1974年モナコグランプリとは? わかりやすく解説

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1974年モナコグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/19 14:07 UTC 版)

座標: 北緯43度44分4.74秒 東経7度25分16.8秒 / 北緯43.7346500度 東経7.421333度 / 43.7346500; 7.421333

 1974年モナコグランプリ
レース詳細
日程 1974年シーズン第6戦
決勝開催日 5月26日
開催地 モンテカルロ市街地コース
モナコ モンテカルロ
コース長 3.278 km (2.037 mi)
レース距離 78周 255.684 km (158.875 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)[1]
ポールポジション
ドライバー
タイム 1:26.3[W 1]
ファステストラップ
ドライバー ロニー・ピーターソン
タイム 1:27.9(57周目)(ラップレコード)[W 2]
決勝順位
優勝
2位
3位

1974年モナコグランプリ: 1974 Monaco Grand Prix、正式名称: XXXII Grand Prix de Monaco)は、1974年のF1世界選手権の第6戦として、1974年5月26日モンテカルロ市街地コースで開催された。

概要

レースは78周で行われ、ロータスロニー・ピーターソンが3番手スタートから優勝した。ティレルジョディー・シェクターが2位、シャドウジャン=ピエール・ジャリエが3位となった。

エントリー

2週間前に開催された前戦ベルギーGPにおいてエントリーが殺到した[注 1]ため[W 4]、主催者であるモナコ自動車クラブ英語版 (Automobile Club de Monaco, ACM) のミシェル・ボエリ英語版会長は、エントリー台数を27台に制限した。そのため、リンカー英語版トークンスクーデリア・フィノット英語版、AAWの各チームは欠場し、ウィリアムズ(イソ・マールボロ)アルトゥーロ・メルツァリオ1台のみエントリーした。一方、前戦ベルギーGPを欠場したクリス・エイモンエイモン)が復帰した[W 5]。また、イギリスでF1参戦開始の準備を着々と進めていた日本のマキ[2]ハウデン・ガンレイをエントリーしたが参加しなかった[W 5]

ロータスは新車76のパフォーマンスがあまりにも低かったため、コーリン・チャップマンは旧型の72E[注 2]に戻す決断を下した[W 5]。モナコには2台の72Eとスペアカーの76を1台持ち込んだ[3]

エントリーリスト

チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
ジョン・プレイヤー・チーム・ロータス 1 ロニー・ピーターソン ロータス 72E フォード DFV 3.0L V8 G
2 ジャッキー・イクス
エルフ・チーム・ティレル 3 ジョディー・シェクター ティレル 007 フォード DFV 3.0L V8 G
4 パトリック・デパイユ 007
006 1
マールボロ・チーム・テキサコ 5 エマーソン・フィッティパルディ マクラーレン M23 フォード DFV 3.0L V8 G
6 デニス・ハルム
ヤードレー・チーム・マクラーレン 33 マイク・ヘイルウッド
モーターレーシング・ディベロップメンツ・リミテッド 7 カルロス・ロイテマン ブラバム BT44 フォード DFV 3.0L V8 G
8 リッキー・フォン・オペル
マーチ・エンジニアリング 9 ハンス=ヨアヒム・スタック マーチ 741 フォード DFV 3.0L V8 G
10 ヴィットリオ・ブランビラ
スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 11 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 312B3-74 フェラーリ 001/11 3.0L F12 G
12 ニキ・ラウダ
チーム・モチュール・BRM 14 ジャン=ピエール・ベルトワーズ BRM P201 BRM P200 3.0L V12 F
15 アンリ・ペスカロロ P160E BRM P142 3.0L V12
37 フランソワ・ミゴール
UOP・シャドウ・レーシングチーム 16 ブライアン・レッドマン シャドウ DN3 フォード DFV 3.0L V8 G
17 ジャン=ピエール・ジャリエ
バング&オルフセン・チーム・サーティース 18 カルロス・パーチェ サーティース TS16 フォード DFV 3.0L V8 F
19 ヨッヘン・マス
フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ 20 アルトゥーロ・メルツァリオ イソ・マールボロ FW フォード DFV 3.0L V8 F
チーム・エンサイン 22 ヴァーン・シュパン エンサイン N174 フォード DFV 3.0L V8 F
トロージャン-トーラナック・レーシング 23 ティム・シェンケン トロージャン英語版 T103 フォード DFV 3.0L V8 F
ヘスケス・レーシング 24 ジェームス・ハント ヘスケス 308 フォード DFV 3.0L V8 F
マキ・エンジニアリング 25 ハウデン・ガンレイ 2 マキ F101 フォード DFV 3.0L V8 F
エンバシー・レーシング・ウィズ・グラハム・ヒル 26 グラハム・ヒル ローラ T370 フォード DFV 3.0L V8 F
27 ガイ・エドワーズ
ジョン・ゴールディ・レーシング・ウィズ・ヘキサゴン 28 ジョン・ワトソン ブラバム BT42 フォード DFV 3.0L V8 F
クリス・エイモン・レーシング 30 クリス・エイモン エイモン AF101 フォード DFV 3.0L V8 F
出典: [W 6]
追記
  • ^1 - デパイユは007で出走する予定だったが、決勝直前にマシントラブルが発生したため、スペアカーの006に乗り換えて出走した[4]
  • ^2 - エントリーのみ

予選

(特記のない出典:[5]

プラクティスは木曜日の午後から土曜日までの3日間行われたが、本当の意味でのタイムアタックは金曜日の早朝5時から始まった。

金曜の時点でのトップタイムはニキ・ラウダの1分26秒3で、ロータス・76の不振により古い72Eに戻したロニー・ピーターソンが0.5秒差で続く。この日注目を浴びたのはティレルジョディー・シェクターで、モンテカルロ市街地コースを走った経験はほとんどないにもかかわらず、同コースでの走行経験が豊富なチームメイトのパトリック・デパイユと同タイムの1分27秒1を叩き出した。

最終日の土曜日、ラウダは1分26秒8で自己ベストを更新できなかったがポールポジションを獲得し、チームメイトのクレイ・レガツォーニが1分26秒6に縮めて2番手を獲得し、フェラーリフロントローを独占した。

予選結果

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム Grid
1 12 ニキ・ラウダ フェラーリ 1:26.3 - 1
2 11 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 1:26.6 +0.3 2
3 1 ロニー・ピーターソン ロータス-フォード 1:26.8 +0.5 3
4 4 パトリック・デパイユ ティレル-フォード 1:27.1 +0.8 PL 1
5 3 ジョディー・シェクター ティレル-フォード 1:27.1 +0.8 5
6 17 ジャン=ピエール・ジャリエ シャドウ-フォード 1:27.5 +1.2 6
7 24 ジェームス・ハント ヘスケス-フォード 1:27.8 +1.5 7
8 7 カルロス・ロイテマン ブラバム-フォード 1:27.8 +1.5 8
9 9 ハンス=ヨアヒム・スタック マーチ-フォード 1:28.0 +1.7 9
10 33 マイク・ヘイルウッド マクラーレン-フォード 1:28.1 +1.8 10
11 14 ジャン=ピエール・ベルトワーズ BRM 1:28.1 +1.8 11
12 6 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 1:28.2 +1.9 12
13 5 エマーソン・フィッティパルディ マクラーレン-フォード 1:28.2 +1.9 13
14 20 アルトゥーロ・メルツァリオ イソ・マールボロ-フォード 1:28.5 +2.2 14
15 10 ヴィットリオ・ブランビラ マーチ-フォード 1:28.7 +2.4 15
16 16 ブライアン・レッドマン シャドウ-フォード 1:28.8 +2.5 16
17 19 ヨッヘン・マス サーティース-フォード 1:28.8 +2.5 17
18 18 カルロス・パーチェ サーティース-フォード 1:29.1 +2.5 18
19 2 ジャッキー・イクス ロータス-フォード 1:29.4 +3.1 19
20 30 クリス・エイモン エイモン-フォード 1:29.8 +3.5 20
21 26 グラハム・ヒル ローラ-フォード 1:30.0 +3.7 21
22 37 フランソワ・ミゴール BRM 1:30.0 +3.7 22
23 28 ジョン・ワトソン ブラバム-フォード 1:30.0 +3.7 23
24 23 ティム・シェンケン トロージャン英語版-フォード 1:30.2 +3.9 24
25 22 ヴァーン・シュパン エンサイン-フォード 1:30.3 +4.0 25
26 27 ガイ・エドワーズ ローラ-フォード 1:30.4 +4.1 26
27 15 アンリ・ペスカロロ BRM 1:30.7 +4.4 27
28 8 リッキー・フォン・オペル ブラバム-フォード 1:31.1 +4.8 DNQ
出典: [W 1][W 7]
追記
  • スターティンググリッドは27台に制限
  • ^1 - デパイユは決勝直前にティレル・007がトラブルに見舞われたため、スペアカーのティレル・006に乗り換えたが、所定のグリッドに付けなかったためピットレーンからスタートした[6]

決勝

(特記のない出典:[7]

フォーメーションラップ中にトラブルが発生したため、2台が出走を見合わせた。ヨッヘン・マスはホイールシャフトが破損し、プラクティスからトラブルが頻発していたクリス・エイモンディストリビューターにトラブルが発生した[W 7]

パトリック・デパイユは決勝前のウォームアップでティレル・007が燃料漏れを起こしてしまい、修理する時間がなかったためスペアカーティレル・006に乗り換えた。しかし、所定の4番グリッドに着くには間に合わず、ピットレーンからのスタート(最後尾スタート)を余儀なくされた。カルロス・ロイテマンはギアボックスに問題が発生したが、修理が間に合い所定のグリッドからスタートすることができた。

ロニー・ピーターソンが好スタートを決め、フロントローを独占したフェラーリ勢をかわして首位に立った。クレイ・レガツォーニニキ・ラウダのフェラーリ勢が2-3位に後退し、ジャン=ピエール・ジャリエが続く。

レースは序盤からアクシデントが続き、サバイバルレースの様相を呈した。まず、スタート直後に後方グループで多重クラッシュが発生する。ジャン=ピエール・ベルトワーズデニス・ハルムのタイヤが接触した影響により両者リタイアとなる。この直後を走っていたエマーソン・フィッティパルディは間一髪で横をすり抜けてアクシデントを回避したが、その後方を走る5台がアクシデントに巻き込まれ、一斉にリタイアとなった。

1周目の終わりにはレガツォーニが首位に立ち、ラウダが2番手とフェラーリ勢が1-2位の座を取り戻す。好スタートを決めたピーターソンはジャリエにも抜かれて4位に後退したが、3周目にはジャリエを抜き返した。その後方ではマイク・ヘイルウッドジェームス・ハントハンス=ヨアヒム・スタックを抜き去り、スタックもハントに仕掛けるも両者は接触。スタックのマシンはミラボーからカジノスクエアまで吹っ飛んでクラッシュし、そのままリアイアとなった。

6周目にピーターソンがヘアピンを抜けたコーナーでスピンを喫した。直後を走っていたジャリエは接触を免れたが、コースに復帰するためにバックしていたピーターソンのリアタイヤにロイテマンのフロントタイヤが接触してしまう。ピーターソンはノーダメージだったが、ロイテマンはアップライトを壊してリタイアとなった。

レース中盤まで続いたフェラーリ勢の1-2体制はレガツォーニがピット直前でスピンを喫して5位に後退したことで崩れ去り、スピンで一時6位まで順位を落としていたピーターソン[8]が26周目にジャリエを抜いて2位に浮上する。32周目、首位を独走していたラウダのエンジンが異音を発し始めて速度を落としてストップした。これでピーターソンは首位に返り咲いた。

ロータス・72Eは登場から5年目を迎えたが、その歳月を感じさせない力強い走りでピーターソンはそのまま首位を独走し、2位のジョディー・シェクターに30秒近い大差を付けて今シーズン初勝利を挙げた。シェクターは自己最高位を更新する2位[W 5]、ジャリエはレガツォーニやフィッティパルディを抑えて3位となり、F1キャリア初の表彰台[W 5]を獲得した。ジョン・ワトソンは6位に入賞し、F1初のポイントを獲得した[W 5]

レース結果

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 Grid Pts.
1 1 ロニー・ピーターソン ロータス-フォード 78 1:58:03.7 3 9
2 3 ジョディー・シェクター ティレル-フォード 78 +28.8 5 6
3 17 ジャン=ピエール・ジャリエ シャドウ-フォード 78 +48.9 6 4
4 11 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 78 +1:03.1 2 3
5 5 エマーソン・フィッティパルディ マクラーレン-フォード 77 +1 Lap 13 2
6 28 ジョン・ワトソン ブラバム-フォード 77 +1 Lap 23 1
7 26 グラハム・ヒル ローラ-フォード 76 +2 Laps 21
8 27 ガイ・エドワーズ ローラ-フォード 75 +3 Laps 26
9 4 パトリック・デパイユ ティレル-フォード 74 +4 Laps PL
Ret 15 アンリ・ペスカロロ BRM 62 ギアボックス 27
Ret 2 ジャッキー・イクス ロータス-フォード 34 エンジン 19
Ret 12 ニキ・ラウダ フェラーリ 32 イグニッション 1
Ret 24 ジェームス・ハント ヘスケス-フォード 27 ハーフシャフト 7
Ret 33 マイク・ヘイルウッド マクラーレン-フォード 11 アクシデント 10
Ret 7 カルロス・ロイテマン ブラバム-フォード 5 サスペンション 8
Ret 37 フランソワ・ミゴール BRM 4 アクシデント 22
Ret 22 ヴァーン・シュパン エンサイン-フォード 4 アクシデント 25
Ret 9 ハンス=ヨアヒム・スタック マーチ-フォード 3 接触 9
Ret 14 ジャン=ピエール・ベルトワーズ BRM 0 接触 11
Ret 6 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 0 接触 12
Ret 20 アルトゥーロ・メルツァリオ イソ・マールボロ-フォード 0 接触 14
Ret 10 ヴィットリオ・ブランビラ マーチ-フォード 0 接触 15
Ret 16 ブライアン・レッドマン シャドウ-フォード 0 接触 16
Ret 18 カルロス・パーチェ サーティース-フォード 0 接触 18
Ret 23 ティム・シェンケン トロージャン英語版-フォード 0 接触 24
DNS 19 ヨッヘン・マス サーティース-フォード ドライブシャフト 17
DNS 30 クリス・エイモン エイモン-フォード ディストリビューター[W 8] 20
DNQ 8 リッキー・フォン・オペル ブラバム-フォード 予選不通過  
優勝スピード(勝者ピーターソンの平均速度):129.941 km/h[1]
ファステストラップロニー・ピーターソン - 1:27.9(57周目)[W 2]
出典: [W 9][W 8]
ラップリーダー[W 10]
太字は最多ラップリーダー

主な記録

ドライバー

コンストラクター

エンジン

第6戦終了時点のランキング

  • : トップ5のみ表示。有効ポイントは前半8戦のうちベスト7戦と後半7戦のうちベスト6戦の合計。

脚注

注釈

  1. ^ 35台がエントリーし、32台がレースに参加した[W 3]
  2. ^ 日本国内の文献では「72D」と表記されているが、本項目では「72E」に統一する。
  3. ^ プライベートチームのロブ・ウォーカー・レーシングチームによる2勝を含む。

出典

書籍
  1. ^ a b (林信次 1993, p. 127)
  2. ^ (AUTOSPORT 147, pp. 12–13)
  3. ^ (AUTOSPORT 148, p. 12)
  4. ^ (AUTOSPORT 148, pp. 13–14)
  5. ^ (AUTOSPORT 148, pp. 12–13)
  6. ^ (AUTOSPORT 148, p. 14)
  7. ^ (AUTOSPORT 148, pp. 13–15)
  8. ^ (林信次 1993, p. 80)
ウェブサイト
  1. ^ a b Monaco 1974 - Qualifications” (英語). STATS F1. 2025年7月18日閲覧。
  2. ^ a b Monaco 1974 - Best laps” (英語). STATS F1. 2025年7月18日閲覧。
  3. ^ Belgium 1974 - Race entrants” (英語). STATS F1. 2025年7月18日閲覧。
  4. ^ Monaco GP, 1974” (英語). grandprix.com. 2023年1月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年7月18日閲覧。
  5. ^ a b c d e f Monaco 1974”. STATS F1. 2025年7月18日閲覧。
  6. ^ Monaco 1974 - Race entrants” (英語). STATS F1. 2025年7月18日閲覧。
  7. ^ a b Monaco 1974 - Starting grid” (英語). STATS F1. 2025年7月18日閲覧。
  8. ^ a b Monaco 1974 - Result” (英語). STATS F1. 2025年7月18日閲覧。
  9. ^ 1974 Monaco Grand Prix” (英語). formula1.com. 2015年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年12月22日閲覧。
  10. ^ Monaco 1974 - Laps led” (英語). STATS F1. 2025年7月18日閲覧。
  11. ^ 戦績:J.P.ジャリエ”. F1 DataWeb. 2025年7月18日閲覧。
  12. ^ 戦績:J.ワトソン”. F1 DataWeb. 2025年7月18日閲覧。
  13. ^ South Africa - Podiums” (英語). STATS F1. 2025年7月18日閲覧。
  14. ^ Grands Prix Monaco - Wins” (英語). STATS F1. 2025年7月18日閲覧。
  15. ^ Statistics Engines - Fastests laps - By number” (英語). STATS F1. 2025年7月18日閲覧。
  16. ^ a b FIA Formula One World Championship 1974 Monaco Grand Prix Standings” (英語). Motorsport Stats. 2025年7月18日閲覧。

参照文献

  • Wikipedia英語版 - en:1974 Monaco Grand Prix(2025年5月4日 9:03:17(UTC))
  • 林信次『F1全史 1971-1975 [名手スチュワートの退場/若手精鋭たちの新時代]』ニューズ出版(現:三栄)、1993年。ISBN 4-938495-05-8 
  • 「イギリス・シルバーストンに勢揃いしたMAKI・ラインアップ」『AUTO SPORT No.147 1974年7月15日号』、三栄書房、1974年、12-13頁。 
  • 赤井邦彦「第32回モナコ・グランプリ」『AUTO SPORT No.148 1974年8月1日号』、三栄書房、1974年、11-15頁。 

外部リンク

前戦
1974年ベルギーグランプリ
FIA F1世界選手権
1974年シーズン
次戦
1974年スウェーデングランプリ
前回開催
1973年モナコグランプリ
モナコグランプリ 次回開催
1975年モナコグランプリ



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