天皇論とは? わかりやすく解説

天皇論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)

三島由紀夫」の記事における「天皇論」の解説

基本的な考えとして三島は、日本日本以外の国から、何が日本ということ弁別する最終的なメルクマール指標)は、〈天皇しかない〉としている。 日本外国から弁別するメルクマール日本人他国人から弁別するメルクマールというのは天皇しかない。他にいくらさがしてもないんだ。 —  三島由紀夫石原慎太郎との対談)「天皇現代日本風土また、工業化進展しテレビマスメディアなどの〈バカコミュニケーション〉が発達し伝達機能容易になればなるほど各人バラバラひどくなる自己疎外」が起こって国民分裂し孤立してきて、〈伝達することによって、何らそれを統合することはできない〉状態となった空間的社会において、それを統合するには〈空白のもの〉、空間的伝達からの〈断絶しかない三島考え、〈時代全体空間的伝達によって動いている中で、時間的伝達をする人は一人かいない、それが天皇だ〉としている。 三島は、〈天皇政治上の無答責憲法上に明記されねばならない〉とし、軍事最終的指揮権を〈天皇帰属せしむべきでない〉としている。これは天皇日本の歴史の〈時間的連続性象徴祖先崇拝象徴〉であり、〈神道祭祀〉を国事行為として行ない「神聖」最終的に繋がっている存在ゆえに、〈天皇は、自らの神聖恢復すべき義務を、国民に対して負ふ〉というのが三島考えだからである。 この〈時間的連続性〉のことを三島は〈縦の軸〉(時間軸)とも呼び敗戦結果戦後の日本社会が、国際的経済的な空間軸(横の軸)ばかりになり、自国伝統・文化歴史持続性連続性である〈縦の軸〉が軽んじられているとしている。そして、冷戦時代入り共産圏国々においてすら、〈歴史連続性〉の観念なければ国家の平和や存立危ぶまれるということ気づいているにもかかわらず戦後から日本時間歴史)の連続性という〈縦の軸〉の重要性ないがしろにされ、国家根本危うくなっていると危惧している。 日本の〈歴史と文化伝統中心〉、〈祭祀国家の長〉である天皇は、〈国と民族非分離の象徴で、その時間的連続性空間的連続性座標軸である〉と説く三島は、〈文化概念としての天皇〉という理念説き伊勢神宮造営や、歌道における本歌取り法則などに見られるように、〈オリジナルとコピー弁別持たぬ日本の文化では、〈各代の天皇が、正に天皇その方であつて、天照大神オリジナルとコピーの関係にはない〉ため、天皇神聖で〈インパーソナルな〉存在であると主張している。 日本的な行動様式をもすべて包括する文化」()と、それを守る「剣」の原理(刀)の栄誉が、〈最終的に帰一する根源天皇〉であり、天皇日本非常事態になった場合には、天皇文化内包している「みやび」により、桜田門外の変二・二六事件のような蹶起手を差し伸べる形態になることもあると三島説き天皇は〈現状肯定シンボルでもあり得るが、いちばん先鋭な革新シンボルでもあり得る二面性〉を持つものとしている。 そうしたザイン国家像を否とし、ゾルレン国家像を是とする者〉の革新シンボルともなり得る天皇制における〈純粋性のダイナミクス〉、〈永久革命性格〉を担うものこそが〈天皇信仰〉である三島述べ、〈希望による維新であり、期待による蹶起〉の性質持っていた二・二六事件は、〈「大御心に待つ」ことに重きを置いた革命〉であり、〈当為ゾルレン)の革命、すなはち道義的革命〉の性格担っていたとしている。 私は本来国体論には正統異端もなく、国体思想そのものの裡にたへず変革誘発する契機があつて、むしろ国体思想イコール変革思想だといふ考へ方をするのである。それによつて、平田神学から神風連経て二・二六にいたる精神史潮流把握されるので、国体論自体永遠ザインであり、天皇信仰自体永遠現実否定のである明治政府による天皇制は、むしろこのやうな絶対否定的国体論攘夷)から、天皇簒奪したものであつた。(中略)しかし明治憲法上の天皇制は、一方で道義国家としての擬制存してゐた。この道国家としての擬制が、つひに大東亜共栄圏八紘一宇思想にまで発展するのであるが、国家道義との結合は、つねに不安定な危険な看板であり、(現代アメリカの「自由と民主主義」の使命感見よ)これが擬制として使はれれば使はれるほど、より純粋な、より先鋭な、より「正統的な道義によつて「顛覆」され「紊乱」される危険を蔵してゐる。道義現実はつねにザインの状態へ低下する惧れがあり、つねにゾルレンイメージにおびやかされる危険がある。(中略日本テロリズム思想自刃思想表裏一体をなしてゐることは特徴的であるが、二・二六事件二重性も亦、このやうな縦の二重性精神史二重性と共に、横の二重性社会学的二重性を持つてゐる。それは同時に尖鋭近代的性格包摂してゐる。 — 三島由紀夫「『道義的革命』の論理――磯部一等主計遺稿について」 三島は、〈日本改革原動力は、必ず、極端な保守の形でしか現われず、時にはそれによってしか、西欧文明摂取結果現われ積弊除去できず、それによってしか、いわゆる近代化」も可能ではない〉として、明治維新をみても結果的には〈開国論者がどうしてもやりたくてやれなかったことを、攘夷論者がやった〉という〈歴史の皮肉〉、〈アイロニカル歴史意志〉があるとしている。 そして〈西欧化腐敗堕落対す最大批評的拠点〉、〈革新原理〉であり、最終的に維新を「承引き」給う存在である祭祀王の天皇は、〈西欧化への最後トリデとしての悲劇意志であり、純粋日本敗北宿命への洞察力と、そこから何ものかを汲みとろうとする意志象徴〉であると三島自身天皇観語りつつ、昭和天皇制はすでにキリスト教入り込んで西欧理念蝕まれていたため、二・二六事件の「みやび」を理解する力を失っていたと批判している。 さらに戦後政策により、「国民親しまれる天皇制」という大衆社会化に追随したイメージ作りのため、まるで芸能人かのように皇室週刊誌ネタにされるような〈週刊誌天皇制〉に堕ちたことを三島嘆き天皇民主化しようとしてやり過ぎ小泉信三のことを、皇室からディグニティ威厳)を奪った大逆臣〉と呼び痛罵している。 三島は、昭和天皇個人に対しては、〈反感持っている〉とし、〈ぼくは戦後における天皇人間化という行為を、ぜんぶ否定しているんです〉と死の1週間前に行なわれ対談発言しているが、この天皇の「人間宣言」に対す思いは、『英霊の聲』で端的に描かれ、「人間宣言」を指南した幣原喜重郎批判している。 三島は、井上光晴が「三島さんは、おれよりも天皇苛酷なんだね」と言ったことに触れ天皇過酷な要求をすることこそが天皇対する一番の忠義であると語っている。また、〈幻の南朝〉に忠義尽くしているとし、理想天皇制は〈没我の精神〉であり、国家的エゴイズム国民エゴイズム掣肘するファクターで、新嘗祭などの祭祀重要性説いている。 天皇あらゆる近代化あらゆる工業化によるフラストレイション最後救世主として、そこにいなけりゃならない。それをいまから準備してなければならない。(中略天皇というのは、国家エゴイズム国民エゴイズムというものの、一番反極のところにあるべきだ。そういう意味で、天皇尊いんだから、天皇が自由を縛られてもしかたがない。その根元にあるのは、とにかく「お祭」だ、ということです。天皇がなすべきことは、お祭お祭お祭お祭、――それだけだ。これがぼくの天皇論の概略です。 — 三島由紀夫福田恆存との対談)「文武両道と死の哲学また、旧制学習院高等科首席卒業した際、昭和天皇実際に朝融王との説が有力)に謁見恩賜の銀時計拝受したとも語っている(銀時計拝受卒業式後に宮内省行なわれた)。 ぼくらは戦争中生れ人間でね、こういうところに陛下が坐っておられて、三時間全然微動もしない姿を見ている。とにかく三時間、全然木像のごとく微動もしない卒業式で。そういう天皇から私は時計もらったそういう個人的な恩顧があるんだな。こんなこと言いたくないよ、おれは。(笑)言いたくないけれどね、人間個人的な歴史の中でそんなことがあるんだ。そして、それがどうしてもおれの中で否定できないのだ。それはとてもご立派だった、そのとき天皇は。 — 三島由紀夫討論 三島由紀夫 vs. 東大全共闘」(1969年5月13日東京大学900教室壇上において) 終戦直後20歳時のノートにも、昭和天皇が「国民生活明るくせよ。灯火管制止めて街を明るくせよ。娯楽機関復活させよ。親書検閲如き即刻撤廃せよ」と命令した大御心」への感銘綴っている。 磯田光一は、三島自決1か月前に本当腹を切る前に宮中天皇殺したい宮中入れないので自衛隊にしたと三島から聞かされた、という主旨語っているが、これに対して持丸博は、用心深かった三島事前に決起自決を漏らすようなことを部外者に言うはずがない、という主旨疑問唱えている。 長く昭和天皇側近として仕えた入江相政日記入江相政日記』の記述から、昭和天皇三島三島事件少なからず関心持っていたことが示されている。 なお、鈴木邦男三島女系天皇容認しているメモ楯の会の「憲法研究会」のために残しているとして、昭和天皇側室制度廃止して十一家あった旧宮家臣籍降下させたことなどにより、将来に必ず皇位継承問題が起こることを三島批判的に予見していたという見解示しているが、鈴木見解の元としている松藤竹二郎著書3冊にもそういったメモ伝言具体的な提示はなく、著書には、三島死後に「憲法研究会」によって作成され原案概ね内容紹介しているだけで、鈴木はそれを「三島メモ」と勝手に言い換えてミスリードしている。元楯の会会員らや三島研究者の間でも三島女系天皇容認していたことを示すメモ文献存在確認されていないまた、三島生前に「女帝」や「女系天皇言及したことはなく、「憲法研究会」に3度顔を見せた際も、男系女系天皇について何の話もしていない三島文学評論仔細に見ている松本徹も、「三島文学やそこに書かれ三島男性観女性観からみて三島女系天皇容認説はありえない」と述べている。 鈴木邦男感心した皇位世襲であって、その継承男系子孫に限ることはない」という案は、三島死後行われた憲法研究会」における討議案のうち、あくまで1人会員意見として記載されているだけで、それに異議を唱える会員意見もあり、「憲法研究会」の総意として掲げているわけではない仔細に読めばその後段の話し合いでも、「“継承男系子孫に限ることはない”という文言憲法に入れ必要ない」という結論となっている。

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天皇論

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加地伸行」の記事における「天皇論」の解説

天皇制について、「私の天皇像とは、天皇制遂行できる天皇である。もしそれできない天皇ならば退位しもらいたい」「皇后役目は、ダンスでもなければ災害地見でもない」と平成年間皇室在り方に対して批判している。

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