フォンドメタル・フォメットF1とは? わかりやすく解説

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フォンドメタル・フォメットF1

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/01 07:28 UTC 版)

フォンドメタル・フォメットF1
カテゴリー F1
コンストラクター フォンドメタル
デザイナー ロビン・ハード (Technical Director)
ティム・ホロウェイ (Chief Designer)
先代 オゼッラ・FA1M
後継 フォンドメタル・GR01
主要諸元
シャシー カーボンファイバーモノコック
サスペンション(前) カーボンファイバーダブルウィッシュボーン, プッシュロッド, コニ製ショックアブソーバー
サスペンション(後) カーボンファイバーダブルウィッシュボーン, プッシュロッド, コニ製ショックアブソーバー
エンジン フォード-コスワース DFR, 3.5リッター, 625ps, V8 (90°), NA,
トランスミッション フォンドメタル 6速
重量 505kg(ドライバー、燃料を含む)
燃料 アジップ
タイヤ グッドイヤー
主要成績
チーム フォンドメタルF1 SpA
ドライバー オリビエ・グルイヤール
ガブリエル・タルキーニ
初戦 1991年サンマリノグランプリ
出走 優勝 ポール Fラップ
5 (14) 0 0 0
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フォンドメタル・フォメットF1 (Fondmetal Fomet F1) はフォンドメタル1991年F1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー。デザイナーはロビン・ハード

開発

フォメットF1は1991年の前半にイギリスを拠点とするフォメットによって製作された。フォンドメタルが製作した最初のシャシーである。エンジンはブライアン・ハートがチューニングしたフォード-コスワース DFRを搭載した。ギアボックスは自社製6速で、1991年サンマリノグランプリ前日にテストが行われた。フォメットF1は序盤2戦で使用されたFA1M-Eよりもホイールベースが延長され、ボディスタイルはスリム化された。車体はフォンドメタルのカラーである紺色に塗装され、サイドポッドは銀地に赤のラインが入れられた。

責任技術者はティノ・ベッリ、ティム・ホロウェイが担当し、いくつかの細かな開発は後にリチャード・ディバイラによって行われた[1]

フォメットは当初フォンドメタル・コルセと密接に関連していた。フォンドメタルのオーナー、ガブリエーレ・ルミは1980年代にオゼッラをスポンサードしていた。フォンドメタルは1990年後半に資金と技術的に苦しむチームを引き継ぎ、ルミはチームの技術的基礎を確立しようとしていた。レギュレーションが改正されターボエンジンが禁止、自然吸気エンジンのみで争われることになり、トップチームだけでなく多くの小チームがイギリスを拠点として活動するようになった[2][3]。ルミは1990年後半、イギリスのビスターにフォメットを設立、イギリス人エンジニアを雇用した。フォメットはマーチ・エンジニアリングの敷地内に開発拠点を持ち、当初はマーチのエンジニアだったロビン・ハードが監修した[4]。この間にフォメット1が開発された。

結果の出ないシーズンを送り、フォメットとフォンドメタルの間には亀裂が生じた。ルミはフォメットとのコラボレーションを終了することとした。フォメットはヴェンチュリーによって買収されヴェンチュリーUKと改名、既に開発していた1992年用の車両はヴェンチュリー・LC92としてラルースが使用した。フォンドメタルはセルジオ・リンランド率いるアスタウトと1992年の車両を開発することを発表した。しかしながら、その新型車は1992年半ばまで投入されなかった。

レース戦績

フォメットF1のデビューは成功とは言えなかった。オリビエ・グルイヤールは3戦連続して予備予選落ちした。しかし、マニクールでのテストの後、グルイヤールはメキシコグランプリを10位で予選通過した。フォメットF1の最高位はベルギーグランプリでの10位であった。第14戦のスペイングランプリからグルイヤールに代わってガブリエル・タルキーニがドライブした。タルキーニは3戦中2戦で完走を果たした。

F1における全成績

(key) (太字ポールポジション

チーム エンジン タイヤ No. ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位
1991年 フォンドメタル
F1 SpA
フォード コスワース
DFR 3.5, V8
G USA
BRA
SMR
MON
CAN
MEX
FRA
GBR
GER
HUN
BEL
ITA
POR
ESP
JPN
AUS
0 NC
14 オリビエ・グルイヤール DNPQ DNPQ DNPQ Ret Ret DNPQ DNPQ DNQ 10 Ret DNPQ
14 ガブリエル・タルキーニ 12 11 DNPQ

参考文献

  • Alan Henry: Autocourse 1992/93, London 1992 (Hazleton Securities Ltd.), ISBN 0-905138-96-1.(ドイツ語)
  • Patrice Buchkalter und Jean Francois Galeron: Formula 1 – a complete guide to 1992, Surrèsnes (Taillandrier) 1992, ISBN 2-87636-107-8.(ドイツ語)
  • Adriano Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports, Stuttgart 1997, ISBN 3-613-01848-9.(ドイツ語)
  • David Hodges: A–Z of Grand Prix Cars 1906–2001, 2001 (Crowood Press), ISBN 1-86126-339-2.(英語)
  • David Hodges: Rennwagen von A–Z nach 1945, Stuttgart 1993, ISBN 3-613-01477-7.(ドイツ語)
  • Pierre Ménard: La Grande Encyclopédie de la Formule 1, 2. Auflage, St. Sulpice, 2000, ISBN 2-940125-45-7.(フランス語)

参照

  1. ^ www.f1rejects.com Archived 2010年12月27日, at the Wayback Machine. (2011-01-10).
  2. ^ Vgl. dazu: Cimarosti. Das Jahrhundert des Rennsports. S. 374.
  3. ^ フェラーリギルフォードに開発拠点を開設し、1989年のシャシーを開発した。 (vgl. Cimarosti: Das Jahrhundert des Rennsports, S: 401); ユーロブルン・レーシングは「ブルン・テクニック」をベイジングストークに開設した。
  4. ^ Ménard: La Grande Encyclopédie de la Formule 1, S. 463.

外部リンク




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