投入と戦果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/25 08:52 UTC 版)
ノルマンディー上陸作戦を支援するため、第8、第9航空軍はドイツ側の輸送網に精密爆撃を加える手段としてAZONの投入を決意した。初の出撃計画が予定されたのは1944年5月8日である。目標はフランス沿岸の要塞砲、Uボート用の乾ドック、主要な橋梁である。しかしこの作戦は準備不足から延期された。 1944年5月23日、AZON誘導爆弾4発を搭載した第8航空軍のB-24が1機、また護衛としてP-51が8機投入された。爆撃機は東イングランドの基地から出撃、目標はノルマンディーに近い内陸部の4箇所の橋梁であり、爆撃手は良好な天候と護衛に助けられて橋梁の完全破壊に成功した。投下実験は5月末まで続き、中隊の爆撃手は良好な精度を示した。 1944年5月31日、本格的な実戦投入が行われた。5機のB-24に41機のP-51が護衛に付き、パリ郊外のセーヌ川の橋梁を攻撃したものの成果はほぼ得られなかった。 6月6日にはノルマンディー上陸作戦が決行され、こののちの1944年6月22日、第9航空軍はB-26爆撃機19機を用いてフランスのソミュールを流れるロワール川の鉄道橋を攻撃した。爆撃機編隊は長さ110mの標的に対し、高度6100mからAZONと無誘導爆弾を投下して破壊に成功した。この時のAZONは爆撃手が目視判別できるよう、煙の色が何色かに分けられていた。これらの戦訓からAZONの搭載位置の変更、ノルデン爆撃照準器の併用による誤差修正などが行われた。 1944年末から1945年初頭、AZONは山岳地帯の橋梁への爆撃に用いられた。これらは通常では破壊困難なピンポイント爆撃が要求される目標で、AZONはオーストリアのドナウ川、イタリア北部のアヴィシオ川の橋梁などの破壊に成功した。 太平洋戦線では1944年末にAZONの投入が決定され、1944年12月27日、ビルマで最初の作戦が行われた。インドを本拠におく第10航空軍が日本軍の補給路を攻撃、橋梁に投下された無誘導爆弾は命中しなかったものの、AZONは橋梁に直撃し破壊に成功した。 1945年初頭、第10航空軍隷下の第7爆撃グループは太平洋戦線において広範囲に活動し、459発のAZONを投入、27箇所の橋梁と鉄道路を破壊している。
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