インド・ヨーロッパ祖語における意義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 14:25 UTC 版)
「ヤムナ文化」の記事における「インド・ヨーロッパ祖語における意義」の解説
このように広大な範囲にまたがっていること、辺縁が常に大きく変動していること、馬や車といった生活文化様式から、ヤムナ文化こそインド・ヨーロッパ語族の初期の中核的文化のひとつであったという推測は広く認められている。インド・ヨーロッパ語族の起源を扱うとき、前提となっている時代や地理的範囲には人によって大きなばらつきがあるため、インド・ヨーロッパ語族の定義そのものについて議論がある。いちおうクルガン仮説の扱う時代や地理的範囲を基準とすると、ヤムナ文化はインド・ヨーロッパ祖語第Ⅳ期の文化であると捉えられるため、この文化はヨーロッパを含むインド・ヨーロッパ語族の多くの文化の起源ではあるものの、インド・ヨーロッパ語族の全ての文化の起源とは言えないことになる。 クルガン仮説に否定的な研究者は、ヤムナ文化はインド・イラン語派の起源であると考えている。しかし、ヤムナ文化は西方では横穴墓文化(英語版)(英語:Catacomb culture)、東方ではポルタフカ文化(英語版)(英語:Poltavka culture)およびそれに次いでスルプナ文化(英語版)(英語:Srubna culture)に受け継がれ、これらの文化はおそらく東方のシンタシタ文化やアバシェヴォ文化(英語版)などからの影響を強く受けながら西方の横穴墓文化に取って代わって、縄目文土器文化や球状アンフォラ文化との接触地帯で、その地におけるこれら2つの文化の担い手に文化的・言語的影響を及ぼし、そのあたりでベログルードフ文化(ロシア語版)(英語:Belogrudov culture)が発生、トシュチニェツ文化を経て、いわゆる農耕スキタイとして有名なチェルノレス文化へと発展していく。 このことは、本来はケントゥム語で、かつ縄目文土器文化や球状アンフォラ文化を基層としていたと推測されるスラヴ語派やバルト語派の祖語が東方のインド・イラン語派の言語的影響を受けてサテム語へと変化していった経緯を示唆している。ここではヤムナ文化はインド・イラン語派の文化ではあるがその語派の起源ということではなく、中央アジアのステップ地帯で政治的な力をつけたインド・イラン語派の担い手の集団が次々と西方へ進出して落ち着いた先である東ヨーロッパのステップ地帯に広く発展したステップ文化であるということになる。ここではクルガン仮説の問題点とされていたものは解消され、球状アンフォラ文化とともにヤムナ文化が後期インド・ヨーロッパ祖語時代の、ヨーロッパにおける中核的文化であったという広く定着している認識に矛盾は生じない。 ヤムナ文化の人骨からは印欧語族系民族に高頻度なハプログループR1b (Y染色体)が91.5%の高頻度で検出されている。
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