ガイ・エドワーズとは? わかりやすく解説

ガイ・エドワーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/01 05:54 UTC 版)

ガイ・エドワーズ
基本情報
フルネーム ガイ・リチャード・ゴロンウィ・エドワーズ
国籍 イギリス
( イングランド)
出身地 同・チェシャー州
マックルズフィールド
生年月日 (1942-10-30) 1942年10月30日(80歳)
F1での経歴
活動時期 1974,1976-1977
所属チーム '74 ローラ
'76 ヘスケス
'77 BRM
出走回数 17 (11スタート)
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1974年アルゼンチンGP
最終戦 1977年イギリスGP
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ガイ・リチャード・ゴロンウィ・エドワーズGuy Richard Goronwy Edwards, QGM 1942年12月30日 - )は、イングランドチェシャー州マックルズフィールド出身の元レーシングドライバー。息子はレーシングドライバーのシーン・エドワーズ

F1

スポーツカーやF5000を経て、1974年開幕戦アルゼンチンGPでヒルからデビュー。第7戦スウェーデンGPでは粘りの走りを見せ7位に入るもポイント獲得には至らず。その後レース中の事故で負傷しチームを離脱。ケガの影響で翌年も出走できずに終わる。

1976年、エドワーズはペントハウスリズラのスポンサーを取り付けてヘスケスからF1に復帰するが、悪いことにチームはオーナーアレキサンダー・ヘスケスの資金が尽きてマシンの戦闘力が低下しはじめたところで、最高位は第10戦ドイツGPでの15位に留まる。しかしこの年のエドワーズを語るのに外せないのは、最高位を記録したそのドイツGPでのニキ・ラウダの事故のことだろう。

ニュルブルクリンク北コースの「ベルクベルク」でのラウダのクラッシュに遭遇したエドワーズは、クラッシュ直後のラウダのマシンに衝突してしまったブレット・ランガーや後続を走っていたハラルド・アートルアルトゥーロ・メルツァリオと共にラウダの救出作業にあたった。このときエドワーズは駆け付けた救急隊にラウダの状態を逐一報告するなど冷静な対応を見せ、このことが称賛され、のちにエリザベス女王から勲章を与えられている。

エドワーズは翌年BRMから1戦だけ出場するが予選落ちに終わり、F1から身を引く。

F1後

1977年からル・マン24時間レースに1985年まで参戦(1971年にも出場)している。 また1978年から1980年にかけて国内のフォーミュラレースに参戦。1勝を挙げている。1988年からはBTCCに2シーズン参戦した。

また、エドワーズはフリーのスポンサーハンターとしても活躍。スポーツカー世界選手権ジャガーチームにシルクカットを(1986-1991)、F1でも1992年のロータスカストロールのスポンサーをもたらすなどしており、「ミスター・スポンサー」とも呼ばれている。

レース戦績

F1

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 WDC ポイント
1974年 ローラエンバシー・ヒル T370 ARG
11
BRA
Ret
RSA ESP
DNQ
BEL
12
MON
8
SWE
7
NED
Ret
FRA
15
GBR
DNS
GER
DNQ
AUT ITA CAN USA NC
(21位)
0
1976年 ヘスケス 308D BRA RSA USW ESP BEL
DNQ
MON SWE FRA
17
GBR
Ret
GER
15
AUT NED ITA
DNS
CAN
20
USA JPN NC
(39位)
0
1977年 BRM P207 ARG BRA RSA USW ESP MON BEL SWE FRA GBR
DNPQ
GER AUT NED ITA USA CAN JPN NC
(54位)
0

(key)

ル・マン24時間レース

チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回数 総合順位 クラス順位
1971年 キャメル フィルター チーム ヒューロン ロジャー・エネバー ローラ・T212-フォード コスワース P
2.0
55 DNF DNF
1977年 ポルシェ クレマー・レーシング ジョン・フィッツパトリック
ニック・フォーレ
ポルシェ・935 Gr.5 15 DNF DNF
1978年 IBEC レーシング ディベロプメント ヘスケス チーム イアン・グロブ IBEC・P6-フォード コスワース S
+2.0
195 DNF DNF
1979年 マーチ レーシング ディーター・クエスター
イアン・グロブ
BMW・M1 S
+2.0
- DNQ DNQ
1980年 J.L.P. レーシング ジョン・ポール・シニア
ジョン・ポール・ジュニア
ポルシェ・935 JLP-2 IMSA 312 9位 2位
1981年 チーム ローラ エミリオ・デ・ヴィロタ
ファン・フェルナンデス
ローラ・T600-フォード コスワース S
+2.0
287 15位 3位
1982年 ウルトラマー チーム ローラ ルパート・キーガン
ニック・フォーレ
ローラ・T610-フォード コスワース C 72 DNF DNF
1983年 ジョン フィッツパトリック レーシング ジョン・フィッツパトリック
ルパート・キーガン
ポルシェ・956 C 358 5位 5位
1984年 スコアル バンディット ポルシェ チーム
ジョン フィッツパトリック レーシング
ルパート・キーガン
ロベルト・モレノ
ポルシェ・962 C1 72 DNF DNF
1985年 ジョン フィッツパトリック レーシング ヨー・ガルトナー
デヴィッド・ホブス
ポルシェ・956B C1 366 4位 4位

イギリス・フォーミュラ1選手権

チーム シャーシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 順位 ポイント
1978年 チーム・マーチ マーチ・75A/761 フォード・コスワース・DFV 3.0 V8 OUL
Ret
BRH
4
4位 78
マーチ・ 781 SNE
Ret
MAL
10
ZAN
Ret
DON
2
THR
Ret
OUL
1
MAL
3
BRH
DNS
THR
1
SNE
Ret
1979年 RAM Racing フィッティパルディ・ F5A ZOL
DSQ
OUL
2
BRH
1
MAL
5
SNE
Ret
THR
Ret
ZAN
7
DON
6
OUL
Ret
NOG
Ret
MAL
3
BRH
2
THR
Ret
SNE
Ret
SIL
8
5位 40
1980年 チャーレス・クロウエス・レーシング アロウズ・A1 OUL
1
BRH
Ret
SIL
4
MAL
Ret
THR
3
MNZ
2
MAL
2
SNE
1
BRH
5
THR
Ret
OUL
4
SIL
2
3位 51

イギリスツーリングカー選手権

チーム 車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 順位 ポイント クラス
1988年 Kaliber Racing フォード・シエラ RS500 A SIL OUL THR
Ret
DON
3
THR
11
SIL
5
SIL
2
BRH
3
SNE
3
BRH
5
BIR
C
DON
6
SIL
4
12位 26 5位
1989年 A OUL
Ret
SIL
7
THR
13
DON
DSQ
THR
DNS
SIL SIL
3
BRH
4
SNE BRH
Ret
BIR
7
DON SIL
4
32位 8 9位

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