ペドロ・ロドリゲスとは? わかりやすく解説

ペドロ・ロドリゲス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/08 03:45 UTC 版)

ペドロ・ロドリゲス
1971年F1 フランスGPにて
基本情報
国籍 メキシコ
出身地 同・メキシコシティ
生年月日 (1940-01-18) 1940年1月18日
没年月日 (1971-07-11) 1971年7月11日(31歳没)
F1での経歴
活動時期 1963-1971
過去の所属チーム '63,'66 ロータス
'64,'65,'69 フェラーリ
'67 クーパー
'68,'69,'70-'71 BRM
出走回数 54
タイトル 0
優勝回数 2
表彰台(3位以内)回数 7
通算獲得ポイント 71
ポールポジション 0
ファステストラップ 1
初勝利 1967年南アフリカGP
最終勝利 1970年ベルギーGP
最終戦 1971年フランスGP
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ペドロ・ロドリゲス・デ・ラ・ベガPedro Rodríguez de la Vega1940年1月18日 - 1971年7月11日)は、メキシコのレーシングドライバー。1968年のル・マン24時間レース覇者。

人物

F1で2勝を挙げており、2020年にセルジオ・ペレスサヒールGPで優勝するまでメキシコ人唯一のF1優勝者であった。またスポーツカー・レースでは、フォード1968年のル・マン24時間レース、1970年・1971年にポルシェデイトナ24時間レースを制したのをはじめ、F1以上に実績を残した。

弟のリカルドもレーサーであり、2人纏めて「ロドリゲス兄弟」と称されることも多い。

経歴

F1デビューまで

リカルド同様、メキシコ2輪・メキシコ4輪の両方でチャンピオンを獲得している。四輪に転向後の1957年、ペドロはポルシェで、リカルドはフェラーリで四輪の国際舞台レースにデビューした。

1961年、ペドロより先にF1デビューを果たしていたリカルドが、非選手権として行われたメキシコグランプリで事故死。ペドロは一時引退も考えるが、引き続きレース活動を行った。

1962年のセブリング・インターナショナル・レースウェイで行なわれた12時間耐久レースではスターリング・モススティーブ・マックイーン、イネス・アイルランドと共にチームを組んで参戦。その前座で行なわれた1000cc以下の車に限定された3時間耐久レースではオースチン・ヒーレースプライトMk.2にも乗っていた。このエピソードは、『カー・SOS 蘇れ!思い出の名車』シーズン3第3話で語られている。

1963年にはロータスからF1デビューを果たす。当初は北米で行われるアメリカグランプリ・メキシコグランプリへのスポット参戦が主であり、1966年終了時までは計8レースしか参戦していなかった。

F1レギュラー

BRM在籍時のロドリゲス(1968年)

1967年、クーパーに招かれたペドロは、開幕戦南アフリカグランプリで初優勝。これ以後、F1でもレギュラーとして活躍するようになる。1968年にはBRMから参戦し、第2戦スペイングランプリでは自身ベストタイとなる予選2位を獲得。第6戦フランスグランプリでは、ファステストラップをマークした。

1969年途中に一旦フェラーリへ移るが、1970年にはBRMに復帰。第4戦ベルギーグランプリでは、クリス・エイモンとの争いを制し、自身2勝目を挙げた。この際の平均速度241km/hは、F1史上2番目となる速さである。また第12戦アメリカグランプリでは、2位表彰台を獲得。

元々、素質面においてリカルドのほうが評価は高く、ペドロは「リカルドの兄」という見方をされることも多かった。しかし1969年頃より再評価を受け、この頃にはF1における勝利、同時期のスポーツカーレースでの活躍等から、ペドロ自身が評価されるようになっていた。1970年以降、F1ではBRM、スポーツカーではポルシェのエースを担った。

1971年も、ペドロはF1において2度の入賞を記録するなど、奮闘していた。

事故死

そんな中、ドイツ・ノリスリンクでのヨーロッパ・インターセリエ第4戦「ニュルンベルク200マイル」に参戦。乗り慣れたポルシェ・917ではなく、フェラーリ・512Mを駆ってのものだった。

しかし、レース中にタイヤがバーストしてフェンスに激突し、31歳で他界。

エピソード

  • トップドライバーとなった後も、依頼があればそれがプライベーターからでも参戦した。最期のレースとなったヨーロッパ・インターセリエも、フェラーリのプライベーター仕様であり、1968年には日本CAN-AMローラから参戦している。
  • メキシコグランプリの舞台となったサーキットは、リカルドの死を受け、「リカルド・ロドリゲス・サーキット」と命名されていた。しかし1971年にペドロも他界した後、「エルマノス・ロドリゲス(ロドリゲス兄弟)・サーキット」に改名された。
  • デイトナ・スピードウェイには、ペドロの名の付けられたコーナーがある。
  • クレイジーケンバンドの楽曲には、兄弟を歌った「ロドリゲス兄弟」がある。

レース戦績

F1

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 WDC ポイント
1963年 ロータス 25 MON BEL NED FRA GBR GER ITA USA
Ret
MEX
Ret
RSA NC 0
1964年 フェラーリ/ノース・アメリカン 156 Aero MON NED BEL FRA GBR GER AUT ITA USA MEX
6
22位 1
1965年 1512 RSA MON BEL FRA GBR NED GER ITA USA
5
MEX
7
14位 2
1966年 ロータス 33 MON BEL FRA
Ret
GBR NED USA
Ret
MEX
Ret
NC 0
44 F2 GER
Ret
ITA
1967年 クーパー T81 RSA
1
MON
5
NED
Ret
BEL
9
FRA
6
GBR
5
GER
11
CAN ITA USA MEX
6
6位 15
1968年 オーウェン P126 RSA
Ret
6位 18
P133 ESP
Ret
MON
Ret
BEL
2
NED
3
FRA
NC
GBR
Ret
GER
6
CAN
3
USA
Ret
MEX
4
P138 ITA
Ret
1969年 BRM/レグ・パーネル P126 RSA
Ret
ESP
Ret
MON
Ret
14位 3
フェラーリ 312 NED
DNA
FRA GBR
Ret
GER ITA
6
フェラーリ/ノース・アメリカン CAN
Ret
USA
5
MEX
7
1970年 BRM P153 RSA
9
ESP
Ret
MON
6
BEL
1
NED
10
FRA
Ret
GBR
Ret
GER
Ret
AUT
4
ITA
Ret
CAN
4
USA
2
MEX
6
7位 23
1971年 P160 RSA
Ret
ESP
4
MON
9
NED
2
FRA
Ret
GBR GER AUT ITA CAN USA 10位 9

ル・マン24時間レース

チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
1958年 ノース・アメリカン・レーシングチーム ホセ・ベーラ フェラーリ・500 TR58 S
2.0
119 DNF DNF
1959年 アウトモビレ・オスカ リカルド・ロドリゲス オスカ・スポーツ 750TN S
750
32 DNF DNF
1960年 スクーデリア・フェラーリ SpA ルドヴィコ・スカルフィオッティ フェラーリ・250TRI/60 S
3.0
22 DNF DNF
1961年 ノース・アメリカン・レーシングチーム リカルド・ロドリゲス フェラーリ・250TRI/61 S
3.0
305 DNF DNF
1962年 SpA フェラーリ SEFAC リカルド・ロドリゲス フェラーリ ディーノ・246SP E
3.0
174 DNF DNF
1963年 ノース・アメリカン・レーシングチーム ロジャー・ペンスキー フェラーリ・330 TRI/LM P
+3.0
113 DNF DNF
1964年 スキップ・ハドソン フェラーリ・330 P P
5.0
58 DNF DNF
1965年 ニーノ・ヴァッカレッラ フェラーリ・365 P2/P1 P
5.0
320 7位 4位
1966年 リッチー・ギンサー フェラーリ・330 P3 スパイダー P
5.0
151 DNF DNF
1967年 ジャンカルロ・バゲッティ フェラーリ・330 P3 P
5.0
144 DNF DNF
1968年 JWオートモーティヴ・エンジニアリング ルシアン・ビアンキ フォード・GT40 Mk.I S
5.0
331 1位 1位
1969年 SpA フェラーリ SEFAC デイビット・パイパー フェラーリ・312 P クーペ P
3.0
223 DNF DNF
1970年 JWオートモーティヴ・エンジニアリング レオ・キヌーネン ポルシェ・917K S
5.0
22 DNF DNF
1971年 ジャッキー・オリバー ポルシェ・917L S
5.0
187 DNF DNF

注釈

関連項目

タイトル
先代
ダン・ガーニー
A.J.フォイト
ル・マン24時間優勝者
1968 with:
ルシアン・ビアンキ
次代
ジャッキー・イクス
ジャッキー・オリバー

「ペドロ・ロドリゲス」の例文・使い方・用例・文例

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