マッティア・ビノットとは? わかりやすく解説

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マッティア・ビノット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/24 04:57 UTC 版)

マッティア・ビノット

Mattia Binotto
フェラーリF1代表時代(2022年)
生誕 (1969-11-03) 1969年11月3日(54歳)
スイス
ヴォー州ローザンヌ
国籍 イタリア
教育 スイス連邦工科大学ローザンヌ校
モデナ・レッジョ・エミリア大学
子供 2人
業績
専門分野 自動車エンジニア
フォーミュラ1カーデザイナー
テクニカル・ディレクター
実業家
雇用者 スクーデリア・フェラーリ(1995年 - 2022年)
TEXA(2024年)
ザウバー/アウディ(2024年 - )
プロジェクト アウディF1プロジェクト(2024年 - )
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マッティア・ビノット(Mattia Binotto、1969年11月3日 - )は、スイス出身イタリア系自動車技術者実業家

1995年に、F1コンストラクター「スクーデリア・フェラーリ」に入社。以来、長年エンジン部門の要職を務め、CTO(最高技術責任者)に昇進。さらに2019年 - 2022年にかけてチーム代表を務めた。2024年より、アウディF1プロジェクトに携わる。

経歴

学生時代

スイスローザンヌ生まれ。両親は隣国イタリアレッジョ・エミリアからの移住者であった。

1994年スイス連邦工科大学ローザンヌ校にて機械工学の学士号を取得。その後は故国イタリアに戻り、モデナ・レッジョ・エミリア大学自動車工学の修士号を取得した。

スクーデリア・フェラーリ時代

1995年にスクーデリア・フェラーリ・テストチームのエンジン部門の技術者として加入し、1997年から2003年までレースチームで同職を務めた。また、自身と同年齢であるミハエル・シューマッハも、ほぼ同時期にチームに加入している。

チーフエンジニア時代(2008年)

2004年、レースエンジンのエンジニアとなり、2007年からはチーフエンジニアに昇進。2009年には、エンジンとKERSオペレーションの責任者となり、2013年にエンジンとエレクトロニクス部門の副ディレクター、そしてパワーユニット部門の最高責任者となった。

2016年7月、ジェイムズ・アリソンに代わって、テクニカル・ディレクターおよび最高技術責任者(CTO, Chief Technical Officer)に就任[1]。チームが5年間遠のいていた、ポールポジションを獲得する結果を残している。

2019年1月7日、マウリツィオ・アリバベーネに代わり、チーム代表に就任した[2]

2022年11月29日、12月31日をもってチーム代表を辞任する事を発表した[3]。一部報道によれば、2023年内一杯はガーデニング休暇を取ることになり、その分の追加報酬も認められたとしている[4]

モータースポーツ離脱期間

ガーデニング休暇を終えた2024年、イタリア自動車整備機器メーカー「TEXA」社の電動パワートレイン部門マネージング・ディレクター(常務取締役)に就任した[5]

ザウバー / アウディ時代

TEXAに携わった僅か数か月後の8月より、アウディAGの傘下となったザウバーF1チームに最高幹部待遇で電撃的に移籍した。以降、2026年シーズンよりワークスチームでF1参戦するアウディF1プロジェクトの責務を担う[6]

参考文献

外部リンク




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