ジュリアン・ベイリーとは? わかりやすく解説

ジュリアン・ベイリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 10:14 UTC 版)

ジュリアン・ベイリー
Julian Bailey
ジュリアン・ベイリー
1991年アメリカGP
基本情報
国籍 イギリス
生年月日 (1961-10-09) 1961年10月9日(62歳)
ジュリアン・テレンス・ベイリー
Julian Terence Bailey
出身地 イングランド
ロンドン ウーリッジ
基本情報
F1での経歴
活動時期 1988,1991
所属チーム '88 ティレル
'91 ロータス
出走回数 20 (7スタート)
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 1
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1988年ブラジルGP
最終戦 1991年モナコGP
テンプレートを表示
BTCCでの経歴
チーム ニッサン
トヨタ
ドライバーズ
チャンピオン
0
勝利数 1
表彰台 3
ポール
ポジション
1
ファステスト
ラップ
2
デビュー 1991
初勝利 1993
最高位 5位 (1993)

ジュリアン・テレンス・ベイリーJulian Terence Bailey, 1961年10月9日 - )は、イギリスの元レーシングドライバー1988年1991年F1世界選手権に参戦した。1999年のイギリスGT選手権、2000年のFIA GT選手権シリーズチャンピオン。

来歴

イギリス・ロンドン東部で生まれたが、子供の頃をスペインメノルカ島で過ごしたため、レーシングキャリアのスタートはスペインのカートレースが最初だった[1]

1980年、イギリス・フォーミュラ・フォードで4輪レースに転向し、ランキング8位となる。1982年にイギリス・フォーミュラフォード1600でチャンピオンを獲得[2]ブランズハッチで行われたフォーミュラ・フォード・フェスティバルでも総合優勝を成し遂げた。

1983年にフォーミュラ・フォード2000へとステップアップしランキング3位(ランキング2位はマウリシオ・グージェルミン)。シーズンの閉めに行われるビッグレース「BBC TV Grandstand Formula Ford 2000 Trophy」ではアンソニー・レイドアンディ・ウォレスを破り優勝を果たした。

1985年にデビッド・プライス・レーシングイギリスF3選手権のシートを得てステップアップ、1986年にスワロー・レーシングに移籍し、4回の表彰台獲得でランキング6位を記録。1987年シーズン途中からGAモータースポーツに移籍し、F1直下カテゴリーである国際F3000選手権のシートを獲得。第7戦ブランズハッチでF3000初優勝をマーク、この勝利は国際F3000選手権創設後初のイギリス人による優勝だったため、イギリスのレースメディアでの注目株となり、ケン・ティレルの目に留まることにもなった。11月のマカオグランプリF3にも参戦し、レイナード873・アルファロメオで4位と上位の結果を残す。同年の活躍により、1988年にはスポンサーを持参しティレルからのF1デビューが決まった。なお、ジョニー・ハーバートデイモン・ヒルマーティン・ドネリーはフォーミュラ・フォード時代からイギリスF3、国際F3000までほぼ同じタイミングで同カテゴリーに参戦したライバルであり友人である。イギリスF3ではロス・チーバーアンドリュー・ギルバート=スコットと同時期参戦だった。

F1

1988年

ティレルからF1デビューとなったが、この年チームが開発したティレル・017は重度のアンダーステアという持病がありコーナリング性能が低く[3]、決勝に進出したのはわずか6回・ノーポイントに終わり、チームメイトのジョナサン・パーマーに対して2勝14敗と大きく負け越した。ティレルとの契約は更新されなかったため、新たなシートを求めて翌1989年からのF1参戦を予定していたファースト・レーシングと交渉しシート獲得濃厚となっていたが、参戦資金の問題で2カーエントリーから1カーエントリーへと計画変更されたため立ち消えとなり[4]、フランスのラルースとテストドライバーとして契約[5]。日本のニスモとレースドライバー契約し、F1から離れてグループC(WSPC)マーク・ブランデルとのコンビで2年間参戦した。

1991年

スポーツカーレース参戦後、負傷したマーティン・ドネリーの代役としてロータスと契約し、3年ぶりのF1復帰を果たす[6]。同年開幕前のロータスはメインスポンサーなしと、チーム存続が危ぶまれている状況だったが、3年前にデビュー戦となったサンマリノGPで6位入賞(自身F1初入賞)を果たす。さらにチームメイトのミカ・ハッキネンも5位入賞しており、ロータスにとって同年唯一のダブル入賞となった。しかしながらベイリーのポイント獲得と決勝進出はこのサンマリノGPのみであり、第4戦終了後に持ち込んだスポンサー資金が終了したためジョニー・ハーバートにシートを譲り、F1シートを失った。

その後

1991年は日産、1993年にはトヨタからイギリスツーリングカー選手権に参戦、年間ランキング最高位は5位を記録し、1995年までフル参戦した。1999年のイギリスGT選手権英語版リスター・ストームから参戦しチャンピオンを獲得。翌2000年には同チームでFIA GT選手権に参戦し、ここでもシリーズチャンピオンに輝いた。

現在はドライバーから引退し、ESPNのF1中継ゲスト解説者として活動中。また、BBCの自動車番組『トップ・ギア』内の覆面ドライバー「ザ・スティグ」の一人だった[7]

人物

  • ジュニアフォーミュラ参戦時代にはロンドン北部でパブを経営しており、レース活動を本格化させるためにパブを売却した。
  • 幼少期は貧しく、成人してからも読み書きが不得意だったという。
  • 1980年のフォーミュラ・フォードデビューから継続してレース活動を続けられたわけではなく、1981年と1984年はレース活動をほとんど行えず、1985年にイギリスF3のシートをハーフシーズン得て活動復帰した。1987年も開幕時にシートが無く、シーズン途中から国際F3000シートを得て活動を再開している。
  • 継息子のジャック・クラーク (レーサー)英語版もレーシング・ドライバーとなった。フォーミュラ・BMWフォーミュラ・パーマー・アウディ英語版への参戦後、FIA F2選手権に参戦。2014年からイギリスツーリングカー選手権にデビューしている。

レース戦績

国際フォーミュラ3000

エントラント シャシ エンジン タイヤ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 DC ポイント
1987年 GA・モータースポーツ ローラ・T87/50 コスワース DFV A SIL VLL SPA PAU DON
Ret
PER
4
BRH
1
BIR
Ret
IMO
NC
BUG
6
JAR
Ret
7位 13

マカオグランプリ

チーム シャシー/エンジン 予選 レース1 レース2 総合
成績
1987年 レイナード R&D w/ ワトソンズ・ウォーター レイナード・873/アルファロメオ 7位 台風の影響により1ヒート制 4位
1989年 ワトソンズ・ウォーター・チーム・シューベル レイナード・893/フォルクスワーゲン 11位 3位 2位 2位
1991年 ワトソンズ・ウォーター・ウエスト・サリー・レーシング ラルト・RT35無限ホンダ 14位 13位 DNF NC

フォーミュラ1

エントラント シャシー エンジン タイヤ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 WDC ポイント
1988年 ティレル 017 フォード・コスワース DFZ 3.5 V8 G BRA
DNQ
SMR
Ret
MON
DNQ
MEX
DNQ
CAN
Ret
DET
9
FRA
DNQ
GBR
16
GER
DNQ
HUN
DNQ
BEL
DNQ
ITA
12
POR
DNQ
ESP
DNQ
JPN
14
AUS
DNQ
NC 0
1991年 ロータス 102B ジャッド EV 3.5 V8 G USA
DNQ
BRA
DNQ
SMR
6
MON
DNQ
CAN MEX FRA GBR GER HUN BEL ITA POR ESP JPN AUS 18位 1

世界スポーツカー選手権

ル・マン24時間レース

チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回数 総合
順位
クラス
順位
1989年 ニッサン・モータースポーツ マーク・ブランデル
マーティン・ドネリー
ニッサン・R89C C1 5 DNF DNF
1990年 ニッサン・モータースポーツ・インターナショナル マーク・ブランデル
ジャンフランコ・ブランカテリ
ニッサン・R90CK 142 DNF DNF
1997年 ニューカッスル・ユナイテッドリスター トーマス・エルドス英語版
マーク・スカイフ
リスター・ストーム GTL GT1 77 DNF DNF
2001年 MG・スポーツ&レーシング Ltd. マーク・ブランデル
ケビン・マクガリティー
MG-ローラ・EX257英語版 LMP675 92 DNF DNF
2002年 マーク・ブランデル
ケビン・マクガリティー
219 DNF DNF

デイトナ24時間レース

チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回数 総合
順位
クラス
順位
1991年 ニッサン・パフォーマンス・テクノロジー スティーブ・ミレン
アリー・ルイエンダイク
ジェレミー・デール
ニッサン・R90CK LM 472 DNF DNF
アリー・ルイエンダイク
デレック・デイリー
47 DNF DNF

セブリング12時間レース

チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回数 総合
順位
クラス
順位
1991年 ニッサン・パフォーマンス・テクノロジー チップ・ロビンソン
ボブ・エール
ニッサン・NPT-90 GTP 297 2位 2位

イギリス・ツーリングカー選手権

チーム 車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 順位 ポイント
1991年 ニッサン・ヤンスピード・レーシング ニッサン・プリメーラ eGT SIL
1
SNE
1
DON
1
THR
1
SIL
1
BRH
1
SIL
1
DON
1
DON
2
OUL
1
BRH
1
BRH
2
DON
1

Ret
THR
1

Ret
SIL
1

12
NC 0
1992年 チーム・セキュリコー・ICS・トヨタ トヨタ・カリーナ SIL
1
THR
1
OUL
1
SNE
1
BRH
1
DON
1
DON
2
SIL
1
KNO
1
KNO
2
PEM
1
BRH
1

16
BRH
2

Ret
DON
1

9
SIL
1

13
23位 2
1993年 チーム・セキュリコー・トヨタ トヨタ・カリーナ E SIL
1

Ret
DON
1

7
SNE
1

2
DON
1

5
OUL
1

15
BRH
1

6
BRH
2

9
PEM
1
4
SIL
1

Ret
KNO
1

2
KNO
2

1
OUL
1

5
BRH
1

7
THR
1

7
DON
1

7
DON
2

16
SIL
1

6
5位 88
1994年 チーム・カストロール・トヨタ THR
1

20
BRH
1

19
BRH
2

10
SNE
1

Ret
SIL
1

10
SIL
2

5
OUL
1

10
DON
1

8
DON
2

5
BRH
1

11
BRH
2

9
SIL
1

DNS
KNO
1

8
KNO
2

7
OUL
1

9
BRH
1

10
BRH
2

6
SIL
1

5
SIL
2

6
DON
1

6
DON
2

6
12位 66
1995年 チーム・トヨタ・GB DON
1

Ret
DON
2

Ret
BRH
1

6
BRH
2

8
THR
1

7
THR
2

8
SIL
1

Ret
SIL
2

DNS
OUL
1

4
OUL
2

9
BRH
1

6
BRH
2

6
DON
1

6
DON
2

7
SIL
1

4
KNO
1

6
KNO
2

9
BRH
1

9
BRH
2

Ret
SNE
1

11
SNE
2

6
OUL
1

Ret
OUL
2

4
SIL
1

Ret
SIL
2

5
9位 94

スパ・フランコルシャン24時間レース

チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回数 総合
順位
クラス
順位
1993年 トヨタ・レーシング エリック・ヴァン・デ・ポール
ウィル・ホイ
トヨタ・カリーナ E GTi FISA
2L
271 23位 3位

FIA ツーリングカー・チャレンジ/FIA ツーリングカー・ワールド・カップ

国籍 No. エントラント 車両 1 2 順位 ポイント
1993年 イギリス 25 チーム・セキュリコー・トヨタ トヨタ・カリーナ MNZ
1

9
MNZ
2

Ret
16位 12
1994年 イギリス
(ノミネートせず)
40 チーム・カストロール・トヨタ DON
12
12位 9

ギア・レース・オブ・マカオ

チーム 車両 1 2 総合
順位
1995年 トヨタ・チーム・トムス トヨタ・コロナ EXiV 3 3 3位

FIA GT選手権

バサースト1000

チーム コ・ドライバー 車両 周回数 総合
順位
1997年* FAI・インシュランス ウォーレン・ラフ ホンダ・アコード 138 10位

イギリス・GT選手権

チーム 車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
2000年 サーテック・モータースポーツ リスター・ストーム GT THR CRO OUL DON SIL BRH DON CRO SIL SNE SPA SIL
1
25位 15

脚注

  1. ^ Tyrrell Racing Oganisation 4ジュリアンベイリー(イギリス)F1日本グランプリ公式プログラム 31頁 鈴鹿サーキットランド 1988年10月発行
  2. ^ THE LOLA T640 Julian Bailey with the winner's garland. Lola Heritage
  3. ^ テストでもクラッシュ 絶不調のティレル F1GPX '88サンマリノGP号 29頁 1988年5月23日発行
  4. ^ 噂のベイリーは見送り ファーストは1カーエントリーに グランプリ・エクスプレス1989シーズン歓待号 29頁 1989年3月13日発行
  5. ^ 続出No.3ドライバーたち 1989 F1GPX 1989ブラジルGP号 37頁 山海堂 1989年4月15日発行
  6. ^ ロータスの代役にジュリアン・ベイリー F1速報 1991アメリカ 21頁 ニューズ出版
  7. ^ Dunn, Joseph (2009年1月30日). “The Stig, the man with no name”. The Sunday Times (London). http://www.timesonline.co.uk/tol/driving/features/article5619190.ece 2010年8月27日閲覧。 

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