盛恒以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 10:07 UTC 版)
大坂の陣の後、斬首された盛恒の代で宗家は断絶。以降は国親の四男・島親益の系統とされる。現当主の友親は親房(親益)を初代、親典(五郎左衛門)を二代目として、自らは17代目の当主と数えている。 島親典(五郎左衛門)- 親益(親房)の子、あるいは吉良親貞の四男・吉良親英とされるがどちらも年代が合わない(#江戸時代も参照のこと)。 島與助 島弥左衛門 島久蔵 島惣亟 島弥右衛門 島弥四郎 島歡次 島與助 島與右衛門 島重親(與助重親)- 島義親の父 長宗我部吉親 - 復姓 長宗我部親衛 長宗我部親(林馬)- 「ちかし」と読む。長宗我部家の系図と史料を整理した。 長宗我部友猪 長宗我部友親 - 現・当主。長宗我部喬(高知市長浜)
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