ジローラモ・ダ・カルピとは? わかりやすく解説

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ジローラモ・ダ・カルピ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/27 03:00 UTC 版)

ジローラモ・ダ・カルピ
Girolamo Da Carpi
ジョルジョ・ヴァザーリの著書の肖像画
生誕 1501年
フェラーラ
死没 1556年
フェラーラ
ジローラモ・ダ・カルピ『機会と忍耐』(1541年頃)。ドレスデンアルテ・マイスター絵画館所蔵。

ジローラモ・ダ・カルピ(Girolamo Da Carpi, 1501年 - 1556年)(1901年のブリタニカ百科事典にはジラーロモ Giralomo と誤記されている)は、ルネサンスイタリア画家室内装飾家ボローニャ派に属すると考えられている。

生涯

父親も画家(ならびに装飾家)で、フェラーラエステ家の宮廷に仕えていた

ロレンツォ・コスタラファエロの影響の強い画家の工房で修行を積んでから(ガロファロの下で徒弟をしていたという記録もある)、1520年代、カルピはローマボローニャに行き、そこでジュリオ・ロマーノマニエリスム様式に霊感を受けた。

それからフェラーラに戻ると、エステ家の依頼でドッソ・ドッシ、ガロファロらと一緒に仕事をした。1550年にはローマ教皇ユリウス3世の御用建築家になって、バチカン宮殿のベルベデーレ改築の監督を勤めた。再びフェラーラに戻ると、エステンセ城の増築を託された。

カルピの絵には、ロヴィーゴのサン・フランチェスコ教会にある『精霊の堕落』、ボローニャにある『聖母』、『東方三博士の礼拝』、『聖カタリーナ』、そしてフェラーラにある『聖ゲオルギウス』、『聖ヒエロニムス』がある。

代表作

  • 東方三博士の礼拝(1531年)ボローニャ、サン・マルティーノ教会
  • 聖カタリーナの結婚(1532年 - 1534年)ボローニャ、サン・サルヴァトーレ教会
  • 聖ロンギヌス(1531年)
  • ペンテコステ ロヴィーゴ、サン・フランチェスコ教会
  • 機会と忍耐(1541年)ドレスデン、古典絵画館

作品

参照





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