ジャコモ・ルッソとは? わかりやすく解説

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ジャコモ・ルッソ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/01 05:34 UTC 版)

ジャコモ・ルッソ
基本情報
国籍 イタリア
出身地 同・ミラノ
生年月日 (1937-10-23) 1937年10月23日
没年月日 (1967-06-18) 1967年6月18日(29歳没)
F1での経歴
活動時期 1964-1966
所属チーム '64 ロブ・ウォーカー
'65,'66 ロータス
出走回数 3 (2スタート)
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 0
通算獲得ポイント 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1964年イタリアGP
最終戦 1966年イタリアGP
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ジャコモ・ルッソGiacomo Russo, 1937年10月23日 - 1967年6月18日)は、イタリアミラノ出身のレーシングドライバー。レースでは"ジェーキ""Geki")という変名を使っていた。

経歴

イタリアの下位フォーミュラでは卓越したドライバーで、イタリアF3選手権シリーズのチャンピオンを1961年から1964年まで4年連続で獲得した[1](1961 - 1963年まではフォーミュラ・ジュニアの名称[1])。

F1には、1964年から1966年までイタリアGPに3回出走した。1964年はロブ・ウォーカーからブラバムをドライブしたが予選落ちした。この後ロータスから2戦に出走したが、ポイントを獲得することはできなかった。

1967年にカゼルタで行われたイタリアF3レースにおいて、ビート・フェール英語版、アンドレア・サルタリ、フランコ・フォレスティを巻き込む多重事故が発生し、フェールが後から来るレーサーに大破した車両への注意を知らせるため車から降りて走り出した所に、ルッソ、マッシモ・ナティリ、ジュルク・ダブラー、ロマーノ・"タイガー"・ペルドーミを含む後続の車が避けきれず、ルッソのマトラが外壁にクラッシュして炎上しルッソが死亡、後続の一台がフェールと衝突しフェールも死亡、またペルドーミも8日後に死亡した。

F1での年度別成績

チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 WDC ポイント
1964年 ブラバムロブ・ウォーカー BT11 MON NED BEL FRA GBR GER AUT ITA
DNQ
USA MEX NC 0
1965年 ロータス 25 RSA MON BEL FRA GBR NED GER ITA
Ret
USA MEX NC 0
1966年 33 MON BEL FRA GBR NED GER ITA
9
USA MEX NC 0

脚注

  1. ^ a b Italian F3 Champions / Formula 3 / Formula Junior”. MotorSports Etc.. 2008年6月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年10月5日閲覧。

関連項目

タイトル
先代
none
イタリアF3チャンピオン
1964
次代
アンドレア・デ・アダミッチ



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