サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会
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サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会(San Pietro in Montorio)はローマの教会。その中庭には、ルネサンスの建築家ドナト・ブラマンテが建てた小さなマルティリウム(殉教者記念礼拝堂)のテンピエット(Tempietto)がある。
- ^ The Fate and Fortunes of Hugh O'Neill, Earl of Tyrone, and Rory O'Donel, Earl of Tyrconnel; their flight from Ireland, and death in exile, by the Rev. C.P. Meehan, M.R.I.A., 2nd edition, published by James Duffyy, Dublin and London, 1870 (Appendix)
- 1 サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会とは
- 2 サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会の概要
- 3 テンピエット
- 4 参考文献
テンピエット
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「サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会」の記事における「テンピエット」の解説
サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会の中庭にあるテンピエット(Tempietto)は、1502年頃にドナト・ブラマンテが立てた小さなマルティリウム(殉教者記念礼拝堂)で、盛期ルネサンス建築の最高傑作と言われている。 ブラマンテはミラノで数年を過ごした後、ローマにやってきた。そこでブラマンテはジュリアーノ・デラ・ローヴェレ枢機卿(すぐにローマ教皇ユリウス2世になる)に認められ、依頼された最初の仕事がこのテンピエットだった。聖ペテロの殉教の地と伝えられる場所に建てられたこの建物は、ルネサンス建築の中でも最も調和の取れたものの一つである。 シンプルで当たり前のように見えるが、これはテンピエットがその後のあらゆるドームの基本になったからである。アメリカの国会議事堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂、ローマのサン・ピエトロ大聖堂などもテンピエットを参考にして建設されたといわれる。 ルネサンスからバロックに移り変わるローマで、この建物が16世紀に突如として現れたことを、今の感覚で理解するのはなかなか難しい。ほとんどが彫刻で、建築学はあまり使われていない。小規模にもかかわらず、古代ローマ建築の荘厳さと精密さがすみずみまでマッチしている。完璧なプロポーション。古代のマルケッルス劇場を基にした、スマートなドーリア式の16本の柱とエンタブラチュア(柱頭の上の水平部)、そして円屋根。セバスティアーノ・セルリオの『建築第三書』によると、ブラマンテは最初、中庭に柱廊を作る計画だったが、それは実現しなかったらしい。
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