平成教育委員会 毎回がスペシャル
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「平成教育委員会」の記事における「平成教育委員会 毎回がスペシャル」の解説
3回目の『平成教育テレビ』を終えた直後の1994年8月、北野がバイク事故で入院した。当番組は9月17日放送分までは逸見の入院時と同じ理由で事故前にまとめ撮りしたものを放送し、同年10月29日から翌1995年2月25日まで『平成教育委員会 毎回がスペシャル』というタイトルで放送された。 北野の代役として、明石家さんま(北野に倣ってさんまの芸名は使わず、本名の「杉本高文」名義で出演)、所ジョージ、大橋巨泉(この2名は杉本とは異なり芸名のまま出演)など北野と各局のレギュラー番組で共演し親交の深い人物が週替わりで「特別講師」として担当した。また「教育実習生」として、福井謙二や川端健嗣(ともに当時フジテレビアナウンサー)がサポートするスタイルとなった。また授業も国語や算数といったものではなく、ゼミやコースなど大学のような授業タイトルとなった。 このころは、統計の上位数項目を当てる「統計テスト」、幾つかの項目を指定された順番に並べ替える「選択テスト」、表に並べられた文字を拾って指定された言葉を作る「単語テスト」、国語の問題で一部分だけ表示されている状態から四文字熟語を当てる『読み取りテスト』等、徐々にクイズ形式の問題が増加していった。また教科ごとの成績優秀者などに与えられるものがたけしおとしから番組特製の懐中時計に代わり、これを10個集めれば海外留学ということになっていたが、この間は出なかった。また、問題ごとの点数は1点から最大10点になった。 特別講師が趣味・得意としている分野を題材にしたクイズコーナー『○○ゼミ』(○の部分に講師の苗字が入る)が設けられ、雑学をベースにした問題が出題された。 この間の『平成教育委員会』としては、1994年12月17日に生放送『全国○×王決定戦』(「平成教育テレビ」で定期的に行なわれていた企画、司会は所が担当)も行われた。また翌年の1995年1月7日には杉本が担当した『平成教育委員会 今回が本当のスペシャル』と称した2時間スペシャル版、その翌週の1月14日には大橋巨泉が担当した中学受験を間近に控えた小学生向けの2時間スペシャルがそれぞれ放送された。また巨泉が担当したこの回は2部構成になっており、1部は巨泉が担当、2部がラサール石井の進行担当となった。
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