盛岡高等農林学校時代とは? わかりやすく解説

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盛岡高等農林学校時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 18:01 UTC 版)

盛岡高等農林学校」の記事における「盛岡高等農林学校時代」の解説

1899年6月岩手県議会、「農林学校請う建議」。 1902年3月勅令98号により盛岡高等農林学校設置1903年2月盛岡高等農林学校規則公布本科修業年限3年農学科林学科獣医学科の 3科を設置1903年4月専門学校令による実業専門学校となる。 1903年5月第1回入学式開校式は、1902年不作被害甚大だった等の影響で、後の1905年5月28日挙行1903年10月家畜病院開設1905年4月校内植物園設置 (現 岩手大学教育学部付近)。 1905年12月御明神演習林設置岩手郡御明神村: 現 雫石町)。 1906年10月御明神村経済農場設置1907年1月: 『学術報告創刊1926年23号まで続刊)。 1909年校歌 『国のみ中に鎮まれる』 制定校友会文芸部選歌三浦波治作曲)。1913年楠美恩三郎によって改曲された。 1912年12月本館竣工 (現 農業教育資料館重要文化財)。 1913年3月滝沢演習林設置岩手郡滝沢村: 現 滝沢市)。 1913年4月農学科農学第1部農学)、農学第2部農芸化学) に分割1913年9月24日開校十周年記念式 1916年1年生のみ全寮制となる。 1918年4月農学第1部農学第2部それぞれ農学科農芸化学科改称農業別科設置1919年10月同窓会発足大学昇格運動勃発1919年12月: 「盛岡農科大学期成同盟会」 発足結局、国の施策として農科大学への昇格より高等農林学校増設優先され昇格運動挫折した1921年8月第2代校長 佐藤義長責任取って辞職1920年寮歌落葉松の緑うす煙る』 (小野和夫作詞板野英二作曲)、『天翔けり行く荒鷲も』 (大植登志夫作詞板野英二作曲制定1925年1月温室完成1928年無試験入学制度導入1933年からは簡単な筆記試験課した)。 1930年4月農業別科から農業実科改称1933年4月第一拓殖訓練所設置全国に3カ所設置されたものの一つで、修業年限1年で「満蒙方面への農業移住者およびその指導者育成した1936年10月繋温泉に熱利用実習温室設置1938年4月農村工業実科設置1943年3月勅令163号により、農業教員養成所農学科設置

※この「盛岡高等農林学校時代」の解説は、「盛岡高等農林学校」の解説の一部です。
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