聖堂の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 06:29 UTC 版)
「カトリック主税町教会」の記事における「聖堂の建設」の解説
1903年12月にツルペンは名古屋を去った。その後、千葉からシェレル神父が赴任してきた。シェレルのもとで、新たな聖堂が建設されることとなった。聖堂の建築は1904年8月8日に始まり、同年10月20日に竣工。同月23日に祝別が行われた。啓蒙小学校は1904年3月に、救老院は1906年に閉鎖された。1903年から1922年までの主税町教会での受洗者数は134人だった。 1922年2月、主税町教会はパリ外国宣教会からドイツの神言会に移譲された。神言会によって、東京教区の一部だった愛知県と岐阜県、また、新潟使徒座知牧区の一部だった富山県、石川県、福井県を合わせた名古屋使徒座知牧区が設立された。新潟使徒座知牧区長だったドイツ人のヨゼフ・ライネルス神父が名古屋使徒座地牧区の臨時管理者に任命され、彼のもとで主税町教会は知牧区長座聖堂となった。名古屋知牧区成立時には司祭が定住している教会は主税町教会を始め、金沢教会、富山教会の3つがあり、信徒数はおよそ185人だったという。同年には主任司祭だったヴィルメス神父のもとで教会附属の聖母幼稚園が設立された。1930年1月には知牧区長館が新築された。これによってそれまで知牧区長館として用いられていた建物は信者会館となった。 1940年または1941年、ライネルス神父は名古屋地牧区長を辞任した。その後、1945年3月6日に松岡孫四郎神父が名古屋兼新潟地牧区長に任命され、就任式が主税町教会において行われた。1945年11月から1951年12月までのおよそ6年間で主税町教会での受洗者数は494人だった。1962年には松岡のもとで新たにカトリック布池教会が設立された。その1か月後に名古屋地牧区は司教区である名古屋教区に昇格し、布池教会が司教座聖堂となった。 1952年、主税町教会には平田義雄神父が赴任してきた。この頃には聖堂の老朽化が進んでおり、1959年の伊勢湾台風を受けて建て替えが行われることになった。建て替えのための資金集めは1985年までかかった。もともとは元ある聖堂を新たに建て替えるという計画だったが、工事直前になって平田の希望により、建て替えではなく修復という形になった。聖堂の修復工事は名古屋市に本社を置く工務店である辰建が手掛け、1985年に行われた。
※この「聖堂の建設」の解説は、「カトリック主税町教会」の解説の一部です。
「聖堂の建設」を含む「カトリック主税町教会」の記事については、「カトリック主税町教会」の概要を参照ください。
- 聖堂の建設のページへのリンク