1968年イギリスグランプリとは? わかりやすく解説

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1968年イギリスグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 22:35 UTC 版)

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 1968年イギリスグランプリ
レース詳細
1968年F1世界選手権全12戦の第7戦
ブランズ・ハッチ (1960-1975)
日程 1968年7月20日
正式名称 XXI RAC British Grand Prix
開催地 ブランズ・ハッチ
イギリス イングランドケント州
コース 恒久的レース施設
コース長 4.265 km (2.650 mi)
レース距離 80周 341.200 km (212.012 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)
ポールポジション
ドライバー ロータス-フォード
タイム 1:28.9
ファステストラップ
ドライバー ジョー・シフェール ロータス-フォード
タイム 1:29.7 (42周目)
決勝順位
優勝 ロータス-フォード
2位 フェラーリ
3位 フェラーリ

1968年イギリスグランプリ (1968 British Grand Prix) は、1968年のF1世界選手権第7戦として、1968年7月20日ブランズ・ハッチで開催された。

80周で行われたレースはジョー・シフェールが勝ち、自身及びスイス人ドライバーにおけるF1初勝利を挙げた。シフェールの勝利により、プライベーターのロブ・ウォーカー・レーシングチームは通算9勝目でかつ最後の勝利を挙げた。

背景

この年は4月にジム・クラークF2で、5月にマイク・スペンス英語版インディ500英語版の練習走行で、6月にルドビコ・スカルフィオッティヒルクライムで事故死したのに続き、前戦フランスグランプリジョー・シュレッサーも事故で亡くなり、4ヶ月続けて現役F1ドライバーが命を落とした[1]。イギリスのファンはクラークとスペンスの2人を失ったが、グラハム・ヒルがドライバーズランキング首位で本レースを迎え、参加した20台のうちヒルを含む7人のイギリス人ドライバーを応援した[2]

各チームとも可能な限り多くのダウンフォースを得るため、マシンに巨大なリアウイングが装着された[2][3]ホンダも本レースからRA301にウイングを装着した[4]

エントリー

クーパーは、地元イギリス出身のロビン・ウィドウズ英語版をスポット起用し[2]、レギュラーのルシアン・ビアンキアルファロメオスポーツカーレース用V8エンジンを搭載したT86Cを試走させた[5]。エンジンの問題により欠場が続いたイーグルがサーキットに戻ってきた[2]

エントリーリスト

チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング 1 デニス・ハルム マクラーレン M7A フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
2 ブルース・マクラーレン
ブラバム・レーシング・オーガニゼーション 3 ジャック・ブラバム ブラバム BT26 レプコ 860 3.0L V8 G
4 ヨッヘン・リント
スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 5 クリス・エイモン フェラーリ 312/68 フェラーリ 242C 3.0L V12 F
6 ジャッキー・イクス
ホンダ・レーシング 7 ジョン・サーティース ホンダ RA301 ホンダ RA301E 3.0L V12 F
ゴールドリーフ・チーム・ロータス 8 グラハム・ヒル ロータス 49B フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
9 ジャッキー・オリバー
オーウェン・レーシング・オーガニゼーション 10 ペドロ・ロドリゲス BRM P133 BRM P142 3.0L V12 G
11 リチャード・アトウッド P126
12 トニー・ランフランチ 1
マトラ・インターナショナル 14 ジャッキー・スチュワート マトラ MS10 フォードコスワース DFV 3.0L V8 D
クーパー・カー・カンパニー 15 ビック・エルフォード クーパー T86B BRM P142 3.0L V12 F
16 ロビン・ウィドウズ T86
17 ルシアン・ビアンキ 2 T86C アルファロメオ T33 3.0L V8 G
マトラ・スポール 18 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ MS11 マトラ MS9 3.0L V12 D
シャルル・ホーゲル・レーシング 19 シルビオ・モーザー ブラバム BT20 レプコ 620 3.0L V8 G
レグ・パーネル・レーシング 20 ピアス・カレッジ BRM P126 BRM P142 3.0L V12 G
トム・ジョーンズ 21 トム・ジョーンズ 1 クーパー T86 マセラティ 9/F1 3.0L V12 G
ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシングチーム 22 ジョー・シフェール ロータス 49B フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
ヨアキム・ボニエ・レーシングチーム 23 ヨアキム・ボニエ マクラーレン M5A BRM P142 3.0L V12 G
アングロ・アメリカン・レーサーズ 24 ダン・ガーニー イーグル T1G ウェスレイク 58 3.0L V12 G
ソース:[6]
追記
  • ^1 - エントリーのみ[7]
  • ^2 - マシンが準備できず[7]

予選

ヒルがチームメイトの2番手ジャッキー・オリバーに0.5秒差を付けてポールポジションを獲得し、ロータス勢は3番手のクリス・エイモンフェラーリ)とともにフロントローを占めた[注 1]ジョー・シフェールロブ・ウォーカーのロータス)はヨッヘン・リントブラバム)とともに2列目を、3列目はダン・ガーニー(イーグル)、ジャッキー・スチュワートマトラ・インターナショナル)、ジャック・ブラバム(ブラバム)が占めた[2]

結果

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 8 グラハム・ヒル ロータス-フォード 1:28.9 - 1
2 9 ジャッキー・オリバー ロータス-フォード 1:29.4 +0.5 2
3 5 クリス・エイモン フェラーリ 1:29.5 +0.6 3
4 22 ジョー・シフェール ロータス-フォード 1:29.7 +0.8 4
5 4 ヨッヘン・リント ブラバム-レプコ 1:29.9 +1.0 5
6 24 ダン・ガーニー イーグル-ウェスレイク 1:30.0 +1.1 6
7 14 ジャッキー・スチュワート マトラ-フォード 1:30.0 +1.1 7
8 3 ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 1:30.2 +1.3 8
9 7 ジョン・サーティース ホンダ 1:30.3 +1.4 9
10 2 ブルース・マクラーレン マクラーレン-フォード 1:30.4 +1.5 10
11 1 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 1:30.4 +1.5 11
12 6 ジャッキー・イクス フェラーリ 1:31.0 +2.1 12
13 10 ペドロ・ロドリゲス BRM 1:31.6 +2.7 13
14 18 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ 1:31.6 +2.7 14
15 11 リチャード・アトウッド BRM 1:31.7 +2.8 15
16 20 ピアス・カレッジ BRM 1:32.3 +3.4 16
17 15 ビック・エルフォード クーパー-BRM 1:33.0 +4.1 17
18 16 ロビン・ウィドウズ クーパー-BRM 1:34.0 +5.1 18
19 19 シルビオ・モーザー ブラバム-レプコ 1:35.4 +6.5 19
20 23 ヨアキム・ボニエ マクラーレン-BRM 1:36.8 +7.9 20
ソース:[8][9]

決勝

3戦連続でスタート時に小雨が降り、オリバーがヒルとシフェールをリードした。先頭を走るロータスは煙に巻かれ、4周目にオリバーはヒルに抜かれた。煙の道ができていたにもかかわらず、オリバーは2位にとどまった。しかし、27周目にヒルがリアサスペンションの故障でリタイアしたため、オリバーが首位に戻った。その後方でシフェールはエイモンと2位争いを繰り広げたが、オリバーからは徐々に離されていった[2]

イギリス人のオリバーが首位を快走して地元ファンを喜ばせたが[1]、44周目にトランスミッションが壊れてマシンを止めるとシフェールが首位に立ち[2]、プライベーターのロブ・ウォーカーが1961年ドイツグランプリスターリング・モス以来7年ぶりの勝利を手にした[1]。フェラーリのエイモンはレース終盤にタイヤの摩耗で優勝を逃し2位、1周遅れでチームメイトのイクスが3位となった。エイモンは「もしもマシンの後尾にもっと大きなウイングを付けていたら、フェラーリは勝てたに違いない」と語っている[10]。その一方でジョン・サーティースホンダ・RA301がレース途中でウイングの支柱にヒビが入り、34周目にウイングを吹き飛ばしてしまうアクシデントもあり(サーティースはその後、オーバーステアと格闘することになったが5位に入賞)[11]、ウイングの巨大化は安全性に疑問を投げかけることになった[12]

結果

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 22 ジョー・シフェール ロータス-フォード 80 2:01:20.3 4 9
2 5 クリス・エイモン フェラーリ 80 +4.4 3 6
3 6 ジャッキー・イクス フェラーリ 79 +1 Lap 12 4
4 1 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 79 +1 Lap 11 3
5 7 ジョン・サーティース ホンダ 78 +2 Laps 9 2
6 14 ジャッキー・スチュワート マトラ-フォード 78 +2 Laps 7 1
7 2 ブルース・マクラーレン マクラーレン-フォード 77 +3 Laps 10
8 20 ピアス・カレッジ BRM 72 +8 Laps 16
Ret 4 ヨッヘン・リント ブラバム-レプコ 55 燃料漏れ 5
Ret 10 ペドロ・ロドリゲス BRM 52 エンジン 13
NC 19 シルビオ・モーザー ブラバム-レプコ 52 規定周回数不足 19
Ret 9 ジャッキー・オリバー ロータス-フォード 43 トランスミッション 2
Ret 16 ロビン・ウィドウズ クーパー-BRM 34 イグニッション 18
Ret 8 グラハム・ヒル ロータス-フォード 26 ハーフシャフト 1
Ret 15 ビック・エルフォード クーパー-BRM 26 エンジン 17
Ret 18 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ 11 エンジン 14
Ret 11 リチャード・アトウッド BRM 10 ラジエーター 15
Ret 24 ダン・ガーニー イーグル-ウェスレイク 8 燃料ポンプ 6
Ret 23 ヨアキム・ボニエ マクラーレン-BRM 6 エンジン 20
Ret 3 ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 0 エンジン 8
ソース:[13]
ファステストラップ[14]
ラップリーダー[15]
節目となった記録

第7戦終了時点のランキング

  • : トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半6戦のうちベスト5戦がカウントされる。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 本レースのスターティンググリッドは3-2-3。
  2. ^ 決勝をスタートした回数。

出典

  1. ^ a b c (林信次 1995, p. 61)
  2. ^ a b c d e f g British GP, 1968”. grandprix.com. 2019年9月18日閲覧。
  3. ^ (林信次 1995, p. 56-58)
  4. ^ (中村良夫 1998, p. 258)
  5. ^ (林信次 1995, p. 71)
  6. ^ Britain 1968 - Race entrants”. STATS F1. 2019年9月18日閲覧。
  7. ^ a b Britain 1968 - Result”. STATS F1. 2019年9月18日閲覧。
  8. ^ Britain 1968 - Qualifications”. STATS F1. 2019年9月18日閲覧。
  9. ^ Britain 1968 - Starting grid”. STATS F1. 2019年9月18日閲覧。
  10. ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 241)
  11. ^ (中村良夫 1998, p. 259)
  12. ^ (林信次 1995, p. 58)
  13. ^ 1968 British Grand Prix”. formula1.com. 2015年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月26日閲覧。
  14. ^ Britain 1968 - Best laps”. STATS F1. 2019年9月18日閲覧。
  15. ^ Britain 1968 - Laps led”. STATS F1. 2019年9月18日閲覧。
  16. ^ a b Britain 1968 - Championship”. STATS F1. 2019年3月13日閲覧。

参照文献

外部リンク


前戦
1968年フランスグランプリ
FIA F1世界選手権
1968年シーズン
次戦
1968年ドイツグランプリ
前回開催
1967年イギリスグランプリ
イギリスグランプリ 次回開催
1969年イギリスグランプリ



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