リカルド・ズニーノとは? わかりやすく解説

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リカルド・ズニーノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 18:17 UTC 版)

リカルド・ズニーノ
1980年
基本情報
フルネーム リカルド・ヘクトール・ズニーノ
国籍 アルゼンチン
出身地 同・サンフアン
生年月日 (1949-04-13) 1949年4月13日(74歳)
F1での経歴
活動時期 1979-1981
所属チーム '79-'80 ブラバム
'81 ティレル
出走回数 11 (10スタート)
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1979年カナダGP
最終戦 1981年アルゼンチンGP
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リカルド・ズニーノ(Ricardo Héctor Zunino[1], 1949年4月13日 - )は、アルゼンチン出身の元レーシングドライバー

来歴

1977年、ユーロレーシングからヨーロッパF2選手権に参戦。翌1978年マーチのワークスチームから出走し、選手権12位に入る[2]1979年オーロラF1選手権英語版に参加、ブランズ・ハッチで優勝するなど39ポイントを獲得しランキング5位を記録した[2]

この年の9月、ズニーノはF1第14戦カナダGPを観戦するためにモントリオールを訪れていたが[3]、フリー走行終了後にブラバムニキ・ラウダが突然引退を表明し、以後の走行を打ち切ってサーキットを去った。その後釜としてブラバムでテスト走行の経験があったズニーノが急遽出走する事になった[3]。そのため、予選にはラウダが残していったヘルメットとレーシングスーツを着用して臨んだ[4]。このF1デビューレースでは一時4位を走り、最終的に7位で完走[3]、続く第15戦アメリカGPでは予選9位に入った[3]

1980年もブラバムに残留し、チームのエースとなったネルソン・ピケをサポートするセカンドドライバーとして開幕を迎えた。アルゼンチンGP、ブラジルGPでそれぞれ7位・8位完走を果たすが、以降は成績が下降し、第6戦モナコGPでは予選通過に失敗。第7戦フランスGPへの参戦を最後に、多くのメキシカン・スポンサーマネーを持ち込めるヘクトール・レバークにシートを奪われた[3]

1981年、非選手権レースとして開催された南アフリカGPでブラバムに戻って出走[2]した後、F1第2戦ブラジルGPと第3戦アルゼンチンGPの南米2連戦の契約でティレルから出走し、2戦ともに13位での完走で契約を終え、ミケーレ・アルボレートと交代する形で再びシートを失う。

1982年に祖国アルゼンチンとイギリスとの間でフォークランド紛争が開戦し、以後のF1参戦を断念した[3]

引退後は地元のサンフアン州バレアルスペイン語版リゾートホテルを経営している[3]

F1での年度別成績

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 WDC ポイント
1979年 パルマラット (ブラバム) BT49 ARG BRA RSA USW ESP BEL MON FRA GBR GER AUT NED ITA CAN
7
USA
Ret
NC 0
1980年 ARG
7
BRA
8
RSA
10
USW
Ret
BEL
Ret
MON
DNQ
FRA
Ret
GBR GER AUT NED ITA CAN USA NC 0
1981年 ティレル 010 USW BRA
13
ARG
13
SMR BEL MON ESP FRA GBR GER AUT NED ITA CAN CPL NC 0

(key)

脚注

  1. ^ Recardo Zunino”. ESPN F1. 2013年2月18日閲覧。
  2. ^ a b c Recardo Zunino - biography”. F1 Rejects. 2013年2月18日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 『F1 RACING日本版』 三栄書房、2010年6月号、31頁。
  4. ^ 『オートスポーツ』 三栄書房、1979年12月1日号、83頁。

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