ローラン・メキース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/23 00:56 UTC 版)
ローラン・メキース
Laurent Mekies
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スクーデリア・フェラーリ時代(2022年)
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生誕 | 1977年4月28日(48歳) アンドル=エ=ロワール県トゥール |
国籍 | ![]() |
教育 | ![]() |
子供 | 男子3人 |
業績 | |
専門分野 |
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所属機関 | 国際自動車連盟(2014 - 2018) |
雇用者 |
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ローラン・メキース(Laurent Mekies、1977年4月28日 - )は、フランス出身の自動車技術者、モータースポーツディレクター。一部メディアではローレン[W 1]、メキーズ、メキエス[W 2]と表記される事もある。
経歴
エンジニア時代
グランゼコールのひとつであるESTACAにて、機械工学の修士号を取得。その後ラフバラー大学に進学し卒業[1]。
2000年、フランスF3のシグナチュール・チームに加入後、エンジンビルダーのアジアテックに移籍。2001年にエンジンを供給したアロウズにてフォーミュラ1(F1)に携わる。
2003年、アジアテックのモータースポーツ撤退に伴い、2002年からエンジン供給していたミナルディにレースエンジニアとして所属し、マーク・ウェバー、ジャスティン・ウィルソン、ゾルト・バウムガルトナー、クリスチャン・アルバースを担当した[2]。
2005年末にミナルディがレッドブルに買収されスクーデリア・トロ・ロッソになり、自身はチーフエンジニアの地位に就く[W 3]。さらに後年には、車両パフォーマンス部門の責任者に昇格した。
管理職時代
2014年にチームを離れFIAに所属し、セーフティ・ディレクターとして従事。2017年には副レースディレクターに任命された[W 4]。
2018年、スクーデリア・フェラーリにスポーティングディレクターとして移籍、2019年からトラックパフォーマンス部門を率いた。2021年1月に、チーム副代表に任命された。またフェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)の責任者も務めた。
2023年4月26日、フランツ・トストに変わり[W 5]、翌シーズンよりスクーデリア・アルファタウリ(後のレーシングブルズ)のチーム代表就任を発表[W 1][W 2]。ガーデニング休暇のため、7月末にスクーデリア・フェラーリを離脱[W 6]。
2025年7月9日、クリスチャン・ホーナーの解任により、レッドブル・レーシングのチーム代表に就任[3]。
出典
- ウェブサイト
- ^ “ローラン・メキース プロフィール”. レッドブル・レーシング (2025年7月). 2025年7月12日閲覧。
- ^ “ローラン・メキーズ人物データ”. Formula1-data (2025年7月9日). 2025年7月23日閲覧。
- ^ “クリスチャン・ホーナーを事実上の更迭。レーシングブルズがメキースのレッドブル新チーム代表就任を発表(オートスポーツweb)”. Yahoo!ニュース. 2025年7月9日閲覧。
- ^ a b “アルファタウリF1の代表トストが2023年末に退任。後任のメキースと新CEOによる新リーダーシップ体制がスタートへ”. auto sport Web. SAN-EI (2023年4月27日). 2023年5月26日閲覧。
- ^ a b “角田裕毅の恩師、アルファタウリのトスト代表が今年限りで退任!来季からの新代表は現フェラーリ重鎮メキエス、新CEOに元FIA幹部バイエル|F1”. DAZN NEWS. DAZN (2023年4月27日). 2023年5月26日閲覧。
- ^ “Laurent Mekies” (英語). SportNetwork.net. 2020年4月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月3日閲覧。
- ^ “SAFETY DIRECTOR AND DEPUTY F1 RACE DIRECTOR LAURENT MEKIES TO LEAVE FIA” (英語). FIA. 2021年5月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月3日閲覧。
- ^ “スクーデリア・アルファタウリ – 新体制発表”. Scuderia AlphaTauri S.p.. 2023年5月3日閲覧。
- ^ “フェラーリ、アルファタウリ移籍予定のメキーズ離脱を発表。来年1月までガーデニング休暇へ”. motorsport.com (2023年7月28日). 2023年7月28日閲覧。
外部リンク
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