盛岡高等農林学校時代
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1899年6月: 岩手県議会、「農林学校を請う建議」。 1902年3月: 勅令第98号により盛岡高等農林学校設置。 1903年2月: 盛岡高等農林学校規則公布。本科は修業年限3年、農学科・林学科・獣医学科の 3科を設置。 1903年4月: 専門学校令による実業専門学校となる。 1903年5月: 第1回入学式。開校式は、1902年の不作被害が甚大だった等の影響で、後の1905年5月28日に挙行。 1903年10月: 家畜病院を開設。 1905年4月: 校内に植物園を設置 (現 岩手大学教育学部付近)。 1905年12月: 御明神演習林を設置 (岩手郡御明神村: 現 雫石町)。 1906年10月: 御明神村に経済農場を設置。 1907年1月: 『学術報告』 創刊 (1926年 第23号まで続刊)。 1909年: 校歌 『国のみ中に鎮まれる』 制定 (校友会文芸部選歌、三浦波治作曲)。1913年、楠美恩三郎によって改曲された。 1912年12月: 本館竣工 (現 農業教育資料館。重要文化財)。 1913年3月: 滝沢演習林を設置 (岩手郡滝沢村: 現 滝沢市)。 1913年4月: 農学科を農学第1部 (農学)、農学第2部 (農芸化学) に分割。 1913年9月24日:開校十周年記念式 1916年: 1年生のみ全寮制となる。 1918年4月: 農学第1部、農学第2部をそれぞれ農学科、農芸化学科と改称。農業別科を設置。 1919年10月: 同窓会発足、大学昇格運動勃発。 1919年12月: 「盛岡農科大学期成同盟会」 発足。結局、国の施策として農科大学への昇格より高等農林学校増設が優先され、昇格運動は挫折した。1921年8月、第2代校長 佐藤義長は責任を取って辞職。 1920年: 寮歌 『落葉松の緑うす煙る』 (小野和夫作詞、板野英二作曲)、『天翔けり行く荒鷲も』 (大植登志夫作詞、板野英二作曲) 制定。 1925年1月: 温室完成。 1928年: 無試験入学制度を導入 (1933年からは簡単な筆記試験を課した)。 1930年4月: 農業別科から農業実科に改称。 1933年4月: 第一拓殖訓練所を設置。全国に3カ所設置されたものの一つで、修業年限1年で「満蒙」方面への農業移住者およびその指導者を育成した。 1936年10月: 繋温泉に熱利用実習温室を設置。 1938年4月: 農村工業実科を設置。 1943年3月: 勅令第163号により、農業教員養成所農学科を設置。
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