ラルフ・ベラミー_(エンジニア)とは? わかりやすく解説

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ラルフ・ベラミー (エンジニア)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/03 05:55 UTC 版)

ラルフ・ベラミー
Ralph Bellamy
生誕 (1938-02-04) 1938年2月4日(85歳)
オーストラリア
ニューサウスウェールズ州シドニーイーストウッド英語版
国籍 オーストラリア
業績
専門分野 レーシングカーデザイナー
雇用者 マクラーレン
ブラバム
ロータス
フィッティパルディ
エンサイン
マーチ
ローラ
設計 マクラーレン・M19A
ブラバム・BT37

ラルフ・ベラミー(Ralph Bellamy、1938年2月4日 - )は、オーストラリアのレーシングカー・デザイナー。同・ニューサウスウェールズ州シドニーイーストウッド英語版出身。

キャリア

ブラバムエンサインフィッティパルディローラマクラーレンなどのさまざまなチームで働いた[1] [2]

1960年代にヨーロッパのモーターレースでキャリアを成功させようとした。

ヨーロッパに入ると、ベラミーは1970年にマクラーレンM14ゴードン・コパックとの仕事で注目されるようになる。

1971年のマクラーレンM19Aのチーフデザイナーとなり、続いてマクラーレンM21を設計した。

その後、彼はマクラーレンからバーニー・エクレストンが担当するブラバムに移り、ブラバムBT34BT37に再設計した。

その後、ベラミーはゴードン・マレーに職を奪われ、ロータスに移り、ロータス78を設計するチームの1人になった[3]

1978年にフィッティパルディ・オートモーティブに参加し(フィッティパルディF6)[4]、1979年、エンサインに移籍し、秋にはエンサインN180, N180Bの設計した。

1983年から、ベラミーはマーチインディカーのデザインとF2マシンのデザインを設計した。

1986年にはローラで働き、F3000シャーシ(T86/50)と、チーム・ハース(ローラTHL2) の車体形状の設計をした。

ベラミーは1993年に引退し、オーストラリアに戻ったが、トニー・ロングハースト・レーシングのV8スーパーカーの設計にモータースポーツに携わっていた[5]

脚注

  1. ^ x-ray-spec-mclaren-m19”. Motor Sport magazine archive. p. 64 (2005年). 2017年1月23日閲覧。
  2. ^ Ralph Bellamy - BRDC Members - British Racing Drivers' Club”. brdc.co.uk. British Racing Drivers' Club. 2017年1月23日閲覧。
  3. ^ Kirby. “The Way It Is/ How aerodynamics took over the sport”. gordonkirby.com. 2017年1月23日閲覧。
  4. ^ Official Website of McLaren-Honda Formula 1 Team”. 2022年8月15日閲覧。
  5. ^ service. “Grandprix.com”. 2022年8月15日閲覧。



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