ヘルムート・コイニクとは? わかりやすく解説

ヘルムート・コイニク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/10 21:35 UTC 版)

ヘルムート・コイニク
Helmut Koinigg
ニュルブルクリンクBMWアルピナ・3.0 CSLを駆るコイニク(1974年7月13日
基本情報
国籍  オーストリア
出身地  オーストリア ウィーン
生年月日 (1948-11-03) 1948年11月3日
死没地 アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ワトキンズ・グレン
ワトキンズ・グレン・インターナショナル
没年月日 (1974-10-06) 1974年10月6日(25歳没)
F1での経歴
活動時期 1974年
所属チーム '74 ブラバム
'74 サーティース
出走回数 3 (2スタート)
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1974年カナダGP
最終戦 1974年アメリカGP
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ヘルムート・コイニク(Helmut Koinigg、1948年11月3日 - 1974年10月6日)は、オーストリアウィーン出身のレーシングドライバーである。

ヘルムート・コイニグと表記されることもある。

生涯

フォーミュラ・スーパーヴィー、フォーミュラ・フォードツーリングカーなどで活躍。ル・マン24時間レースにも参戦経験がある。

1974年8月17日ブラバムのマシンを使用するプライベーターチーム・スクーデリア・フィノットから、地元である第12戦オーストリアGPにエントリー。しかし、この際は予選落ちに終わっている。9月22日、第14戦カナダGPからは、ドライバーが移籍しシートの空いていたサーティース・チームから参戦。予選を22位で通過し、10位で完走した。

事故死

F1デビューから2週間後、ワトキンズ・グレン・サーキットにて開催された最終戦アメリカGPに参戦したコイニクは、予選を23位で通過、2戦連続の決勝進出を果たした。しかし迎えた10月6日の決勝中、10周目のチュート・カーブでサスペンショントラブルに見舞われ、カーブを曲がれないまま三段ガードレールに進んでいったマシンは、跳ね返ることなくそのままガードレール最下段を突き破って直進し、奥の別箇所のガードレールに激突してようやく停止した。この事故により、コイニクはマシン上部もろとも首を切断され即死した。凄惨な事故に至った原因は、ガードレールの構造上の欠陥とされている。

補足

レース戦績

F1

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 WDC ポイント
1974年 ブラバム/フィノット BT42 ARG BRA RSA ESP BEL MON SWE NED FRA GBR GER AUT
DNQ
ITA NC
(33位)
0
サーティース TS16 CAN
10
USA
Ret

ル・マン24時間レース

チーム 使用車両 コ・ドライバー 順位 リタイア原因
1973年 フォード モーターワークス フォード・カプリ LV ジャン・ビナティエ
ジェリー・ビレル
DNF バルブの損傷
1974年 マティーニ レーシング ポルシェ カレラ RSR マンフレッド・シュルティ DNF 火災

関連項目






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