戒壇院とは? わかりやすく解説

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かいだん‐いん〔‐ヰン〕【戒壇院】

読み方:かいだんいん

戒壇設けてある建物東大寺延暦寺などにある。


戒壇院


戒壇院

読み方:カイダンインkaidan’in)

別名 西戒壇

宗派 臨済宗妙心寺派

所在 福岡県太宰府市

本尊遮那仏

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

戒壇院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/21 23:08 UTC 版)

戒壇院(かいだんいん)は、福岡県太宰府市にある臨済宗寺院奈良時代において、出家者が正式の僧尼となるために必要な戒律を授けるために設置された施設で、「筑紫戒壇院(ちくしかいだんいん)」とも称される。


  1. ^ a b c 文化財>彫刻(太宰府市ホームページ)。
  2. ^ a b 文化財>建造物(太宰府市ホームページ)。
  3. ^ a b 文化財>工芸(太宰府市ホームページ)。
  4. ^ 文化財>天然記念物(太宰府市ホームページ)。


「戒壇院」の続きの解説一覧

戒壇院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 09:27 UTC 版)

東大寺の仏像」の記事における「戒壇院」の解説

戒壇堂は通年拝観可能。千手堂特別公開時を除き非公開銅造釈迦如来・多宝如来坐像 重要文化財奈良時代像高釈迦25.0センチ多宝24.2センチ。 戒壇院の中心堂宇である戒壇堂の堂内中央に立つ多宝塔中に安置されていた、一対如来像である(多宝塔内には模造安置され原品東大寺ミュージアムにて保管)。釈迦如来多宝如来一対造像するのは、『法華経』「見宝塔品」の説話に基づく。同経によれば釈迦説法をしていたとき、地中から巨大な宝塔出現し塔中にいた多宝如来(遠い過去世悟り開いた如来の一)がその説法称賛した。そして、多宝如来自分の座の半分空けて釈迦をそこに座らせたという。この説話に基づく造形遺品中国には多いが、日本では少ない。日本での作例としては長谷寺の『銅板法華相図』がある。現存する東大寺戒壇堂と堂内多宝塔はともに享保18年1733年)の再興であるが、釈迦如来多宝如来像は戒壇院が創立され天平勝宝5年753年)頃の制作とみられる。両像とも造で、像全体を一鋳とし、釈迦如来は衣を偏袒右肩右肩あらわにする)に着け上げた右手第3指曲げる。多宝如来通肩両肩を覆う)に衣を着け拱手する。釈迦像の印相鑑真授戒本尊印相と同様であることが指摘されている。像表面金泥による装飾文様は、現・戒壇堂が再建され享保18年1733年)に施されたもの。 厨子入木造千手観音・四天王立像 重要文化財鎌倉時代像高千手観音74.2センチ像高持国天43.1センチ増長天44.4センチ広目天44.2センチ多聞天44.5センチ。 戒壇院千手堂宝形厨子内には、千手観音像と四天王像の計5躯が安置されている。千手堂1998年火災全焼しており、現存する堂はその後再建されたものである火災時に堂内安置されていた仏像搬出され、一部損傷はあったが、焼失はまぬがれた。千手観音像は十一四十臂像で、ヒノキ材の寄木造金泥塗で玉眼用いる。着衣には截金麻の葉繋ぎ卍字繋ぎ蓮華唐草などの文様を表す。体部前後2材矧ぎで、これに別に作った頭部同じく前後2材矧ぎ)を差し込む(差首)。四天王像ヒノキ材の寄木造だが玉眼用いない。4体とも極彩色で、精緻技巧的作風を示す。千手観音像と同様に頭・体を別に作って差首とするが、頭部は4体とも一材製、体部広目天が一材製、持国天多聞天前後2材矧ぎ増長天は一材を前後矧ぎとする。各像は14世紀頃の善派南都仏師流派)の作とみられる類似の作風を示す像として、文和4年1355年)作の奈良霊山寺四天王像三重塔安置)が挙げられる厨子宝形屋根黒漆塗り春日厨子で、正面両側面に両開きの扉を設ける。扉の内面正面二十八部衆向かって右側面倶利伽羅竜剣と不動明王及び二童子左側面に四明王像(五大明王のうち不動明王除いたもの)、背面補陀落浄土図を描く。これらの厨子絵は南都絵所絵師の作で、像と同時期の作とみられる厨子の扉6面正面、左、右各2面)と背板1面1998年火災焼損したため取り外して別途保管されており、厨子には復元模写絵が描かれ新しい扉と背板取り付けられている。 木造鑑真和上坐像 重要文化財江戸時代像高78.2センチ。 戒壇院千手堂安置される像。奈良時代戒律伝えるため日本渡航した唐僧・鑑真肖像である。戒壇院は江戸霊雲寺の恵光の勧進により享保8年1733年)に再興されたが、本像も同じ享保8年1733年)の制作であることが、台座裏の墨書銘からわかる。また、東大寺年中行事記』寛保3年1743年)条によると、同年享保8年から10年後にあたる)に像の彩色行ったこと、像の作者は戒壇院光達であることがわかる。鑑真創立した奈良唐招提寺には、本人の没後まもなく制作されたと思われる鑑真肖像彫刻があるが、この唐招提寺像を忠実に模して制作されたのが戒壇院の鑑真像である。オリジナル唐招提寺像に比べると本像は表現固くなってはいるが、仏像彫刻衰退期である江戸時代作品としては優れた技巧をみせる像である。 木造愛染明王坐像 重要文化財鎌倉時代像高93.9センチ。 戒壇院千手堂安置される像。ヒノキ材の寄木造で、玉眼嵌入する。頭部体部それぞれ前後の2材から彫成し、6本の腕や両脚部は別材とする。像表面素地仕上げ宝冠瓔珞、胸飾は後補のものである台座は敷茄子(しきなす、蓮華座部分の名称)と蓮弁を後補するほか、当初のものである伝来不明だが、技法作風から鎌倉時代後期の作とみられる

※この「戒壇院」の解説は、「東大寺の仏像」の解説の一部です。
「戒壇院」を含む「東大寺の仏像」の記事については、「東大寺の仏像」の概要を参照ください。

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