平成年間
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1991年(平成3年)、「松前藩史」にある、売却して士の窮乏を救ったとされていた銅瓦の破片と推測される金属片が福山城跡の東角付近から出土し、その記述の裏付けになると注目された。 1992年(平成4年)の発掘では外堀の発掘が行われ、三の丸の下部に約180年前の石垣がそのまま残っていることが確認された。 1994年(平成6年)の発掘では松前城搦手御門跡の発掘が行われて約120年前の石垣の根石が確認され、本丸をしのぐ幅27メートルの大規模のものであったと考えられるようになった。 1995年(平成7年)の発掘では福山城太鼓櫓跡の発掘が行われると共に、福山城の5番台場と6番台場の位置や規模を確認する発掘調査が行われた。 1996年(平成8年)の発掘では番所跡の発掘が行われ、その位置や規模を確認が行われた。 2000年(平成12年)に外堀に架かる木橋と石橋のほか、搦手口には高麗門形式の「搦手二ノ門」が木造復元によって再建。2002年(平成14年)には、「天神坂門」が復元された。 2001年(平成13年)、北海道遺産(「福山城と寺町」)に選定。 2005年(平成17年)に松前町神明の山中で松前城石切り場跡が発見され、2007年(平成19年)に15カ所の作業跡や「矢穴」が確認された。 2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(3番)に選定され、2007年(平成19年)6月から全国規模の日本100名城スタンプラリーが開始された。
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平成年間
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2009年(平成21年)、月隈公園整備用道路建設のため公園内27箇所での試掘調査が行われた。 2011年(平成23年)、永山城跡の埋蔵文化財調査(発掘調査)が行われ、本丸の虎口北側石垣の遺構、建物礎石などが出土した。 2012年(平成24年)、7月中旬の九州北部豪雨によって月隈山登山道の一部が崩壊した。同年に行なわれた平成24年度発掘調査では、平成23年度に引き続き本丸跡の調査のほか、肥後殿堀跡(北西部水堀跡)の発掘調査が行なわれ、堀跡からは川石を利用した玉石の野面積み石垣の一部が出土した。 2016年(平成28年)2月9日、「永山城跡」として大分県の史跡に指定された。
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平成年間
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1991年(平成3年) 船津町の一部より、船津町1・2丁目を設置。 1999年(平成11年) 大字四ケの一部より、四箇新町1~3丁目を設置。 2013年(平成25年) 大字岩本及び大字白銀の一部より、岩本新町1・2丁目を設置。
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平成年間
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1997年(平成9年)3月8日 - たき火の火の不始末から大規模な山林火事が発生。安芸津町へ延焼して焼失面積は185haに達した。広島県では平成年間における4番目の規模。 2005年(平成17年)3月20日 - 安芸郡音戸・蒲刈・倉橋各町及び豊田郡豊浜・豊両町とともに呉市に編入され消滅する。
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平成年間
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広島市との合併話が出ているが、二転三転して合併問題は膠着している。 一時は、広島市と2003年(平成15年)に合併の調印を行ったが、その後、反対意見の強まりにより、2004年(平成16年)8月22日に住民投票が行われ、合併は白紙になった。 そもそも町内には、中国地方を管轄する陸上自衛隊第13旅団司令部や、多くのマツダ関連企業の工場が立地していることから、基地交付金や法人市民税・固定資産税等の収入で町財政は安定しており、合併に否定的な意見が多いとされている。同じ安芸郡の府中町にもマツダ本社があり、かつて麒麟麦酒広島工場からの巨額な法人市民税・固定資産税が入っていたために、広島市との合併を拒否してきたという似通った事情がある。 また、当町の上水道は、主に町内を流れる瀬野川からの取水と、山陽新幹線のトンネルを掘削した際に掘り当てた湧き水を、町内の2箇所の浄水場で浄水し、給水する自主水道でほぼ全町域使用分を賄っているが、広島市との合併に当たっては、この自主水道を廃止して、広島市や府中町同様、太田川の水を浄水した水の給水を受けることも条件の一つとして上がっており、その結果として、他の市町並みの水道料金の高騰化が懸念されたことも、合併拒否の理由とされている(海田町水道局の水道管は海田町内にしか流れていないので、維持管理費が安く、水道料金は近隣市町と比較して安価であると言われている。合併論議の際に町民に配布された比較データとしては、一般家庭で同じ水量を使用した場合、約1.7倍の水道料金になると試算されていた)。
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平成年間(魚沼市発足まで)
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「魚沼市の歴史」の記事における「平成年間(魚沼市発足まで)」の解説
1992年 - 入広瀬村で集中豪雨による被害が発生。激甚災害の指定を受ける。 1995年8月7日 - 堀之内IC供用開始。 1995年 - エコプラント小出郷が操業開始。 1998年12月 - 湯之谷村役場庁舎(現在の魚沼市役所湯之谷庁舎)建設。 1999年12月18日 - オートレース場 堀之内町場外車券売場「アレッグ越後」開場 (2003年3月31日営業終了。2008年取り壊し) 2000年3月1日 - JA小出、JA堀之内、JA藪神、JA守門、JA入広瀬が合併。JA北魚沼に。 2000年6月18日 - 入広瀬村の浅草岳で、行方不明者捜索活動中の警察官らが雪崩の直撃を受け4人死亡。 2001年7月10日 - 入広瀬村に新潟県立浅草山麓エコ・ミュージアムが落成。 2001年 - 広神村の広神ダム本体工事が着手。完成は2009年度予定。 2004年 - 市内循環バス試験運転 2004年7月13日 - 平成16年7月新潟・福島豪雨が発生。守門村、入広瀬村を中心に道路が決壊する被害が発生。 2004年10月23日 - 新潟県中越地震発生。後の魚沼市管内については死者5名、全壊75世帯、道路被害745カ所。 2004年11月1日 - 小出町、堀之内町、湯之谷村、広神村、守門村、入広瀬村が合併により魚沼市が誕生。
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平成年間(魚沼市発足以降)
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「魚沼市の歴史」の記事における「平成年間(魚沼市発足以降)」の解説
2006年2月1日 - JA北魚沼、JA湯之谷、JA広瀬、JA川口が合併。現在のJA北魚沼に。 2006年4月1日 - 旧堀之内町地域にて魚沼ケーブルテレビ開局。一部の難視聴地域が解消。 2007年8月30日 - 尾瀬国立公園が日光国立公園(1934年指定)から分離して指定される。 2008年 - 公共下水道事業が完成。 2009年8月 - 市営工業団地「水の郷工業団地」分譲開始。 2017年6月1日 - マルコメが水の郷工業団地に進出することを決め、工場立地に関する協定書を市と締結した。マルコメの工場が長野県外に進出するのは初めて。
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