アンドレア・デル・サルトとは? わかりやすく解説

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サルト【Andrea del Sarto】


アンドレア・デル・サルト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/29 14:53 UTC 版)

アンドレア・デル・サルト
Andrea del Sarto
自画像
生誕 1486年7月16日
フィレンツェ
死没 1530年9月29日
フィレンツェ
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ハルピュイアの聖母』 (1517年) ウフィツィ美術館
階段の聖母』 (1522-1523年) プラド美術館

アンドレア・デル・サルトAndrea del Sarto, 1486年7月16日 - 1530年9月29日)は、ルネサンス期のイタリア画家金細工師

概要

本名はアンドレア・ダニョーロ・ディ・フランチェスコ(Andrea d'Agnolo di Francesco)[1] 。イタリアのゴシック期、ルネサンス期の画家には、もっぱら通称で呼ばれる者が多いが、彼もその1人で、「アンドレア・デル・サルト」は「仕立て屋のアンドレア」の意である[2]ミケランジェロラファエロらがローマで華々しく活躍していたのと同じ頃、フィレンツェ美術伝統を守っていた画家である。

1486年、フィレンツェに生まれ、徒弟時代はフィレンツェ派の巨匠の一人であるピエロ・ディ・コジモに師事する。1518年から翌年にかけてフランス王フランソワ1世に招かれ、フォンテーヌブローへ赴いた。代表作である『ハルピュイアの聖母』には、安定した三角形構図(中央の聖母の頭部と、両脇の聖人の頭部を結んだが三角形をなす)、甘美な色彩、レオナルド・ダ・ヴィンチの影響が見られるスフマート(もやのかかったように表す描法/霧状効果)技法などの、アンドレアの画風の特色が見られる。アンドレアの弟子からはポントルモロッソ・フィオレンティーノなど、次世代のマニエリスム絵画を担う画家が出ている。

代表作

脚注

作品解説

  • 『アンドレア・デル・サルト.マニエリスムへの流れ』 セレーナ・パドヴァーニ
甲斐教行訳、東京書籍〈イタリア・ルネサンスの巨匠たち.26〉、1996年-小冊子・絶版『アンドレア・デル・サルト』 アントニオ・ナターリ/アレッサンドロ・チェッキ
宮田克人訳、京都書院〈カンティーニ美術叢書4〉、1995年-大著・絶版



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