投入の経緯
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湘南電車には1950年代末期から1960年代初頭にかけて80系と153系が使用されていた。しかし両形式は片開きの片側2ドア・デッキ付き構造で、通勤客が増大の中、ラッシュ時の客扱い能力に難があり、駅で円滑な乗降が不可能だった。打開策として80系の3扉化改造が考えられ、図面まで作成された。だが、当時は山陽本線の電化区間延伸を控えていることもあり、改造費がかかって不得策と判断されたことから、101系を基とした4扉車投入も検討されたが、3扉車の111系が新たに開発された。 111系を基に、120kWに出力が強化されたMT54形主電動機を用いた形式として1963年に登場したのが113系である。1963年から1982年にかけて約2,943両(サロ124・125形を含めると2977両)が製造された。 1987年4月1日の国鉄分割民営化により、東日本旅客鉄道(JR東日本)に1566両、東海旅客鉄道(JR東海)に438両、西日本旅客鉄道(JR西日本)に772両、四国旅客鉄道(JR四国)に12両 と、事故廃車となった9両をのぞく計2788両が承継された。後継形式への置き換えによって2007年にJR東海で、2011年にJR東日本で、2019年にJR四国で運用を終了した。2022年4月時点ではJR西日本に128両が在籍し、主に普通列車に運用されている。 国鉄分割民営化後から2022年現在までの在籍両数 年JR東日本JR東海JR西日本JR四国総計1987 1566両 438両 772両 12両 2788両 1988 1578両 438両 772両 20両 2808両 1989 1586両 394両 756両 20両 2756両 1990 1584両 329両 734両 20両 2667両 1991 1585両 327両 640両 20両 2572両 1992 1548両 323両 576両 20両 2467両 1993 1524両 323両 564両 20両 2431両 1994 1506両 322両 564両 20両 2412両 1995 1483両 322両 537両 20両 2362両 1996 1388両 322両 535両 20両 2265両 1997 1291両 322両 533両 16両 2162両 1998 1160両 321両 531両 12両 2024両 1999 1029両 321両 531両 12両 1893両 2000 852両 239両 489両 12両 1592両 2001 804両 218両 462両 12両 1496両 2002 773両 204両 438両 12両 1427両 2003 773両 204両 434両 12両 1423両 2004 773両 204両 400両 12両 1389両 2005 725両 203両 291両 12両 1231両 2006 408両 188両 288両 12両 896両 2007 272両 91両 286両 12両 661両 2008 260両 0両 271両 12両 543両 2009 250両 245両 12両 507両 2010 182両 241両 12両 435両 2011 70両 239両 12両 321両 2012 0両 231両 12両 243両 2013 162両 12両 174両 2014 162両 12両 174両 2015 162両 12両 174両 2016 140両 12両 152両 2017 136両 12両 148両 2018 136両 8両 144両 2019 132両 4両 136両 2020 132両 0両 132両 2021 128両 128両 2022 128両 128両
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投入の経緯
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2200系に続く増備ならびに1000系(2代)の代替として1969年に登場した。2200系をベースとしながら冷房装置を搭載した設計で、1968年にロングシートの通勤車である京王5000系に冷房車が登場したのに続く、関西地区の通勤形車両では初めて冷房装置を搭載した車両となった。1969年と翌1970年に7両編成3本ずつの計42両が製造された。 営業開始は1969年12月であったため、実際に冷房装置を営業運転で使用したのは1970年5月15日が最初となった。
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投入の経緯
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1989年の鴨東線開業時の増備車両として同年に6両編成2本(7001F・7002F)と4両編成1本(7003F)が投入された。京阪で初めてVVVFインバータ制御が本格採用されている。7003Fは当初交野・宇治の両線で使用されていた。1991年(平成3年)に中間車を2両新製して7003Fも6両化され、1992年(平成4年)には中間車がさらに3両製造されて3編成とも7両化されている。1993年から約2年間は一般車の臨時特急運用にも6000系に代わって充当されていた。 1993年、VVVFインバータ制御試験車であった6000系6014F(6次車)の京都側3両を、系列内で制御方式を統一する目的で、改番のうえ本系列に編入し、新造の大阪側4両と組んで、7004Fが組成された。このため、7004Fの京都側3両は前面も含め、6000系(2 - 6次車)と同じ車体形状となっているほか、床下の機器配置も他の7000系とは異なっている。
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投入の経緯
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朝ラッシュ時の特急の枚方市駅停車に伴う混雑の緩和および輸送力増強、さらには遠距離通勤者に対する着席サービスの提供を目的として1997年に8両編成5本(40両)が新製された。ラッシュ時の特急(臨時運用を含む)と通勤形が使用される急行から普通までの運用の双方に使用できる汎用形(近郊形の一種ともいえる)として、側扉は片側3か所、車内の座席配置はセミクロスシートで製造された。
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投入の経緯
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身延線の新性能化では115系2000番台の新製投入が決定したが、郵便・荷物電車についてもクモハユニ44形を新性能車に置き換えることになった。従来の新性能郵便・荷物電車では郵便車のクモユ141形と荷物車のクモニ143形が存在したが、身延線の線区事情を考慮して郵便室・荷物室を半分ずつ設けた合造車として投入されることになり、1981年7月にクモユニ143形4両が投入された。
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投入の経緯
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東北・上越新幹線が大宮以北で暫定開業した1982年11月15日のダイヤ改正では、東北・高崎線と信越線系統において横浜羽沢 - 上沼垂・直江津間を結ぶ郵便荷物列車が設定されることになり、郵便電車3両の増備が必要になった。これに対応するため、クモヤ143形をベースに郵便電車としたクモユ143形が1980年9月に3両登場した。
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「岡山電気軌道9200形電車」の記事における「投入の経緯」の解説
岡山電気軌道は、『チャギントン』とのライセンス契約を結び、「おかでんチャギントン」として運行することとなった。それが1081編成である。 A車が「ウィルソン」、B車が「ブルースター」をモチーフとしている。
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投入の経緯
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国鉄では1984年(昭和59年)から北陸新幹線での本格採用を目標としたVVVFインバータ制御の研究を進め、101系を改造して試験を行いデータを取得した。次の段階として、量産に向けその結果を反映した車両を新規に製造することとなり、投入路線としては常磐緩行線が選定された。 常磐緩行線は帝都高速度交通営団(営団、現・東京地下鉄)千代田線との相互直通運転を行っており、協定を満たす高い加減速性能と、車両使用料の関係から営団車両と同等の省エネルギー性能が要求される路線であり、また同線にはすでに103系1000番台に代わって電機子チョッパ制御を採用した203系が投入されていたことから、性能の比較検討もできるので投入するに適当であるとされ、1986年11月1日国鉄ダイヤ改正での同線の所要車両数の増加に合わせて製造・投入された。製造後は同線および千代田線の営業運転にて運用し、経過を見ることにした。 この経緯から、試作車900番台の10両編成1本が投入された。
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投入の経緯
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1989年(平成元年)10月の鴨東線開業時に伴う特急車の所要本数増加への対応と、特急の7両編成への統一を目的に、7両編成1本と中間車5両が製造された。 運用が開始されると、特急停車駅で8000系に乗車するために待つ乗客が非常に多くなったほか、3000系に組み込まれた8000系中間車に乗客が集中した。また、鴨東線開業に伴う特急の利用客増加は予想以上であり、特急を7両編成に統一したにも関わらず混雑する場面が多く、1989年12月には第1編成の補助いすに手すりが増設され、さらに編成中間に先頭車を含まない完全な固定編成とすることで収容力を向上させるため、特急を8000系に統一することとなり、1993年(平成5年)には7両編成10本(70両)となった。 その後、検査体制の見直しや、正月ダイヤ・行楽ダイヤにおける特急車不足に対応するため、3000系は1編成のみ残され、輸送力増強と旅客誘致を兼ねて、1995年(平成7年)にはリニューアルとともにダブルデッカー(2階建て車両)が改造で組み込まれた。好評を受け、1997年(平成9年)から1998年(平成10年)にかけて本系列にも年5両ずつ計10両のダブルデッカー(8800形)を新製、出町柳方から4両目(淀屋橋方から5両目)に組み込まれ、8両編成10本(80両)となった。 かつては、車内にテレビを設置した「テレビカー」も連結されていたが、後述のリニューアルの際に廃止された。2016年(平成28年)から2017年(平成29年)にかけて各編成の中間車1両が有料座席指定特別車両「プレミアムカー」に改造された。
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投入の経緯
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1960年代の京阪では普通や区間急行用として製造された高加減速車2000系が大量に投入されていたが、急行や準急は依然として元特急用車両(1700系・1800系)をはじめとした2扉車が多く運用されていた。乗降の少ない運用に長編成化した2扉車を回したり、大型化更新と称して戦前製の車両を3扉の通勤形車体に更新する(600系)ことで混雑や遅延を防ごうとしてきたものの、沿線人口の急激な増大でそれも限界に達しつつあった。そこで、3扉を有し急行や準急に使うことのできる走行性能を有し、かつ経済性にも優れた車両を新造することとなった。2000系は全車電動車によって編成が組まれていたが、本系列では当初から付随車を組み込んでいる。
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投入の経緯
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輸送力増強のために1995年2月に8両編成2本(16両)、同年12月に7両編成1本(7両)がそれぞれ川崎重工業兵庫工場で製造された。1989年に登場した7000系の設計をベースとして、前面や内装などに改良が加えられている。 1995年6月19日のダイヤ改正を前に同年5月1日から7201Fと7202Fが運用を開始し、続いて同年12月22日から7203Fが運用を開始した。
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投入の経緯
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架線電圧1500 V昇圧前の1983年(昭和58年)に、昇圧に対応できない旧系列車両を置き換える目的で導入された。省エネルギー、快適性の向上も目指して設計されている。 6001F(4両編成)が1983年3月2日に竣工し、同月17日に運行が開始された。当初は600 Vで使用するために4両編成5本20両が支線でも運転されていた。同年12月の昇圧までの約9か月間は、昇圧時の6000系による置き換えの対象となっていた、吊掛車である600系、1300系、1700系もともに運用されていた。 1983年12月4日の1500 V昇圧と同時に4両編成5本は中間車3両を組み込み7両化されたほか、新造の7両編成6本も同時に運用を開始した。 1986年(昭和61年)10月、京都地下線(三条駅 - 東福寺駅間)工事の試運転車両搬入に伴う車両不足に対応して、6012編成が4両編成で導入された。この編成より、ブレーキが回生ブレーキ併用の全電気指令式ブレーキHRD-1Rから回生ブレーキ優先全電気指令式ブレーキHRDA-1に変更された。以後の京阪線の新造車はすべてHRDA-1になる。 1987年(昭和62年)5月24日の三条駅 - 東福寺駅間地下化工事完成と、樟葉駅以東(以北)の急行停車駅のプラットホームが8両編成対応に延伸されたのに伴い、同年6月1日のダイヤ改正から全線通して運転される急行の8両編成運用が可能となったことから、これに合わせて1両を増結した8両編成が3編成組成された。 1989年に製造された6014Fの京都方3両はVVVFインバータ制御方式の長期試験車となった(残りの4両は界磁位相制御方式のまま)。その結果は同年に製造開始した7000系にも反映された。 1993年、6014FのVVVFインバータ制御試験車の3両は、車両番号変更のうえ7000系に編入された。その代替に6000系として3両が7000系の車体をベースに界磁位相制御方式の機器を載せる形で製造されて、編成内の制御方式が統一された。そのため、2代目にあたる6014号車を含めた京都方3両は、前面形状と窓枠の形状が他の本系列と異なり、7000系と同一規格になっている。 以上のように増備を続けて8両編成14本112両の総数となった。2600系0番台の老朽廃車が進んで同系の両数が減少したことで、本系列が京阪電鉄で最大両数となった。 登場時は600 Vで2M2T相当の4両編成として使用された。その当時の宇治線宇治行き電車(中書島駅にて) 8両編成・旧塗装当時の6001F(西三荘駅にて) 車内(モケット交換後)
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