導入に至る背景とは? わかりやすく解説

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導入に至る背景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 13:55 UTC 版)

広島電鉄2500形電車」の記事における「導入に至る背景」の解説

宮島線車両近代化、および宮島線市内線との直通運転目的として1960年昭和35年)より導入され2000形電車は、同形式に先行して直通運転車両として1958年昭和33年)に新製された850形電車(現・350形)を設計基本としつつ、専用軌道線である宮島線において必要とされる高速性能と、併用軌道区間大半占め市内線において必要とされる高い加減速性能両面充足させた高性能車両であった。しかし、2000形車体構造850形同様に従前市内線用車両同一の、単車1両編成)運転を原則とした純然たる路面電車車両そのものであり、1両当たりの車両定員80程度と、当時宮島線在籍した旧型鉄道線車両代替するにあたって輸送力不足が懸念された。 そのため、2000形走行性能そのままに、より輸送力の高い車両導入求められたことから、2000形設計基本としつつ、車体を2車体3台車構造連接仕様設計変更して1編成当たりの車両定員130人に増加させた2500形が、翌1961年昭和36年)から1964年昭和38年)にかけて5編成10新製された。広島電鉄における連接車導入例は、宮島線所属1040形電車2両を1957年昭和32年)に2車体3台車構造連接車改造した前例存在するが、当初より連接車として設計・製造された車両2500形最初であった車両番号(以下「車番」)は前記1040形における車番付与基準倣って2501-2502第1編成)から2509-2510(第5編成)といった具合編成単位ではなく車体単位車番付与された。 なお、1961年昭和36年)に落成した2501 - 2504の2編成4両はナニワ工機において新製されたが、翌1962年昭和37年以降落成した2505 - 2510の3編成6両は導入コスト削減目的として広島電鉄自社工場において新製され、両者細部相違点有した車番落成年月製造メーカー2500形2501-2502 1961年7月 ナニワ工機 2503-2504 2505-2506 1962年7月 自社工場 2507-2508 1964年9月 2509-2510 1964年11月 しかし、2500形増備同時期に広島市都市交通計画策定され、その中に市内線己斐(現・広電西広島) - 広島駅間に並行する形で地下鉄路線建設する構想盛り込まれた。当時広島電鉄モータリゼーション発展による乗合バスへの利用客移転交通量爆発的増加による市内線全線における恒常的なダイヤ乱れ発生など、経営的に困難な状況直面していた。さらに地下鉄建設計画具体化した場合路線存続危機直結することから、そのような将来展望不透明な状況において車両新製実施することは得策ではないと判断され2500形増備は5編成10両で打ち切られた。 一方で宮島線在籍する木造車体旧型車の老朽化限界迎えつつあり、また宮島線から市内線への直通需要増加一途辿ったことから、直通運転車両の不足を補うため1966年昭和41年)に大阪市交通局大阪市電)より同局1601電車を4両譲り受け大阪車輌工業において2車体3台車構造連接車2編成に大改造して2500形編入、2511 - 2514として導入した改造に際して台車を除く主要機器2501 - 2510同一のものへ全面的に換装性能面では統一図ったものの、車体連接改造除けば大阪市電1601形の原形保った形態であったことから、同一形式ながら外観は全く異なるものとなったまた、同4両はいずれ譲渡名義ではなく新製名義落成した車番種車落成年月2500形2511-2512 大阪市電1617・1630 1967年3月 2513-2514 大阪市電1636・1640 上記経緯経て計7編成14両の陣容となった2500形は、後年3車体連接構造直通運転車両における主流となったことに伴って1985年昭和60年)より輸送力増強目的として2501 - 2510新製車グループ対象に3車体4台車構造改造することとなり、改造後の同グループ3100形形式区分された。なお、改造対象から外れた車体流用車グループの2511 - 2514は1985年昭和60年)までに全車廃車となったため2500形形式消滅し現存する車両全て3100形形式称号付与されている。

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導入に至る背景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 09:25 UTC 版)

西武311系電車」の記事における「導入に至る背景」の解説

首都圏国鉄ならびに私鉄事業者においては第二次世界大戦中空襲などによって保有する施設および鉄道車両壊滅的な被害を蒙った事業者多く生じた中、西武鉄道(以下「西武」)は施設面における大きな被害蒙ることなく、また在籍する鉄道車両についても被災車両を1両も出すことなく終戦迎えた。もっとも、同時期における全ての鉄道事業者共通する喫緊の課題であった戦中酷使に伴う整備不良補修部品不足に起因する車両稼働率低下西武においても例外ではなく戦後間もない混乱期における利用客激増への対応もままならず深刻な車両不足に陥っていた。 他の事業においては運輸省当時)が制定した私鉄郊外電車設計要項」に準拠した車両いわゆる運輸省規格車両」や、本来国鉄向け設計され戦時設計モハ63形電車ロクサン形)の割り当てを受けるなどして車両事情改善図った。しかし西武においては車両増備に関して運輸省統制下に置かれることや、運輸省規格車両およびロクサン形の導入条件であった既存保有車両地方私鉄への供出を嫌い、それらの割り当て全て返上した。そして西武は、戦災によって被災焼失し首都圏各地大量に放置されていた省電(以下「戦災国電」)に着目し、これらを復旧の上導入することによって、運輸省統制を受けることなく、また他社への車両供出義務を負うこともなく輸送事情改善図った戦災国電復旧車両導入による輸送事情改善という手法そのものは、西武限らず複数事業者において行われたことではあるものの、戦災国電復旧車両のみによって輸送事情改善図った事業者は、大手私鉄においては西武一社のみであった総計45両が導入され戦災国電復旧車両のうち、種車車体長が17m級であった39両については制御電動車モハ311形制御車クハ1311形すなわち311系区分され復興社所沢車両工場のほか、復興社保谷車両工場大野組(上石神井車庫における出張工事)・関東車輌電気日本電修・小糸車輌の各工場事業者において復旧工事施工し上で1946年昭和21年)から1952年昭和27年)にかけて順次導入された。その他、前述ロクサン割り当て辞退代替措置として国鉄より借入したモハ50形2両を後に正式に譲り受けモハ311形編入したほか、1949年昭和24年)から1953年昭和28年)にかけて、国鉄払い下げ木造車の台枠流用して前述戦災復旧車グループのうち、モハ50形およびクハ65形種車とする車両とほぼ同一車体復興社所沢車両工場において新製した車両18増備された。 計57両が導入され311系戦後混乱期における西武車両事情改善寄与したほか、311系導入同時に国鉄制式の主要機器大量に導入したことが後年西武において国鉄制式機器長らく標準仕様となる契機となった。また車体幅2,800mmの311系導入伴って車体最大幅の上限を2,744mmと規定した地方鉄道法則る車体幅2,700mmを従来標準仕様とした自社線内車体限界拡幅工事行った結果後年輸送力増強に際して地上設備大きく手を加えることなく大型車導入を可能としたことなど、311系導入戦後西武において多大な影響を及ぼすこととなった。 さらに1959年昭和34年以降国鉄において廃車となったクモハ11形400番台払い下げを受け、371系モハ371形)として導入した同系列が導入され当時451系電車など新型車両増備進行中であったものの、経済成長に伴う爆発的な利用者増加対応するため中古車両の増備を必要とし、既に導入実績のある旧モハ50形後身であるクモハ11形400番台導入至った当初20両の導入予定したが、払い下げに際して状態の良い車両選定した結果増備計画大幅に遅延し最終的に13両の導入に留まった。 後年新型車両導入伴って311系1973年昭和48年)までに、371系1975年昭和50年)までに、それぞれ大半車両廃車となったが、鋼体化車グループのうちクハ1311形1313・1314、および371系種車とするクハ1311形1336、計3両については運転台撤去の上付随車サハ1311形1313・1314・1336と改称され351系電車中間付随車として1990年平成2年)まで運用された。

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導入に至る背景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/10 23:24 UTC 版)

近江鉄道モハ131形電車」の記事における「導入に至る背景」の解説

近江鉄道は、日中戦争激化に伴う戦時体制下公布され陸上交通事業調整法主旨に基づき1944年昭和19年3月1日付で八日市鉄道近江八幡 - 御園間11.5km、現・近江鉄道八日市線)を戦時統合したが、従来近江鉄道保有する路線架線電圧1,500V規格による電化路線であったのに対し路線非電化路線であり、また既存近江鉄道路線直接連絡していなかったことから車両運用不都合生じた。そのため近江鉄道においては八日市線新八日市駅から分岐して近江鉄道本線八日市駅に至る延長0.6kmの連絡線建設するとともに八日市線全線電化工事1945年昭和20年5月2日認可開始電化工事は翌1946年昭和21年1月1日付で、連絡線同年8月2日付でそれぞれ完成開通した。 これらは当時御園駅付近に存在した大日本帝国陸軍所有八日市飛行場への戦時輸送体強化という名目実施され工事であったが、前述通り工事完成1945年昭和20年8月15日太平洋戦争終戦の後にずれ込むこととなった。また工事完成伴って必然的に電車増備が必要となったものの、時節柄車両新規導入は非常に困難な状況にあり、さらに既存車両について戦中酷使起因する故障頻発によって車両稼働率低下近江鉄道における車両事情極めて逼迫し状況陥ったこのような状況下、近江鉄道親会社である西武鉄道同社救済名目1946年昭和21年12月モハ105形105を、翌1947年昭和22年6月にはモハ105形106の計2両の電車貸与した当時西武鉄道においても戦中酷使起因する在籍する車両故障発生増加および稼働率低下に伴う車両不足に悩まされていた時期であり、同2両が1923年大正12年)製の老朽木造車であったとはいえ子会社救済に回さざるを得なかったことは、それだけ近江鉄道における車両事情悪化していたことを示す端的な事例であった1948年昭和23年5月には西武鉄道よりモハ201形201・202貸与され同年8月14日認可によって前述モハ105106正式に譲り受け1949年昭和24年6月には前述モハ201・202正式に譲り受けたほか、同年8月20日認可モハ131131・132新たに譲り受けた。ただし、このうちモハ105106については老朽化起因する主要機器の故障頻発し現場から不評買ったことから、1949年昭和24年11月1日認可によって西武鉄道返還された。さらに上記電動車各形式編成する制御車として、1949年昭和24年11月から1950年昭和25年4月にかけてクハ1201形1201 - 1204(クハ1201・1203は初代)貸与を受け、同年6月5日認可正式に譲り受けた。これらの車両は正式譲渡後形式称号および車両番号(以下「車番」)は変更されず、モハ131131・132モハ201形初代)201・202、およびクハ1201形初代)1201 - 1204として、いずれも西武鉄道在籍当時原形式・原番号のまま運用された。 上記各形式による運用実績から、従来近江鉄道においては連結運転を行なう場合電化以前蒸気動力当時から運用される木造客車電動車牽引する形態であったものを、終端駅における機回し不要となる電動車制御車組み合わせによる運行全面的に改めることとなり、1955年昭和30年9月から1957年昭和32年3月にかけて、西武鉄道よりクハ1251形1252・1254 - 1260およびクハ1201形1203(2代)の計8両を譲り受けたこれまでの西武鉄道からの譲渡車両はいずれ西武鉄道在籍当時車番踏襲し、車籍も西武鉄道からのものを継承して導入されたが、同8両については近江鉄道在籍した木造客車の車籍を継承して改造名義落成し形式車番クハ1201形1205 - 1212クハ1210は初代)統合改番された。 延べ18両が導入され西武鉄道より譲り受けた木造各形式は、後年車体載せ替えおよび車体新製による鋼体化改造に際して実施され複雑な改番および形式区分経て2004年平成16年)まで在籍した

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