ルパート・マンウォリング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 19:47 UTC 版)
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- マンワリング
Rupert Manwaring
ルパート・マンウォリング |
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生誕 | 1956年(67 - 68歳) |
国籍 | ![]() |
職業 | F1チームマネージャー(ロータス、ティレル、ミナルディ) |
著名な実績 | F1 |
公式サイト | RuSport Ltd |
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ルパート・マンウォリング(Rupert Manwaring、1956年 - )は、イギリスのレーシングチームマネージャー。チーム・ロータスなど多くのF1チームでマネージャーを務めた[1]。
同じ名前の息子はF1ドライバーのパフォーマンス・マネージャーをしている[2][3]。
経歴
ロンドン南部の郊外で育ったマンウォリングは、子供の頃からレーシングのファンであった[1]。ブライトンのサセックス大学で機械工学を学び、大学の休暇中にはエデンブリッジ(英語版)のF1チーム、サーティースで働いた[1]。
21歳で大学を卒業後、サーティースのデザインオフィスでドラフトマンの仕事に就くが、しばらくしてレースチームに異動し、1年後の1978年にはアシスタントチームマネージャーとなった[1]。しかし1979年にチームが解散となったため、ブラバムでストア・コーディネーターとして働くこととなった[1]。ブラバムではバーニー・エクレストンとハービー・ブラッシュ(英語版)の下につき、最終的にはアシスタントチームマネージャーとなった[1]。
1984年にブラバムを辞めてクラコ (Kraco_Enterprises) のインディカーチームで働くが、数ヶ月後にはF1チームのハース・ローラに移り、テイラー・アレキサンダー[注釈 1]の下でアシスタントチームマネージャーとなった[1]。しかしメインスポンサーのベアトリス・フーズ(英語版)の撤退により1986年にチームは解散となり、マンウォリングはチーム・ロータスに移った[1]。

ロータスではピーター・ウォーのアシスタントチームマネージャーとしてアイルトン・セナ、ネルソン・ピケらと仕事を共にし、1989年にはチームマネージャーに昇格した[1]。

1年後にはティレルに移籍しチームマネージャーを4年務め、1995年にはマーケティング部の責任者に任命された[1]。しかし1997年にティレルはブリティッシュ・アメリカン・タバコに買収され、マンウォリングは1998年にティレルを離れることとなった[1]。その後、一時ホンダ・レーシング・ディベロップメント(HRD)に加入し、ホンダF1の独自シャシーによるレース参戦プロジェクト、ホンダ・RA099のテストなどに関わるが、ホンダが自社チームでの参戦ではなくB・A・Rへのエンジン供給へと方針を転換したことからHRDを離脱した。
その後、2001年にポール・ストッダートが救済したミナルディのチームマネージャーとなり、2002年の終わりにはローラ・カーズのマネージングディレクターになった[1]。
評価
かつてティレルに所属していたステファノ・モデナはインタビューで、「私のF1でのキャリア全体を振り返ってみても、おそらく彼は最高のチームマネージャーだ」とマンウォリングを評価している[5]。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l “Rupert Manwaring”. grandprix.com. 2023年2月27日閲覧。
- ^ “About Us”. Rusport. 2023年2月27日閲覧。
- ^ Oleg Karpov (2020年7月4日). “F1仕事の流儀:フィジオ編「ドライバーの“右腕”として、心身共にサポート」”. motorsport.com. 2023年2月27日閲覧。
- ^ “マクラーレンの「最初の柱」、アレキサンダーさん死去”. F1エクスプレス. 東京新聞 (2016年1月9日). 2023年2月27日閲覧。
- ^ 『GP Car Story Vol.33 Tyrrell 020』三栄〈サンエイムック〉、2020年11月20日、78頁。ISBN 978-4779642463。
外部リンク
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※ 第2期・第3期・第4期の「主な関係者」は、基本的に各部門の「長(ディレクター)」以上にあたる人物のみに絞って記載(多数に及ぶため)。 ※ 「関連組織」の( )には略称、[ ]には関連する下部組織を記載。 ※1 ホンダ本社の役職者と本田技術研究所の人物を除く(兼務者が多数に及ぶため)。 ※2 ホンダ所有のサーキット。第1期と第2期に主要なテストコースとして用いられた。 ※3 ホンダ所有の展示施設。第1期から第4期の車両を所蔵(基本的に動態保存)している。 |
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