発言・エピソード
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主に『恋のから騒ぎ』でのトークから。 夢は友達とアパート暮らしをすること。 好きなタイプの男性はスポーツマンで包容力があり精神的に余裕があって時間がある人。お互いを高めあっていける恋愛がしたいという。 告白されたい(愛されたい)タイプ。 有名人で好きなのはグリーンデイのボーカル、ビリー・ジョー・アームストロング。 貰ったプレゼントで最高だったのは、或る番組の共演者とスタッフからの寄せ書き風の手書きの卒業証書。 携帯電話の待受画面はアメコミのスポンジボブ(2006年3月現在)、ストラップはやべっちFC(2006年3月現在)。月々の使用料金は1万円程。 マヨブラ流最終回にて、中山功太から本気で告白されたが「顔が全然タイプじゃない。」とあっさり断った。
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発言・エピソード
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特別会計 「母屋でおかゆをすすっているときに、離れですき焼きを食べている」(一般会計が赤字を削っているのに特別会計で浪費していることを揶揄した表現) 国民年金 「国民年金だけで議員は生活できると思うか?」と質問された際に「ほんなん、できるかいな。ぼくら(議員)はあんたら(国民)と生活のレベルが違うやないか!(毎月)100万かかるよ。みんな、人間平等だと思っていたらとんでもない間違いだ」と発言している。 バンキシャ 日本テレビ『真相報道 バンキシャ!』のコメンテーター「不定期ご意見バン!」として出演していたが、2005年に発生した奈良騒音傷害事件(所謂『騒音おばさん事件』)の被告について、生放送中の番組内にて「こりゃねぇ、やっぱり狂うてますよこの人は。顔見てご覧なさい、目は吊り上がってるしね、顔はぼーっと浮いてるしよ。これ、きちがいの顔ですわ」と放送禁止用語を発し、福澤朗に止められて番組を降板させられた。 報償費問題 2001年1月、テレビ朝日『サンデープロジェクト』で、報償費の使われ方について「国会議員の外遊の際に餞別として渡された」「一部の野党を買収するための国会対策費にも使われていた」「マスコミ懐柔の為に一部有名言論人に配られていた」と暴露(宇野内閣で官房長官だった)。しかし財務大臣就任後、国会でこの発言を穀田恵二に質されると「忘れた」ととぼけた。穀田は激怒して追及を続けたが、塩川は「昔のことだから覚えていない」と徹底的にはぐらかした。この出来事から「塩爺」の愛称で呼ばれることが増え、人気が上昇した。後に塩川は「生意気な共産党を痛い目に合わせてやろうと思った」と述懐した。 その他 毎年11月に日本テレビ系列で放送される『ベストヒット歌謡祭』では大会実行委員会名誉会長を務めていた。
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発言・エピソード
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2000年以降の思潮として、新自由主義の波及によって人文知の成立する余地が失われた結果、文学の世界でも市場論理を優先するライトノベル、ケータイ小説、アニメ、ゲーム主流になり、文学が「ふきさらしの荒野」に出てしまったと述べ、さらに「亡命知識人の体現するヨーロッパとアメリカの臨界に、20世紀の人文知の最大の可能性があった。それを21世紀にどうやって取り戻せるのかというのが、ひとつのモチーフになる」と述べている。 2000年代に起きた情報環境、メディア環境の急激な変化に関しては、「簡単に検索し操作できるというのは、すばらしいことに違いない。けれども、それとは別の次元で、モノとしての知に直接かつ偶然に遭遇できる場が絶対必要。そのような場、そのような遭遇をどうやって可能にしていくかというのが大きな問題だ」と述べている。 ソーカル事件などで示されたフランス現代思想潮流の衒学性の問題に対して、ソーカルらによる論証は対象となるそれぞれの論者を本質的に批判してはおらず、また批判の根拠たる科学主義も絶対とはいえないと応じながらも、ソーカル事件の教訓を強調し、不必要な衒学は戒めなければならないとしている。 1987年に辻元清美との皇室に関する話題にて、天皇制について「なくならないと思う。終戦の時に、きちっと責任追及があってしかるべきだった」と述べた。 昭和63年昭和天皇が病床に就くと多くの人が皇居を訪れ記帳したが、その光景に浅田は北一輝の天皇論に言及するなかで「連日ニュースで皇居前で土下座する連中を見せられて、自分はなんという『土人』の国にいるんだろうと思ってゾッとするばかりです」と発言し、保守派を中心に抗議を受けた。平成から令和への改元にさいしては、このときのことを振り返りつつ「政府とマス・メディアの煽り立てる「奉祝ムード」の中で歴史健忘症をますます激化させている」とする小文を発表した。 経済学部・大学院経済学研究科の出身で、元々は経済学者を名乗り、専攻は経済学としていた。ほかに経済思想史に関する論文を執筆したこともある。しかし経済学関係の業績はもとより80年代後半以降からは経済学関係の著作は皆無で、現在は経済学者は「廃業」したと述べている[要出典]。 経済学に関する体系的業績や著作は一つも残しておらず、このことを吉本隆明が厳しく批判している。吉本は、浅田が「学生の学力がここ10年くらいで劇的に落ちている。文部省は権威主義的な詰め込み教育を維持したほうがよかった」と言っていることについて、「最近の学生の学力のレベルが低いというより、むしろ、浅田彰のレベルが低い、というべきじゃないでしょうか。浅田彰は、専門だという理論経済学の分野でも、学者としてちっとも優秀じゃないですよ。」「つまらない専門外のことはいう浅田彰」と評している。 2008年まで20年に渡り、京都大学経済研究所に助教授(准教授)のまま勤務していたが、教授に昇任できなかった。結局、『週刊文春』2008年3月27日号「19年間"助教授"の末、浅田彰が京大を飛び出した」記事は、「学内で『穀つぶし』と言われたわけではないでしょうが(笑)、これ以上の出世、要は教授になることはないと見限ったのかもしれませんね」「八〇年代半ば以降、対談集や芸術批評などを除けばまったくと言っていいほど著作を発表していません。そういう意味では学者としての業績は残してない」と報じられた。 2019年には国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」内の企画展「表現の不自由展・その後」が抗議を受け展示を中止した問題について、「公権力を持った人が、展覧会をやると言った以上、個々の作品に対していいとか悪いとか口を出すことは検閲に近い」と批判し、また「世界の支配的な潮流は多文化主義だ。多様な文化が混在しているなかで、他者を尊重し、傷つけないようにしようという態度はひとまず正しいと言える」が、「誰も傷つけない表現というものには、ほとんど意味がない。知識人は大衆の逆鱗に触れるために存在している」と述べた。 また、同年8月に政治家の田中康夫氏と対談した米中首脳会談及びG20大阪サミット等についての記事では「安倍政権は、天皇の代替わりを政治利用した」、「隣国(朝鮮半島)を植民地化なんかしたら100年たっても恨まれて当然なのに」と自身の政治的見解について語った。 2000年代に至って、前景化したように見える、「ディシプリン(規律・訓練)」のシステムが機能不全に陥ったことによって生じているかに見える「こどもの資本主義」カルチャーを「ズキゾキッズ」というかたちで、先駆的に肯定・評価していたのではないか、という問いかけには、「幼児的退行を売り物にする」のは「最悪」であり、「現在のこの種の議論は、ドゥルーズ[要曖昧さ回避]の警告する「コントロール(監視)」のシステムの補完物にほかならず、何よりモダニズムの核心にもあったこどもというものの可能性の中心を決定的に逸している」と否定的である。 そして、その「こどもの可能性の中心」にカントの可能性の中心を担う「調和し得ない緒力の束」を体現するものとしてのアルチュール・ランボーを挙げ、「ヘテロノミー(他律性)もアウトノミー(自律性)もないばらばらのボディ・パーツの束がバイオポリティカル(生政治)なコントロール・システムの中に浮遊しているという安易なディストピア・イメージが支配的になり、それが部分的にではあれ現実化しつつある現在、一見それと似ているようでまったく違うヴィジョンを、カントに即し、あるいはランボーやセザンヌ[要曖昧さ回避]に即し、ドゥルーズ[要曖昧さ回避]やフーコーの仕事をヒントとしながら探っていくというのは、『現在』がわれわれに突きつけているきわめて重要な課題であると言うべき」「ポストモダンあるいはポストヒストリカルと言われるような状況ですれっからしになってしまったわれわれも、だからこそふたたび「こどもになること」を目指さなければならないと述べている。 「高校のころ演劇と生徒会ってのが大嫌いで、だから今でも平田オリザとか岡田利規とかああいうのは耐えられない」と発言しており、演劇についてパフォーマンスとして面白いものもあるとしながら、大声で泣いたり叫んだりし、情念を爆発させるような、「高校演劇」的な演劇を嫌っている。 1999年に草間彌生の展覧会「草間彌生:ニューヨーク/東京」と荒木経惟の展覧会「センチメンタルな写真、人生」が同時に開催されていた東京都現代美術館を訪れた体験を述べた「草間彌生の勝利」(『波』1999年7月号、岩波書店)という文章の中で、「ひとことで言えば「本もの」と「偽もの」、あるいはニーチェの言葉で言えば「強者」と「弱者」というところだろうか」と、草間を評価し、荒木を酷評している。荒木の写真を「ウェットな感傷にまみれた薄汚い写真」「そこにあるのは、そういうセンチメンタルな物語にすがることでしか生きられないひ弱な「私」、しかも、そのような自分を売り物にして弱者の群れの歓心を買おうと計算するさもしい「私」でしかない」と批判する一方、草間を「センチメントは、それを感じる自己を前提とする。ところが、草間彌生の場合、自己は、そこで病いと死の闘争が展開される非人称的な場と化している。その凄絶にして絢爛たる闘争の記録は、胸を衝く切実さをもちながら、しかも、それをはるかに超えた強度によって、作者の病歴をまったく知らない者をも圧倒するだろう。その作品のひとつひとつは、ウェットな感傷からかぎりなく遠いところで傲然と屹立し、ただ作品それ自体として観る者の感覚を震撼するだろう。だからこそ、それは芸術と呼ばれるにふさわしいのだ」と絶賛し、「満身創痍でしかもひとり歩み続けるその後ろ姿に、私は心からの敬意を捧げる」と文章を結んだ。 ほかに荒木経惟について、講演で「本当に日本人として恥ずかしい」「野垂れ死にすればいい」と罵倒している。
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