アンドレア・デ・アダミッチとは? わかりやすく解説

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アンドレア・デ・アダミッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/01 05:44 UTC 版)

アンドレア・デ・アダミッチ
基本情報
フルネーム アンドレア・ロドヴィコ・デ・アダミッチ
国籍 イタリア
出身地 同・トリエステ
生年月日 (1941-10-03) 1941年10月3日(83歳)
F1での経歴
活動時期 1968,1970-1973
所属チーム '68 フェラーリ
'70 マクラーレン
'71 マーチ
'72,'73 サーティース
'73 ブラバム
出走回数 36 (30スタート)
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 6
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1968年南アフリカGP
最終戦 1973年イギリスGP
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アンドレア・ロドヴィコ・デ・アダミッチAndrea Lodovico de Adamich[1], 1941年10月3日 - )は、イタリアトリエステ出身の元レーシングドライバーである。1968年1月1日F1世界選手権にデビュー、36戦に出走して6ポイントを獲得した。

F1界では数少ない眼鏡着用者。

来歴・人物

1971年ドイツGPマーチをドライブするデ・アダミッチ
アルファロメオ・33TT12をドライブするデ・アダミッチ(1974年、ニュルブルクリンク

1965年にイタリアF3チャンピオンに輝く。同じ年にアルファロメオのワークスチーム、アウトデルタに加入。1966年にヨーロッパツーリングカー選手権チャンピオンを獲得。1968年、南アフリカGPフェラーリからF1デビューするがオイルにのってスピンしてリタイヤする。この年はフルシーズン参戦が予定されていたが、非選手権レース「レース・オブ・チャンピオンズ」の予選中の事故で首を負傷[2]したため南アフリカGPのみの出走になった。シーズン後半に行われたアメリカF2トーナメントで優勝する。

1969年にアウトデルタに再加入、1970年にアルファロメオ・V8エンジンを搭載したマクラーレンでF1に復帰。翌1971年は同じくアルファロメオのエンジンを載せたマーチからフル参戦する。

1972年、デ・アダミッチはスポンサーを持ち込んでサーティースに加入。ハラマ・サーキットで行われたスペインGPで4位。翌1973年スポンサー込みでブラバムに移籍。ベルギーGPで4位入賞するが、イギリスGPの2周目にジョディー・シェクターが引き起こした多重事故に巻き込まれ、左足、右足首の骨を折る重傷を負い[3](この事故ではアダミッチのみが負傷した[3])、デ・アダミッチのF1キャリアは終わりを告げた。1974年限りで引退後はイタリアでモータースポーツジャーナリスト、イタリア・1のスポーツ番組『Grand Prix』のコメンテーターとして活動、アルファロメオのレースカーを製造するN.テクノロジーの副社長も務める。

戦績

F1世界選手権

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 WDC ポイント
1968年 フェラーリ 312/67 RSA
Ret
ESP MON BEL NED FRA GBR GER ITA CAN USA MEX NC
(40位)
0
1970年 マクラーレン M7D RSA ESP
DNQ
MON
DNQ
BEL FRA
NC
GBR
DNS
NC
(28位)
0
M14D NED
DNQ
GER
DNQ
AUT
12
ITA
8
CAN
Ret
USA
DNQ
MEX
1971年 マーチ 711 RSA
13
ESP
Ret
MON NED FRA
Ret
GBR
NC
GER
Ret
AUT ITA
Ret
CAN USA
11
NC
(30位)
0
1972年 サーティース TS9B ARG
Ret
RSA
NC
ESP
4
MON
7
BEL
Ret
FRA
14
GBR
Ret
GER
13
AUT
14
ITA
Ret
CAN
Ret
USA
Ret
17位 3
1973年 ARG BRA RSA
8
16位 3
ブラバム BT37 ESP
Ret
BEL
4
MON
7
SWE FRA
Ret
BT42 GBR
Ret
NED GER AUT ITA CAN USA

ル・マン24時間

チーム No コ・ドライバー 車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
1970 アウトデルタSpA 36 ピアス・カレッジ アルファロメオ・T33/3 P3.0 222周 DNF DNF
1972 18 ニーノ・ヴァッカレラ P3.0 307周 4位 4位

脚注

  1. ^ FIA Year Book of Automobile Sport 1975. Patrick Stephens Ltd.. white p. 34. ISBN 0-85059-195-3 
  2. ^ Grandprix.com”. 2012年6月8日閲覧。
  3. ^ a b アラン・ヘンリー著・高斎正訳『世界の有名な50レース』(ソニー・マガジンズ、1991年)p.150。

関連項目

外部リンク

タイトル
先代
"ゲキ"
イタリアF3選手権チャンピオン
1965
次代
エルネスト・ブランビラ
先代
ジョン・ウィットモア
ヨーロッパツーリングカー選手権
チャンピオン (Div.2)

1966-1967
次代
ジョン・ローズ



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