エンサイン・N180とは? わかりやすく解説

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エンサイン・N180

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/23 05:29 UTC 版)

エンサイン・N180
エンサイン・N180B
マレーシア、クアラルンプールで展示されるエンサイン・N180。2010年8月1日
カテゴリー F1
コンストラクター エンサイン
先代 エンサイン・N179
後継 エンサイン・N181
主要諸元
エンジン フォード-コスワース DFV 3.0L V8
タイヤ グッドイヤー, ミシュラン, エイヴォン
主要成績
ドライバー クレイ・レガツォーニ, ティフ・ニーデル, ヤン・ラマース, ジェフ・リース, マルク・スレール, リカルド・ロンドノ, エリセオ・サラザール, ロベルト・ゲレーロ
出走時期 1980年, 1981年, 1982年
初戦 1980年アルゼンチングランプリ
出走 優勝 ポール Fラップ
30 0 0 1
テンプレートを表示
シルバーストン・クラシック2012でのN180
N180のコクピットでのヤン・ラマース、1980年オランダグランプリ。

エンサイン・N180 (Ensign N180) は、イギリスのレーシングチーム、エンサイン1980年F1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー1981年1982年は改良型のN180Bが投入された。N180Bはその後売却されブリティッシュF1選手権、インターセリエ、Can-Amに参戦した。

開発

チームはユニパート英語版の支援を受け、ラルフ・ベラミーとナイジェル・ベネットが新型マシン、N180の開発を行った。両者は2ヶ月で設計を完了し、1979年の秋にN180は完成した。N180は一体式の滑らかなボディを持ち、外見はウィリアムズ・FW07によく似ていた。エンジンはコスワースDFVを搭載した。

1980

N180はクレイ・レガツォーニの手により1980年1月、アルゼンチングランプリでデビューした。レガツォーニは70年代始めにフェラーリからF1参戦し、74年には最終戦のアメリカグランプリエマーソン・フィッティパルディに敗れタイトルを逃している。1977年にエンサインに移籍し、78年はシャドウに移籍したが、この2年は不振を囲った。翌79年にウィリアムズに移籍、イギリスグランプリで優勝しチームにとっての初の勝利を獲得した。にもかかわらず、1980年には再びエンサインに移籍している。

開幕戦の予選でレガツォーニは1.47.18で15位となる。これはトップのウィリアムズ・FW07をドライブするアラン・ジョーンズのタイムから3秒以上の差があった。決勝でレガツォーニはメカニカルトラブルのため2度ピットインしている。結局は優勝したジョーンズから9周後れでゴールしたが、周回数不足のため完走扱いとはならなかった。第2戦ブラジルグランプリでは12番グリッドからスタートしたものの、13周目にエンジントラブルでリタイアした。両レースともN180は予選をトラブル無く中位で通過したが、決勝ではトラブルに泣かされることとなった。

第4戦アメリカ西グランプリでレガツォーニは大クラッシュし、そのキャリアを終えることとなる。同時にN180のプロジェクトも停止した。50周目で4位の位置にいたレガツォーニのN180は、ショアラインドライブから続くブレーキゾーンでチタン製のブレーキペダルが破損してしまう。減速できないままコースアウトし、先にリタイアしランオフエリアに停止していたリカルド・ズニーノブラバム・BT49に接触、保護が不十分なコンクリートウォールに後部から激突した。救助作業は時間を要し、レガツォーニはセントメアリー病院に搬送されたが、脚を複雑骨折し、頭部や脊椎も負傷していた。レガツォーニは脊椎損傷のため下半身不随となり、その後車椅子での生活を余儀なくされた。

レガツォーニの事故でエンサインはドライバーがいなくなった。ベルギーグランプリではティフ・ニーデルが代役として出場し、続くモナコグランプリにも出場した。ベルギーでニーデルは予選を23位で通過したが、12周目にエンジントラブルでリタイアした。モナコでは予選通過することはできなかった。

フランスグランプリからはニーデルに代わってヤン・ラマースが起用された。しかし、車の開発は停滞し、ラマースには予選を通過するチャンスは無かった。フランス、イギリスと2戦連続で予選落ちし、ドイツグランプリでようやく予選を通過、決勝は24番グリッドからスタートし、優勝したジャック・ラフィットリジェ・JS11/15からは1周後れの14位でフィニッシュした。チームはオランダとイタリアでは2台目のマシンを用意し、ジェフ・リースを起用した。ラマース、リースともに予選通過に苦戦した。シーズン後半での最高位はカナダグランプリでラマースが記録した12位であった。

1981

1981年シーズン、N180は改良が施され、N180Bとして投入された。新たなドライバーはマルク・スレールが起用された。第2戦ブラジルグランプリでスレールは4位に入賞、ファステストラップも記録した。これがシーズンベストの記録となった。第7戦スペイングランプリからはスレールに代わってエリセオ・サラザールが起用された。サラザールはチームにとって貴重なスポンサーマネーをもたらした。第12戦オランダグランプリでは6位に入賞している。

1982年シーズンはN180Bに代わってN181が投入された。

オーロラAFX F1シリーズ

1982年、ジム・クロフォードはN180でオーロラAFX F1シリーズに参戦した。

F1における全成績

(key) (太字ポールポジション

N180

チーム ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 ポイント 順位
1980年 ユニパート・レーシングチーム ARG
BRA
RSA
USW
BEL
MON
FRA
GBR
GER
AUT
NED
ITA
CAN
USA
0 13
クレイ・レガツォーニ NC Ret 9 Ret
ティフ・ニーデル Ret DNQ
ヤン・ラマース DNQ DNQ 14 DNQ DNQ DNQ 12 Ret
ジェフ・リース Ret DNQ

N180B

チーム ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位
1981年 エンサイン・レーシング USW
BRA
ARG
SMR
BEL
MON
ESP
FRA
GBR
GER
AUT
NED
ITA
CAN
CPL
5 11
マルク・スレール Ret 4 Ret 9 11 6
エリセオ・サラザール 14 Ret DNQ NC Ret 6 Ret Ret NC
1982年 エンサイン・レーシング RSA
BRA
USW
SMR
BEL
MON
DET
CAN
NED
GBR
FRA
GER
AUT
SUI
ITA
CPL
0 16
ロベルト・ゲレーロ DNQ

参照

[脚注の使い方]

参考文献

  • David Hodges: Rennwagen von A-Z nach 1945. Stuttgart 1994, ISBN 3-613-01477-7.(ドイツ語)

外部リンク




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