盛期〜後期中世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 03:18 UTC 版)
詳細は「地球球体説#中世」を参照 11世紀までにヨーロッパはイスラーム天文学を学んだ。1070年頃から12世紀ルネサンスが始まり、ヨーロッパにおいて強い哲学的・科学的起源のもとに知的再活性化が進んだ。それに伴い、自然哲学への関心も増大した。 ヘルマヌス・コントラクトゥス(1013年–1054年)はエラトステネスの方法に則って地球の周長を計測した初期のキリスト教徒の学者である。最も重要で広く学ばれている中世の神学者トマス・アクィナス(1225年–1274年)は地球が球状だと考えていた; そして彼は自分の読者が地球が球形であると知っていることを当然の前提としていた。概して中世の大学における講義は地球球体説を支持する根拠を提出した。また、13世紀に最も影響力のあった天文学の教科書で西欧の全ての大学の学生が読むことを要求された『地球球体論』には世界が球形であると書かれている。トマス・アクィナスは著書『神学大全』において「天文学者と自然学者は、たとえば地球は丸いというような同一の結論を論証するが、天文学者が、数学的な方法、すなわち質料からの抽象という方法を使うのに対して、自然学者は、質料をめぐって考察される方法を使う」と書いている。 地球の形状の問題はラテン語で書かれた学問的著作でのみ論じられたわけではなかった; より広い読者に向けて書かれた口語・地方語による文献でもこの問題は扱われた。1250年頃のノルウェーの文献『Konungs Skuggsjá』では地球は球形であり、ノルウェーの日中には地球の裏側では夜であると明らかに述べられている。本書の著者は対蹠人の存在も論じており、(存在するとすれば)彼らは空の北側の真ん中に太陽を見て、北半球とは逆の季節を体験するだろうと述べている。 しかし12〜13世紀のフランス語で書かれた口語の著作では地球は「リンゴのように丸い」ではなくむしろ「テーブルのように円い」と書かれていることをTattersallが示している。「叙事詩や非『歴史的』ロマンス(つまりあまり教養のない人物による著作)から[...]引用した例の実質全てにおいて用いられている言葉の実際の形式は球よりも円を強く提示している。」 ポルトガルのアフリカ・アジア探検、コロンブスのアメリカへの航行(1492年)、そしてフェルディナンド・マゼランの地球一周(1519年–21年)が地球球体説の最終的で実践的な証明を与えた。
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