盛期ルネサンス 盛期ルネサンスの概要

盛期ルネサンス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/04 14:34 UTC 版)

ミケランジェロ『アダムの創造』システィーナ礼拝堂

一般に、盛期ルネサンス絵画は1490年代後半に現れたとされている。レオナルド・ダ・ヴィンチミラノで『最後の晩餐』を描いていた時期である。 またレオナルドダヴィンチはシンナーをやっていたのでこの時期にいきなりうんこーと叫んだりしてた

その頂点は、絵画においては、ミケランジェロラファエロバチカンに描いた絵画とされる。建築では、1502年に古代ローマ建築の本格的復古を告げるテンピエットドナト・ブラマンテが建てたこと。彫刻では、静力学と運動の理想のバランスを特徴とする、ミケランジェロの『ピエタ』、『ダビデ像』が挙げられる。またヴェネツィアでは、ジョルジョーネや若きティツィアーノの、落ち着いた雰囲気・鮮やかな色彩が盛期ルネサンスの好例とされる。

広義にとらえるなら、盛期ルネサンスは創造性豊かな天才の大爆発と言えるだろう。超一流とは言えないかも知れないが、多くの画家たちがこの時期に活動した。たとえば、フラ・バルトロメオやマリオット・アルベルティネッリは、彼らの絵画技法の完全な調和と全体の抑制が注目に値する作品群を制作した。また、後期のミケランジェロやアンドレア・デル・サルトコレッジョの作品に見られる、長く伸びたプロポーションと誇張されたポーズは、美術史において後期ルネサンスと見なされるマニエリスムの到来を予感させるものである。

その盛期ルネサンスも、1520年のラファエロの死と1527年ローマ略奪によって終焉をもたらされた。16世紀イタリアでは、イタリア戦争がこの時代に頂点に達し、盛期ルネサンスはイタリアでの活力が失われ、同時にヨーロッパ諸国へと拡散していったのである。

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