1974-1975: サーティース
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「サーティース・TS16」の記事における「1974-1975: サーティース」の解説
1974年シーズンの開幕戦、アルゼンチンGPにサーティースはブラジル人ドライバーのホセ・カルロス・パーチェとドイツ人ドライバーのヨッヘン・マスで挑んだが、パーチェはサスペンショントラブル、マスはエンジントラブルと両名ともリタイアとなった。ブラジルGPではパーチェが4位に入り、地元の観衆を喜ばせた。マスは17位に終わった。南アフリカGPではパーチェが11位となったが、マスはサスペンショントラブルでリタイアした。スペインGPでパーチェは13位となり、マスはギアボックストラブルでリタイアした。ベルギーGPではパーチェはハンドリングの悪化、マスはサスペンショントラブルで両者ともリタイアとなった。モナコGPではマスはスタートせず、パーチェはジャン=ピエール・ベルトワーズ(BRM)、デニス・ハルム(マクラーレン)、アルトゥーロ・メルツァリオ(イソ・マールボロ)、ヴィットリオ・ブランビラ(マーチ・エンジニアリング)、ブライアン・レッドマン(シャドウ)、ティム・シェンケン(トロージャン)らとのクラッシュに巻き込まれリタイアした。スウェーデンGPではパーチェはハンドリング悪化、マスはサスペンショントラブルでリタイアした。パーチェはこの後チームを離脱し、ブラバムに移籍した。オランダGPにマスの1台体制で臨んだチームであったが、マスはトランスミッションのトラブルでリタイアとなった。フランスGPではジョセ・ドレムが起用されたが、ドレムは予選落ちし、マスはクラッチトラブルでリタイアした。イギリスGPではドレムに代わってデレック・ベルが起用されたが、ベルは予選落ちし、マスは14位となった。ドイツGPでベルは11位となったが、マスはエンジントラブルでリタイアした。オーストリアGPではマスに代わってジャン=ピエール・ジャブイーユが起用されたが、ベル、ジャブイーユ共に予選落ちした。チームはこの両名に加えてディーター・クエスターを起用し、クエスターは9位となった。イタリアGPではドレム、ベル共に予選落ちした。カナダGPではドレムに代わってヘルムート・コイニクが起用され、コイニクは10位となった一方、ベルは予選落ちした。最終戦アメリカGPではベルに代わってドレムが起用された。ドレムは25周でリタイアした。コイニクは10周目にリアタイヤがパンクしコースバリアに衝突、リタイアした。サーティースは3ポイントを獲得し、ランキング11位に終わったが、1975年シーズンは予算不足のためジョン・ワトソンの1台体制に戻った。 1975年シーズン開幕戦アルゼンチンGPでワトソンは燃料パイプがゆるんでしまい、コースサイドで修理を試みた後に失格となった。ブラジルGPでは10位となる。南アフリカGPではクラッチトラブルでリタイアに終わった。スペインGPは8位となる。モナコGPではスピンでリタイアとなった。ベルギーGPでは10位となる。スウェーデンGPでは16位となる。オランダGPでは異常振動のためリタイアした。フランスGPは13位で終わっている。イギリスGPでワトソンは11位となり、チームはこのGPでデイヴ・モーガンも起用し、モーガンは18位となった。チームはドイツGPを欠場、オーストリアGPでは再びワトソン1台体制となった。レースは豪雨となり、グランプリ・ドライバーズ・アソシエーションとオーガナイザーが話し合って29周で中止となった。ワトソンは10位に終わった。チームは来シーズンに投入するTS19の開発に集中するため終盤2戦を欠場した。
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