  10. ^ ただし、キエフ・ルーシにおいては11世紀初頭の時点で古代教会スラヴ語と現地スラヴ語との混交が起こっており、古代ロシア文語と見なされるという[105]
  11. ^ ブルガリア語とマケドニア語は格変化を失っている[109]
  12. ^ ブルガリア語には伝聞法があり、トルコ語に由来するとされる[112]
  13. ^ ロシア語は現在時制完了体を用いない[113]。スロヴェニア語を除く南語群とブルガリア語がアオリストを残す[114]
  14. ^ 「多神教信仰者(ヴェーダの宗教)の地」をカーフィルスタンと呼んだが、イスラーム受容に伴い差別的な意味となった。現在ではヌーリスターン語派と呼ぶ。
  15. ^ 独特な字形から中性ペルシア文字やアラム文字の影響などの推測がなされた。現在では、ギリシアの影響を隠すために意図的な創作がなされたものだと考えられている[118]
  16. ^ 生物の性を区別するあり方としては、Աքաղաղ雄鶏/Հաւ雌鶏, Եղբայր兄弟/քոյր姉妹など単語から異なっている例、動物の名詞に雌や女を表すէգやմատակを添加する例(առիւծ:ライオン、էգ առիւծ または մատակ առիւծ:雌ライオン など)、人間の属性を表す語に女性形語尾 -ուհի をつける例(Երգիչ:歌手、Երգչուհի:女性歌手)がある。[124]

出典

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