1969年イタリアグランプリとは? わかりやすく解説

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1969年イタリアグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/08 09:55 UTC 版)

 1969年イタリアグランプリ
レース詳細
1969年F1世界選手権全11戦の第8戦
モンツァ・サーキット (1957-1971)
日程 1969年9月7日
正式名称 XL Gran Premio d'Italia
開催地 モンツァ・サーキット
イタリア モンツァ
コース 恒久的レース施設
コース長 5.750 km (3.573 mi)
レース距離 68周 391.000 km (242.956 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)
ポールポジション
ドライバー ロータス-フォード
タイム 1:25.48
ファステストラップ
ドライバー ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ-フォード
タイム 1:25.2 (64周目)
決勝順位
優勝 マトラ-フォード
2位 ロータス-フォード
3位 マトラ-フォード

1969年イタリアグランプリ (1969 Italian Grand Prix) は、1969年のF1世界選手権第8戦として、1969年9月7日モンツァ・サーキットで開催された。

ジャッキー・スチュワートがレースを制し、3戦を残して初のドライバーズチャンピオンを決め、マトラに初のコンストラクターズチャンピオンをもたらした。優勝したスチュワートから4位のブルース・マクラーレンまで0.19秒差という最も僅差のレースとなった[1]

背景

前戦ドイツGPから1ヶ月経過したが、この間にオウルトン・パークで非選手権レースのインターナショナル・ゴールドカップ英語版が開催され、ブラバムジャッキー・イクスが優勝した。ヨアキム・ボニエは同レースでアクシデントを起こして負傷した[2]

フェラーリは、水平対向12気筒エンジン搭載の新車312Bのテスト走行に集中するため前戦ドイツGPを欠場し、ホームグランプリとなる本レースのデビューを目指した。パワーは従来のV12エンジンを上回り、エースのクリス・エイモンも312Bに期待を寄せていたが、トラブルが続出したことにうんざりしたエイモンはそのままチームを去ってしまった。312Bはテスト最終日にもクランクシャフトが壊れ、本レースの出走は不可能となった[3]

エントリー

フェラーリは新車312Bが出走できなくなったため、従来型の312を1台だけ出走させることになった。ドライバーには地元出身の元F2ドライバーであるエルネスト・ブランビラが起用された[4]ブラバムはオーナーのジャック・ブラバムが手首の負傷から復帰した。一方、プライベーターのヨアキム・ボニエは前述したオウルトン・パークでの負傷のため欠場した。ロータス四輪駆動車の63ジョン・マイルズに与えた。マトラも四輪駆動車のMS84ジョニー・セルボ=ギャバンに与える予定だったが取りやめた[2]

エントリーリスト

チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
ゴールドリーフ・チーム・ロータス 2 グラハム・ヒル ロータス 49B フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
4 ヨッヘン・リント
6 ジョン・マイルズ 63
スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 8 クリス・エイモン 1 フェラーリ 312B フェラーリ 3.0L F12 [3] F
10 ペドロ・ロドリゲス
エルネスト・ブランビラ 2
312/69 フェラーリ 255C 3.0L V12
オーウェン・レーシング・オーガニゼーション 12 ジャッキー・オリバー BRM P139 BRM P142 3.0L V12 D
14 ジョン・サーティース
ブルース・マクラーレン・モーターレーシング 16 デニス・ハルム マクラーレン M7A フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
18 ブルース・マクラーレン M7C
マトラ・インターナショナル 20 ジャッキー・スチュワート マトラ MS80 フォードコスワース DFV 3.0L V8 D
22 ジャン=ピエール・ベルトワーズ
24 ジョニー・セルボ=ギャバン 3 MS84
モーターレーシング・ディベロップメンツ・リミテッド 26 ジャッキー・イクス ブラバム BT26A フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
28 ジャック・ブラバム
ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシングチーム 30 ジョー・シフェール ロータス 49B フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ 32 ピアス・カレッジ ブラバム BT26A フォードコスワース DFV 3.0L V8 D
エキュリー・ボニエ 34 ヨアキム・ボニエ 4 ロータス 49B フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
シルビオ・モーザー・レーシングチーム 36 シルビオ・モーザー ブラバム BT24 フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
ソース:[5]
追記
  • ^1 - エイモンはマシンが準備できず欠場[6][4]
  • ^2 - ブランビラは予選初日のみ。以後はロドリゲスに交代[4]
  • ^3 - セルボ=ギャバンはエントリーのみ[6]
  • ^4 - ボニエは負傷のため欠場[2]

予選

唯一となったフェラーリ・312を走らせたエルネスト・ブランビラだったが、圧倒的に速いモンツァでF1デビューを果たす[注 1]ことに怖気づき、金曜の予選初日を終えた後、ペドロ・ロドリゲスにシートを明け渡してしまった[4]

ヨッヘン・リントポールポジションを獲得し、2番手のデニス・ハルムとともにフロントローを占めた。初のドライバーズチャンピオンに王手をかけたジャッキー・スチュワートは3番手で、フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズからブラバムを駆るピアス・カレッジとともに2列目を分け合い、3列目はブルース・マクラーレンジャン=ピエール・ベルトワーズが占めた。前年度王者のグラハム・ヒルは9番手、土曜から出走したロドリゲスは12番手、前戦ドイツGPの勝者ジャッキー・イクスは2度のエンジントラブルにより最下位に終わった[2]

予選結果

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 4 ヨッヘン・リント ロータス-フォード 1:25.48 - 1
2 16 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 1:25.69 +0.21 2
3 20 ジャッキー・スチュワート マトラ-フォード 1:25.82 +0.34 3
4 32 ピアス・カレッジ ブラバム-フォード 1:26.48 +1.00 4
5 18 ブルース・マクラーレン マクラーレン-フォード 1:26.48 +1.00 5
6 22 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ-フォード 1:26.72 +1.24 6
7 28 ジャック・ブラバム ブラバム-フォード 1:26.90 +1.42 7
8 30 ジョー・シフェール ロータス-フォード 1:27.04 +1.56 8
9 2 グラハム・ヒル ロータス-フォード 1:27.31 +1.83 9
10 14 ジョン・サーティース BRM 1:27.40 +1.92 10
11 12 ジャッキー・オリバー BRM 1:28.40 +2.92 11
12 10 ペドロ・ロドリゲス フェラーリ 1:28.47 +2.99 12
13 36 シルビオ・モーザー ブラバム-フォード 1:28.51 +3.03 13
14 6 ジョン・マイルズ ロータス-フォード 1:30.56 +5.08 14
15 10 エルネスト・ブランビラ フェラーリ 1:30.86 +5.38 DNS 1
16 26 ジャッキー・イクス ブラバム-フォード 1:37.06 +11.58 15
ソース:[7][8]
追記
  • ^1 - No.10はブランビラからロドリゲスに交代[4]

決勝

フェラーリの不振にもかかわらず多くの観客が詰めかけ[2]、例年にも増して激しいスリップストリーム合戦が終始繰り広げられ、レースは大いに盛り上がった[9]

当時のモンツァにはシケインがなく[注 2]、直線スピードを重視するためにウィングを装着しないマシンもある中[9]ジャッキー・スチュワートヨッヘン・リントデニス・ハルムピアス・カレッジグラハム・ヒルブルース・マクラーレンジャン=ピエール・ベルトワーズジョー・シフェールの8台が一塊となって首位を争った。ハルムは最終的にブレーキの故障で、シフェールはエンジンの故障で脱落した。カレッジも燃料供給の問題で首位を争う5台から引き離されていった。ヒルは残り5周でドライブシャフトが壊れてリタイアしたため、最後まで首位を争ったのは4台となった。最終ラップでスチュワートはリントとのリードを失うものの取り戻し、ベルトワーズは最終コーナーのパラボリカで2台の前に出たが大きく膨らんでしまい、最後のホームストレートでスチュワートとリントに抜かれた[2]。優勝したスチュワートと2位のリントの差は0.08秒、3位のベルトワーズと0.17秒、4位のマクラーレンと0.19秒という大接戦だったが、その中でトップを多く走ったのはスチュワートであり、彼の頭脳的な勝利であった[9]。フェラーリのペドロ・ロドリゲスは6位に入賞したが、優勝したスチュワートよりも2周遅れであった[4]

スチュワートは6勝目を挙げ、アメリカ大陸での3戦を残して早々と初のドライバーズチャンピオンの座を射止めた[2][1]

レース結果

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 20 ジャッキー・スチュワート マトラ-フォード 68 1:39:11.26 3 9
2 4 ヨッヘン・リント ロータス-フォード 68 +0.08 1 6
3 22 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ-フォード 68 +0.17 6 4
4 18 ブルース・マクラーレン マクラーレン-フォード 68 +0.19 5 3
5 32 ピアス・カレッジ ブラバム-フォード 68 +33.44 4 2
6 10 ペドロ・ロドリゲス フェラーリ 66 +2 Laps 12 1
7 16 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 66 +2 Laps 2
8 30 ジョー・シフェール ロータス-フォード 64 エンジン 8
9 2 グラハム・ヒル ロータス-フォード 63 ハーフシャフト 9
10 26 ジャッキー・イクス ブラバム-フォード 61 燃料切れ 15
NC 14 ジョン・サーティース BRM 60 規定周回数不足 10
Ret 12 ジャッキー・オリバー BRM 48 油圧 11
Ret 36 シルビオ・モーザー ブラバム-フォード 9 燃料漏れ 13
Ret 28 ジャック・ブラバム ブラバム-フォード 6 オイル漏れ 7
Ret 6 ジョン・マイルズ ロータス-フォード 3 エンジン 14
DNS 10 エルネスト・ブランビラ フェラーリ ロドリゲスに交代
ソース:[10][11]
ファステストラップ[12]
ラップリーダー[13]
太字は最多ラップリーダー

第8戦終了時点のランキング

  • : トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半5戦のうちベスト4戦がカウントされる。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。

脚注

注釈

  1. ^ 1963年のイタリアGPにも出場したが予選落ちとなったため、F1デビューを果たせなかった。
  2. ^ モンツァにシケインが設置されたのは1972年

出典

  1. ^ a b (林信次 1995, p. 79)
  2. ^ a b c d e f g Italian GP, 1969”. grandprix.com. 2019年11月26日閲覧。
  3. ^ a b (アラン・ヘンリー 1989, p. 247-249)
  4. ^ a b c d e f (アラン・ヘンリー 1989, p. 249)
  5. ^ Italy 1969 - Race entrants”. STATS F1. 2019年11月26日閲覧。
  6. ^ a b Italy 1969 - Result”. STATS F1. 2019年11月26日閲覧。
  7. ^ Italy 1969 - Qualifications”. STATS F1. 2019年11月25日閲覧。
  8. ^ Italy 1969 - Starting grid”. STATS F1. 2019年11月25日閲覧。
  9. ^ a b c (林信次 1995, p. 80-81)
  10. ^ 1969 Italian Grand Prix”. formula1.com. 2015年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月22日閲覧。
  11. ^ Grand Prix Results: Italian GP, 1969”. GrandPrix.com. 2016年2月7日閲覧。
  12. ^ Italy 1969 - Best laps”. STATS F1. 2019年11月26日閲覧。
  13. ^ Italy 1969 - Laps led”. STATS F1. 2019年11月26日閲覧。
  14. ^ a b Italy 1969 - Championship”. STATS F1. 2019年3月1日閲覧。

参照文献

外部リンク

前戦
1969年ドイツグランプリ
FIA F1世界選手権
1969年シーズン
次戦
1969年カナダグランプリ
前回開催
1968年イタリアグランプリ
イタリアグランプリ 次回開催
1970年イタリアグランプリ



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