ジャン=マルク・グーノンとは? わかりやすく解説

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ジャン=マルク・グーノン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/28 05:55 UTC 版)

ジャン=マルク・グーノン
2015年
基本情報
国籍 フランス
出身地 同・アルデシュ県オーブナ
生年月日 (1963-01-01) 1963年1月1日(62歳)
F1での経歴
活動時期 1993 - 1994
所属チーム '93 ミナルディ
'94 シムテック
出走回数 9
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1993年日本GP
最終戦 1994年ポルトガルGP
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ジャン=マルク・グーノンJean-Marc Gounon, 1963年1月1日 - )は、フランスレーシングドライバー、元F1ドライバー。

息子のジュール・グーノンもレーシングドライバー[1]

経歴

初期キャリア

オーブナ出身[2]。身長180cm。

1985年フォーミュラ・ルノーに参戦。1986年はライバルのエリック・コマス[3]と競ってランキング2位[2]1987年もランキング2位を記録して[2]、翌1988年にフランスF3へ昇格し、同年のシリーズ4位となる[4]1989年に優勝5回でフランスF3選手権のチャンピオンとなる[2][4]

F3000

1990年から国際F3000選手権に参戦、マンセル・マジウィック・モータースポーツからエントリーして、最高位3位・総合9位という成績を残す[4][5]1991年にチームを3001インターナショナルに変更。レイナードローラと比べ性能が劣るラルトをドライブしてポーで優勝[5]し、ランキング6位に入った[2]1992年DAMSに移籍してマニクールで優勝[2][4]公道でのレースを得意とした[5]

フォーミュラ1

シムテック・S941をドライブするグーノン(1994年イギリスGP)

1993年、1月にパシフィック・レーシングが同年からのF1参戦を表明。セカンドシートにグーノンの起用を予定していると発表されたが[6]、資金不足によりF1計画が1年間延期されることになったため、グーノンは急遽マーチと交渉し、F1シートを確保[4]。しかし、開幕戦南アフリカGPにチームが現れずそのまま活動停止したため、出走せずに終わる。その後日本GPで、クリスチャン・フィッティパルディに代わりミナルディからF1デビュー。次戦のオーストラリアGPに続けて出走するも2戦連続でリタイヤする。

1994年は地元のフランスGPからシムテックに加入。同レースでの9位を始め完走を4度記録する。ポルトガルGPまで出走後、アロウズへの移籍を計画したが実現せず[7]、F1参戦はこの年限りとなる。

スポーツカーレース

1995年以降は活動の場をスポーツカーレース、ツーリングカーレースに移し、FIA GT選手権アメリカン・ル・マン・シリーズ[3]ル・マン24時間に出場。1997年のル・マン24時間ではGT1クラスでエントリーして、クラス優勝を達成した。

レース戦績

フランス・フォーミュラ3選手権

チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 順位 ポイント
1988年 プロマテクメ ダラーラ F388 アルファロメオ NOG
4
DML
4
PAU
Ret
LAC
6
ROU
2
LEC
11
ALB
Ret
NOG
5
BUG
Ret
LED
3
CET
3
DIJ
4
4位 72
1989年 オレカ レイナード 893 NOG
2
LED
Ret
MAG
1
PAU
1
DLM
1
ROU
1
CHA
6
LEC
7
ALB
2
BUG
Ret
CET
2
DIJ
1
1位 121

国際F3000選手権

チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1990年 マジウィック・インターナショナル レイナード 90D 無限 MF308 DON
Ret
SIL
13
PAU
DNQ
JER
Ret
MNZ
Ret
PER
DSQ
HOC
3
BRH
6
BIR
4
BUG
4
NOG
Ret
9位 11
1991年 3001インターナショナル ラルト RT23 コスワース DFV VLL
DNQ
PAU
1
JER
6
MUG
10
PER
6
HOC
5
BRH
Ret
SPA
7
BUG
Ret
NOG
Ret
6位 13
1992年 DAMS ローラ T92/50 コスワース DFV SIL
4
PAU
Ret
CAT
Ret
PER
Ret
HOC
Ret
NÜR
6
SPA
9
ALB
16
NOG
2
MAG
1
7位 19

フォーミュラ1

(key)

チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 WDC Points
1993年 ミナルディ M193 RSA BRA EUR SMR ESP MON CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR JPN
Ret
AUS
Ret
NC 0
1994年 シムテック S941 BRA JPN SMR MON ESP CAN FRA
9
GBR
16
GER
Ret
HUN
Ret
BEL
11
ITA
Ret
POR
15
EUR JPN AUS NC 0

フランス・スーパーツーリング選手権

チーム 使用車両 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 順位 ポイント
1994年 チームBMW・フィナ BMW・318i NOG
1

10
NOG
2

Ret
MAG
1

3
MAG
2

11
PAU
1

8
PAU
2

3
DIJ
1

6
DIJ
2

8
CHA
1

5
CHA
2

4
VDV
1

Ret
VDV
2

Ret
CET
1

5
CET
2

3
LEC
1

2
LEC
2

1
ALB
1

5
ALB
2

3
BUG
1

5
BUG
2

6
DML
1

5
DML
2

Ret
LED
1

Ret
LED
2

4
6位 124

ル・マン24時間レース

チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 順位 クラス
順位
1995年 ヴェンチュリー・オトモビル ポール・ベルモンド
アルノー・トレビシオル
ヴェンチュリー・600LM GT1 193 NC NC
1996年 Ennea SRL Igol エリック・ベルナール
ポール・ベルモンド
フェラーリ・F40 GTE GT1 40 DNF DNF
1997年 ガルフ・チーム・ダビドフ
GTCレーシング
ピエール=アンリ・ラファネル
アンデルス・オロフソン
マクラーレン・F1 GTR GT1 360 2位 1位
1998年 AMG-メルセデス リカルド・ゾンタ
クリストフ・ブシュー
メルセデス・ベンツ CLK-LM GT1 31 DNF DNF
2000年 トーマス・ブシャー・プロモーション
デビッド・プライス・レーシング
トーマス・ブシャー
ジェフ・リース
BMW・V12 LM LMP900 180 DNF DNF
2003年 クラージュ・コンペティション ジョナサン・コシェ
ステファン・グレゴワール
クラージュ・C60-ジャッド LMP900 360 7位 5位
2004年 アレクサンダー・フライ
サム・ハンコック
クラージュ・C65-JPX LMP2 127 DNF DNF
2005年 アウディプレイステーションチーム・オレカ フランク・モンタニー
ステファン・オルテリ
アウディ・R8 LMP1 362 4位 4位
2006年 クラージュ・コンペティション 中野信治
黒澤治樹
クラージュ・LC70-無限 LMP1 35 DNF DNF
2007年 ギョーム・モロー
ステファン・ヨハンソン
クラージュ・LC70-AER LMP1 175 DNF DNF
2008年 エプシロン・ユースカディ 中野信治
ステファン・ヨハンソン
エプシロン・ユースカディ EE1-ジャッド LMP2 158 DNF DNF

FIA GT選手権

所属チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 順位 ポイント
1997年 ガルフ・チーム・ダビドフ マクラーレン・F1-GTR GT1 HOC
2
SIL
DNS
HEL
4
NÜR
5
SPA
Ret
A1R SUZ
3
DON
6
MUG
6
SEB
5
LAG
4
11位 22

脚注

  1. ^ 7週間で10レースに出場する“鉄人”2世ドライバーが感じるのは、苦労ではなく感謝 - オートスポーツ・2020年10月2日
  2. ^ a b c d e f Jean-Marc Gounon Profile”. Grandprix.com. 2013年6月8日閲覧。
  3. ^ a b AUTO SPORT Archives 『日本の名レース100選 041 '93日本GP』 三栄書房、2008年、48頁。
  4. ^ a b c d e F1グランプリ特集ソニー・マガジンズ、1995年4月号、75頁
  5. ^ a b c 『F1グランプリ特集』、1991年10月号、96頁。
  6. ^ NEWS form EUROPE パシフィック・レーシングF1参戦発表 F1速報 32頁 1993年2月12日発行
  7. ^ F1グランプリ特集 臨時増刊 『F1 GRAND PRIX YEAR BOOK 1994-1995』 ソニー・マガジンズ、1995年、110頁。

関連項目

外部リンク

タイトル
先代
エリック・コマス
フランスF3選手権 チャンピオン
1989
次代
エリック・エラリー



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7
1993年マシンはフォードHBエンジンを搭載したM193となる。フィッティパルディとファブリツィオ・バルバッツァを起用して参戦。完走7台の開幕戦南アフリカGPにて、フィッティパルディが4位に入賞と、幸先の良いスタートを切る。その後はバルバッツァが6位2回、フィッティパルディが5位1回と、前半戦に計4度の入賞を記録した。スポンサーマネーの支払い滞りから、バルバッツァは第7戦フランスGPをもって解雇され、第8戦イギリスGPよりマルティニがチームに復帰。しかし後半戦は各数回シングルフィニッシュを記録したが、入賞は出来なかった。また、第15戦日本GPから、フィッティパルディに代わり、持参金付きドライバーのジャン=マルク・グーノンを起用した。この年はランキング8位だった。1994年同じイタリアのプライベーターであるスクーデリア・イタリアと合併。翌年までの2シーズンに渡り「ミナルディ・スクーデリア・イタリア」のチーム名で参戦した。マシンは開幕戦から第5戦まではM193Bを使用し、6戦目から最終戦までM194を使用。エンジンは前年同様のフォードV8を搭載。この年のドライバーは、マルティニと、ベテランのミケーレ・アルボレートを起用。リタイヤが多かったものの、マルティニが5位2回、アルボレートが6位1回を記録して計5ポイントを獲得。ランキング10位となった。ミナルディのF2初勝利を獲得したことのあるアルボレートは、この年限りでF1から引退した。1995年
38% |||||




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