北イタリアの後期ルネサンス建築とは? わかりやすく解説

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北イタリアの後期ルネサンス建築

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/24 04:35 UTC 版)

ルネサンス建築」の記事における「北イタリアの後期ルネサンス建築」の解説

ローマで展開され盛期ルネサンスは、ローマ略奪などの中央イタリア混乱により、ジェノヴァミラノヴェネツィアなど、政治的に安定した北イタリア継承された。特にヴェネツィアでは、マニエリスム影響を殆ど受けず16世紀初期に最も主導的な活動行ったヤーコポ・サンソヴィーノは、ブラマンテ風の偉大な様式表現した彼の代表作である国立マルチャーナ図書館は、ヴェネツィアの最も印象的な風景形成している。 ヴェローナミケーレ・サンミケーリ傑出した軍事エンジニアであり、いくぶんマニエリスムの、特にパラッツォ・デル・テからの影響受けている。それは年を負うごとに顕著になっていくようにみえるが、パラッツォ・ベヴィラックァのデザインラファエロの家を規範したものであるし、マドンナ・ディ・カンパーニャ聖堂デザインは、テンピエット基調したものである。これらを考察するかぎり、彼は本質的には常にブラマンテ思想忠実であったアンドレア・パラーディオまた、一時的にマニエリスム(特にミケランジェロ)に傾倒した。彼はブラマンテとの直接的なつながりは持たなかったが、ローマ建築ブラマンテ建築独自に研究しウィトルウィウス比例理論再構築した。彼の建築手法数学的調和基調とし、対称性重視するもので、その建築理論は『建築四書』に収められている。ヴィラ・ロトンダやバシリカ・パラディアーナは、彼の考古学的知識ルネサンス伝統的様式見事に混淆したものである。ヴェネツィア建設され晩年の傑作、サン・ジョルジョ・マジョーレ聖堂とイル・レデントーレ聖堂は、光の取り入れ方や空間構成簡素で優しい。マニエリスム芝居がかった空間とは対照的である。彼の作風は、後にパラーディオ主義として、イギリスの建築大きな影響及ぼした

※この「北イタリアの後期ルネサンス建築」の解説は、「ルネサンス建築」の解説の一部です。
「北イタリアの後期ルネサンス建築」を含む「ルネサンス建築」の記事については、「ルネサンス建築」の概要を参照ください。

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