茶室とは? わかりやすく解説

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ちゃ‐しつ【茶室】

読み方:ちゃしつ

茶事を行うための室。日本独特の建築様式で、四畳半基準とし、中央に炉を切り、床の間にじり口などがついている。囲(かこい)。数寄屋

茶室の画像

アサヒビール大山崎山荘美術館彩月庵(茶室)


光ふるさと郷土館別館礒部家住宅離れ座敷(茶室)


茶室

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/11 10:19 UTC 版)

茶室(ちゃしつ)は、日本式の茶道において、茶事の主催者(主人、亭主)が客を招き、茶を出してもてなすために造られる施設である。「茶席」「囲い」あるいは「数寄屋」と呼ぶこともある。大別して草庵風のものと書院風のものがあるが、一般的には草庵風のものを指す場合が多い。独立した建物として造られる場合と、書院などの建物内に造り込まれる場合がある。いずれの場合も露地と称する庭園を伴うのが一般的であったが、現代ではホテル公会堂、商業ビルの一角などに造られることもある。禅宗の「方丈(一丈四方の意)」から出た四畳半を標準として、それより狭いものを小間の茶室、広いものを広間の茶室という。室町末期から桃山期にかけて発展・完成したが、日本の建築の中でも特殊な位置を占める。


注釈

  1. ^ 座敷の一部を囲って茶の湯をしたという記録は1例だけで、それだけで囲いという言葉が一般化するとは考えにくい。したがって、これは囲いの語が出来てからその説明のために創られた伝えの可能性がある。初期の茶室では引き違いの障子からのみ明かりを採っていたのを草庵では一旦土壁で室を閉じ(囲って)そこに窓を開けたから「囲い」という語が生じたとも考えられる。
  2. ^ 四畳半の茶室は、茶事・茶会の都合により小間・広間どちらかと決めて扱われる。
  3. ^ 二畳というアイデアは秀吉が生みだしたものとの見解もある[要出典]

出典

  1. ^ 『ここから学ぶ 茶室と露地』、pp.12 - 13
  2. ^ 中村昌生『茶室と露地』1972 小学館
  3. ^ 矢ヶ崎善太郎「茶室の歴史」、pp.IV - V
  4. ^ 岩波文庫『山上宗二記』脚注
  5. ^ 中村昌生 前掲書、矢ヶ崎善太郎「茶室の歴史」、pp.V - VI; 『ここから学ぶ 茶室と露地』、pp.14 - 16; 『図説 茶室の歴史 基礎がわかるQ&A』、pp.26 - 27, 38 - 39
  6. ^ a b 中村昌生 前掲書
  7. ^ 『ここから学ぶ 茶室と露地』、p.223



茶室

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/02 18:02 UTC 版)

板戸」の記事における「茶室」の解説

日本伝わったのは奈良時代である。 禅僧によって抹茶伝えられるは、鎌倉時代入ってからであった室町時代に入ると、足利将軍愛用された事もあって武家社会公家社会急速に流行していった。は、初め公家武士の座敷行なわれた。この座敷広間書院呼ばれ、そこでの書院と云われた。名器並べて観賞し産地飲み当てるは、その流行のなかから次第をたてて飲む行為そのものに、精神的意義認めようになった次第格式重んじる書院から、俗世間超越した遊び空間のための専用の狭い空間を使うことが多くなった。六畳から四畳半さらには二畳と、極小空間を使うことで、精神的に高められ茶の湯行なうようになっていく。 『南坊録』に、 「四畳半座敷は、珠光作事なり。真座敷とて鳥の子紙白張付け杉板ふしなし天井小板ふき、宝形造一間床なり。」 とある。茶道始祖といわれる村田珠光によって四畳半座敷茶の湯広められた。国宝慈照寺銀閣寺東求堂北東角に将軍足利義政の茶室として使われた、「同仁斎」がある。 『南坊録』には更に 「紹鴎になりて、四畳半座敷ところどころ改め張り付け土壁にし、木格子竹格子にし、障子腰板をのけ、床の塗りふちをうすぬり、または白木にし、之を座敷と申されしなり」 とある。堺の茶人武野紹鴎によって、数寄屋風茶室が工夫されていった。「張り付け土壁に」とあるのは、鳥の子紙張ったはめ込み式の張り付け壁の事で、副障子ともいい、書院造り座敷壁面として使用された。茶室の壁を土壁とし、土壁下地である竹小舞(こまい)を見せた窓を開け、窓に竹の格子付けるなど、草庵風情意匠取り入れた草庵茶室は千利休によって確立されていく。 千利休の手になると伝えられる茶室で実在するのは、京の南にある下山崎妙喜庵にある待庵である。天正10年1582年明智光秀戦った羽柴秀吉利休に造らせたものと伝えられている。 二畳の茶室に一畳次の間一畳の勝手を設けている。一畳点前の座で、もう一畳は客の座である。これだけしかなく、茶室としては極小空間である。次の間相伴客の席に使ったとしても三畳の空間である。 客は、高さ二尺六寸、幅二尺三寸六分躙口にじりぐち)から茶室に入る。利休躙口としては大きいとされるが、それでも身をかがめて入らねばならない。この躙口から身をかがめて入ることが、俗世間から遊離した空間へはいる儀式である。躙口通過する事で、幽玄の侘の世界に入ることができる。 天井は、床のすぐ前と左手はノネ板(屋根葺用の薄板)に白竹打ち上げ右手前の躙口入ってすぐ上は、竹の垂木見せた化粧屋根裏となっている。化粧屋根裏部分が、天井低さやわらげる工夫となっている。床(とこ)の中は隅柱隠した室床むろどこ)とし炉の上の壁も隅の塗り込め消している。いずれも部屋狭さ感じさせないための工夫であるとともに室内変化与え意匠上の工夫である。 障子の骨は、竹を用い床のには三つの節が見え床柱は、北山丸太である。壁には、大きさ位置異なる、明かり取り障子設けられている。壁面土壁とし、加賀奉書紙を腰張貼り貼っている。襖障子は太鞁張(たいこ)張りにした雲母(きら)の一色刷り唐紙である。あらゆる部分利休精緻な精神が息付いて一分の隙もなく独自の世界引き込まれる仕掛けとなっている。利休精神表現した極小宇宙世界である。 茶室は俗世間遊離した小宇宙である。茶室に入る前にすでに俗なる世間と違う精神世界に身を置いているほうが望ましい。市中道路から武家公家寺院境内入り、茶室に近付通り道を、単なる通路とせずのための予備空間としてさまざまな工夫を凝らす。 茶室を見通せないよう樹木配し飛び石も茶室へ進む客が歩きやすくしかも雅趣があり、さりとて作意目立たないように配慮する路地を外と内に分け、その境に中門または中潜りを置く。中門中潜りを潜ることで茶室に近付きつつあることを実感しそのこと俗世間から少しずつ遊離しはじめる。 茶室へ入るのを待つ腰掛け、手を清める蹲踞つくばい)夜足元を照らす灯籠灯篭)などさまざまな演出意匠施される露地は、京や堺の町人たちが屋敷の奥に造った茶室への通路にさまざまの工夫凝らした事に始まるという。茶人たちは、茶室だけでなくそのアプローチ外部空間へも緻密な工夫気配り行なったのである

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茶室

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 01:55 UTC 版)

九年庵」の記事における「茶室」の解説

1920年大正9年)に邸宅西北に茶室が建築された。この茶室に「九年庵」の扁額掲げられていた。「九年庵」は本来この茶室を指していた。その後解体された。

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茶室

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 14:09 UTC 版)

スオメンリンナの要塞」の記事における「茶室」の解説

2009年12月25日の『世界を変える100人の日本人! JAPAN☆ALLSTARS』で、2004年茶道流派1つである裏千家フィンランド協会政府特別許可取り、茶室を造ってフィンランド人々茶道教えている。

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茶室

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/24 09:24 UTC 版)

刈谷市美術館」の記事における「茶室」の解説

茶室「佐喜知庵」は、美術館開館合わせ市内本社のあるトヨタグループ各社から寄付受けて併設された。豊田紡織創業者豊田佐吉から「佐」を、トヨタ自工創業者豊田喜一郎から「喜」を、そして、知識の「知」から一字ずつ拝借し命名されている。京都北山杉ふんだんに使って建てられている。本格的茶室と、お点前のできる10畳の和室が3室ある。茶会茶道稽古のための貸し切り利用も可能。 一般呈茶 利用時間午後1時-午後3時呈茶料:一服300季節あわせたお菓子だけでなく、企画展内容あわせたオリジナル和菓子楽しめる

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茶室

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/07 15:45 UTC 版)

四畳半」の記事における「茶室」の解説

茶室における四畳半の畳は、それぞれ床前畳(貴人畳)、点前畳道具畳)、客畳踏込畳炉畳呼ばれる。 床前畳 点前畳 客畳 踏込畳 炉畳

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茶室

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/04 03:28 UTC 版)

臨江閣」の記事における「茶室」の解説

京都宮大工今井源兵衛によって、本館より2か月遅れて1884年明治17年11月完成した木造平屋建て東側に8畳の書院西側に4畳半の茶室を設ける。書院部分寄棟造、茶室部分入母屋造いずれも桟瓦葺きとする。

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茶室

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/21 21:28 UTC 版)

春江院」の記事における「茶室」の解説

明治時代建てられ尾州久田流開祖西行庵下村實栗の作による草庵風茶室切妻造桟瓦葺の建物で、茶席二畳台目、炉は向切とする。杉皮葺を格子状組んだ竹で押さえて立てた土庇のほか、棹縁天井の棹や化粧屋根裏垂木木舞など各所に竹を使っている。

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茶室

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 17:37 UTC 版)

茶房長谷路」の記事における「茶室」の解説

設計 - 山田新 竣工 - 1912年-1925年 構造 - 三畳台目床付茶室。木造平屋建瓦葺寄棟造壁面は鼠漆喰仕上建築面積 - 8.7㎡ 国の登録有形文化財(建造物) 住宅 建築

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茶室

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 14:44 UTC 版)

品川区立品川歴史館」の記事における「茶室」の解説

当時のままの姿で建てられている。名称を「滴庵(しょうてきあん)」という。2畳中板、3畳、4畳半、水屋

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茶室

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 16:44 UTC 版)

佐賀県立博物館」の記事における「茶室」の解説

博物館南側佐賀城南堀面した公園内には茶室「清恵庵」がある。堀口捨已の設計で、佐賀市出身市村清遺志受けて夫人市村幸恵により県に寄贈され1973年昭和48年10月10日完成した有料貸し出しが行われている。

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茶室

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 00:47 UTC 版)

妙立寺」の記事における「茶室」の解説

三階設けられた茶室。本来あってはならない三階目であるため、二階四層目の座敷隠し階段から上がる。この隠し階段は押入の形をしており、奥にもう一つ本当押入がある。普段座布団などを置いて隠したという。向かって右壁の隠し戸から隠し階段に上がれる。茶室はくつろぎの場として、武器振り回せないよう大人一人立ったくらいの高さで作られており、狭さ感じさせないよう天井中央の高い弓なりになっている。窓は高い位置作られており、正座をすると外の景色見えない。そこで、向かって右の壁に、群青縁取った富士その上にたなびく模した左上違い棚、左を頭にした登り龍見立てた木の根飾られており、それを満月見立てた円で囲んでいる。四階への登り口もあるが、現在は閉鎖されている。

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茶室

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 22:33 UTC 版)

会津武家屋敷」の記事における「茶室」の解説

鶴ヶ城本丸にあった茶室「嶺南庵麟閣」(れいなんあんりんかく)を復元したもの。本来の麟閣は、会津藩主・蒲生氏郷招かれ千少庵千利休息子)が造ったとされる茶室である。

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茶室

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 22:38 UTC 版)

蓮教寺 (名古屋市)」の記事における「茶室」の解説

茶室「竹柏亭」 - 平成12年2000年)に新築

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