ジョージ・ライトンとは? わかりやすく解説

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ジョージ・ライトン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/29 00:13 UTC 版)

ジョージ・ライトン
George Ryton
生誕 (1948-08-15) 1948年8月15日(74歳)
シンガポール
国籍 イギリス
業績
専門分野 F1エンジニア
雇用者 チーム・ハース(1985 - 1986)
ユーロブルン(1989 - 1990)
ティレル(1991 - 1992)
フォルティ(1995)
リジェ/プロスト(1996 - 1998)
ミナルディ(1999 - 2003)
設計 ユーロブルン・ER189
ティレル・020
フォルティ・FG03

ジョージ・ライトン(George Ryton, 1948年8月15日 - )は、シンガポール生まれ[1]イギリス国籍のレースカーデザインエンジニア

経歴

37歳だった1985年ハース・ローラチームの設計事務所に雇用されF1の世界に入った[2]

その設計事務所は、ロンドン近郊コルンブルック英語版に位置する、フォーミュラ・ワン・レースカー・エンジニアリング (Formula One Race Car Engineering, 略称:FORCE)という、米国チームが英国に設定したファクトリーで、チーム撤退後はバーニー・エクレストンが買収した。

チーム解散後の1987年、ビスターにあるレイナードマルコム・オーストラーのデザインチームに移り、レイナードの初代のF3000シャシー・レイナード88Dの設計を手伝った。

その翌1988年には、当時スクーデリア・フェラーリのテクニカル・ディレクターを務めていたジョン・バーナードの英国の設計事務所「デザイン・センター」(GTO: Guildford Technical Office)のメンバーとなった(GTOは1986年8月の発足、FDDは1992年8月の発足、B3 Technologiesは1997年4月の発足[3])

1988年末、ライトンはF1新興チームユーロブルンのテクニカル・ディレクターに就任し、1989年1990年シーズンを戦ったが、チームは予選不通過も多く90年第14戦スペインGPを最後にF1から撤退した。

1991年ティレルへ移籍。1992年までハーベイ・ポスルスウェイトの下でチーフ・デザイナーに就任し、3シーズン使用されたティレル・020の関係者名簿に名を残すが、020はティレル・019ベースのエンジンを差し替えた改造車である。1992年シーズン終了後、ライトンはティレルを離れてバーナードのもと(FDD)に戻る。

バーナードは一時ベネトンに移籍したが、フェラーリに戻ったライトンは、1996年半ばまでチーム拠点のマラネッロの設計事務所を担当していたが、1995年フォルティのテクニカル・ディレクターを要請されFG03シャーシに取り組んだ後、シーズン半ばにチームは解散し、ライトンは仕事を失う。

1996年、フランスのリジェに加入し研究開発責任者に任命される。同年末にチームは元F1チャンピオンのアラン・プロストに買収され、リジェで準備された1997年用のマシンJS45とプロストGPの初代マシン・AP01には彼の名前が添付されていた。1998年のAP01での不振な1年を終えると、ライトンはイタリアのミナルディに移籍し、1999年用の新車M01を用意した。ミナルディでは2003年シーズンの最終戦日本GPまで5シーズン在籍した。最初はチーフデザイナーとして、1999年以後はデザインコンサルタントだった。

F1を離れたライトンは、現在コーンウォールで独立したコンサルタントとして働いている[1]

脚注

  1. ^ a b Jenkins (2006年9月2日). “"George Ryton"”. oldracingcars.com. 2007年9月21日閲覧。
  2. ^ "George Ryton" - People”. www.grandprix.com. 2022年8月7日閲覧。
  3. ^ Ferrari sells FDD to Barnard”. grandprix.com. 2022年9月17日閲覧。



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